デヴィ夫人が津川雅彦と不倫!?若い頃噂になった彼氏が大物すぎてヤバい!

デヴィ夫人 津川雅彦

3月31日放送の「訂正させてください」では、タレントのデヴィ夫人(77)が若い頃に俳優Tと不倫関係にあったことについて語る。

 

俳優Tとは、1969年に交際していた俳優・津川雅彦(77)のこと。当時のデヴィ夫人はインドネシアのスカルノ元大統領夫人として津川と「不倫」を していたのである。

 

そんなデヴィ夫人の若い頃といえば、美貌と品のある振る舞いで男性を魅了してきたという。

 

彼氏には津川雅彦以外、噂になっただけでも俳優のアラン・ドロンや俳優の本郷功次郎氏など、ビックネームが名を連ねる。

 

デヴィ夫人はこれら過去のスキャンダルについて、自身初の自伝『デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨』で語っているとともに戦争体験、貧しい家庭からインドネシアの大統領夫人へ、そしてパリへの亡命などの壮絶な人生も同時に振り返っている。


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デヴィ夫人が津川雅彦と不倫

デヴィ夫人の本名は、インドネシア名=ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ。だがデヴィ夫人は根っからの日本人で、本名は根本七保子という名前だ。

 

1940年2月、東京都港区にて生まれたデヴィ夫人は、裕福な家庭に育ったわけではない。

 

目の悪い大工の父はバツイチで、後妻の母はデヴィ夫人と弟を出産後、内職で家計を支えていたという。

 

若い頃から美貌の持ち主だったデヴィ夫人は、女優か画家になりたいというひそかな夢を抱いた中学時代を経て、高校へは進学せず15歳で就職の道を選択。

 

生命保険会社で事務仕事をしながら、夜間定時制高校に通いはじめた。

 

夏休みは夜に喫茶店でアルバイトもし、一方で芸能プロダクションに所属して女優業も開始。そのうえ、友人たちと銀座のバーや赤坂のナイトクラブへ行き、青春をエンジョイしまくっていたという。

 

その後父が突然亡くなり、脚の悪い母と病弱な2歳下の弟を養うのは自分だ、と覚悟を決めたデヴィ夫人は、一流ナイトクラブで働くホステスたちが桁違いの収入を得ているのを目にし、自らも夜の仕事をスタートさせることになる。

 

そして、19歳のときにデヴィ夫人はインドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。

 

すると、デヴィ夫人は大統領に寵愛され、1962年、まだ19歳のときに大統領夫人となる。その後長女も誕生したが、幸せは長く続かなかった。

 

1965年にスカルノ元大統領が失脚し、デヴィ夫人は籍が入ったまま長女を連れてパリに亡命。インドネシアに帰れない日々が続き、数年後、娘とともに日本へ里帰りすることとなった。

 

そこでデヴィ夫人は俳優・津川雅彦と出会う。失脚したとはいえ、デヴィ夫人はスカルノ元大統領夫人、一方の津川は独身の人気俳優ということもあり、2人の不倫関係は一筋縄ではいかなかったという。

 

それでも2人の愛が燃え上がるのに、時間はかからなかった。しばらくして、その噂はマスコミに漏れ、大スキャンダルに発展。

 

週刊誌に追いかけられるようになり、2人は安住の地を求めてスイス・ジュネーブへと逃避行したのである。

 

しかし、マスコミも負けじと、担当者がスイスへ乗り込み、デヴィ夫人を張り込んだ。

 

しかもデヴィ夫人の住む家の近くにコンドミニアムを借り、大胆な取材に打って出たのである。

 

マスコミは毎週のように、2人の「逃げられない不倫関係」を現地報告していたのだった。


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デヴィ夫人が若い頃噂になった彼氏が大物すぎる

デヴィ夫人と津川雅彦の不倫関係は1969年から始まったが、半年と短い期間だった。破局理由は分かっていないが、真剣な交際だったらしく、このスキャンダルで津川の仕事は激減したという。

 

そんな背景もあり、デヴィ夫人の若い頃は津川雅彦以外にも彼氏として大物人物との噂があった。

 

若い頃デヴィ夫人は、勝新太郎氏や松方弘樹氏、作家の笹沢佐保氏などとも不倫関係だった事を暴露。不倫に走った原因はスカルノ元大統領の浮気だったという。

 

他にも俳優のアラン・ドロンや本郷功次郎氏などとも噂があったデヴィ夫人。

 

1992年には、アメリカコロラド州で、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャの顔をシャンパングラスで殴打し、大けがを負わせたとして傷害罪で逮捕されたこともある。

 

そして現在も訴えたり、訴えられたりと世間を何かと騒がせているが、すでに若い頃から壮絶な人生を送ってきているのである。


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