徳島ラジオ商殺し事件の真犯人と検事の名前は?現場の場所はどこ?

徳島ラジオ商殺し事件 画像

10月18日放送の水トク!「1番だけが知っている」では、1953年に徳島県徳島市で発生した冤罪事件の「徳島ラジオ商殺し事件」が紹介される。

 

この事件は、1953年11月5日午前5時ごろ、徳島県徳島市で、当時50歳のラジオ商(現在でいう電器店)の店主・三枝亀三郎さん宅に強盗が侵入。店主の三枝さんが命を奪われ、内縁の妻だった当時43歳の冨士茂子さんが重傷を負った事件。

 

当初、警察は外部から侵入した強盗犯の犯行とみて男2人を逮捕したが、証拠が無く不起訴処分とした。

 

すると、今度は被害者である内縁の妻・冨士さんが、検事の悪事により、犯人に仕立て上げられてしまったのだ。

 

裁判で冨士さんは、冤罪にもかかわらず懲役13年の有罪判決を言い渡されることになる。

 

だが、冨士さんは裁判中に無罪を訴え上告。2審で控訴を棄却され、再び上告したが、1958年5月10日、裁判費用が続かないため上告を取り下げた。

 

このとき冨士さんは、「服役して出所後に真犯人を捜す」と言って、上告をあきらめたのだという。

 

そして、懲役13年の判決が確定し、刑務所に服役。

 

その後、服役中に、ラジオ商の店員が検事に強要されて偽証したことを告白。真犯人を名乗る人物が自首するなど、冨士さんの冤罪が晴れる条件がそろうも、後に真犯人と名乗る人物は不起訴処分となる。

 

すると、冨士さんは、模範囚として服役しながら再審請求を開始。刑期を2年残した1966年11月30日に仮出所し、姉弟や市民団体の支援のもと再審請求を続けたが、第5次再審請求中の1979年11月15日にすい臓がんのため死去した。享年69歳。

 

この「徳島ラジオ商殺し事件」は、尼僧の瀬戸内寂聴氏が、事件の再審支援を行っていたことでも知られている。

 

同じ徳島出身の瀬戸内氏が事件を知り、作家の瀬戸内晴美時代に「恐怖の裁判」という題で事件を詳しく書きつづるとともに支援していたのである。


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徳島ラジオ商殺し事件の真犯人は?

10月18日放送の水トク!では、2つの事件を特集。

 

1つはこちらの記事にも書いた「地下鉄サリン事件」…地下鉄サリン事件は自衛隊が犯人を断定?実行犯が撒いた駅の名前や目的は?

 

もう1つが、「徳島ラジオ商殺し事件」である。

 

この事件は、刑の確定後に再審によって無罪が言い渡された冤罪事件だが、冨士茂子さんが亡くなった後ということから、日本初の死後再審が行われた事件でもある。

 

そして冨士さんは、「服役して出所後に真犯人を捜す」と言って、最後は上告をあきらめてしまった。

 

結局、真犯人は捕まっていないのだが、この事件は誰の犯行だったのか。

 

(当時の冨士茂子さん画像)
徳島ラジオ商殺し事件 冨士茂子 画像

 

事件発生後、警察は当然外部の犯行とみて捜査。その結果、市内の暴力団関係者2人を容疑者として逮捕している。

 

だが、2人の内1人は犯行を自供したものの、確たる証拠が無く不起訴処分となっているのだ。

 

このとき逮捕された2人が真犯人だった可能性もあるが、もう1人真犯人の可能性を持った男がいる。

 

それは、冨士さんが上告を取り下げた日に、静岡県の沼津署に自首した男だ。

 

結局、真犯人と名乗って自首した男も後に不起訴処分となり、そこからは冨士さんと家族の再審に向けた闘いが始まった。


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徳島ラジオ商殺し事件 検事の名前は?

事件発生後、警察の捜査とは裏腹に検察は、独自捜査で内部犯行説をでっち上げた。

 

まず検察は、当時ラジオ商に住み込みで働いていた少年(当時17)を「有線電気通信法違反」の容疑で逮捕。

 

翌月には同じく住み込みで働いていた別の少年(当時16)を「銃刀法違反」の容疑で逮捕し、長期にわたり勾留したのだ。

 

そして「事件の朝、物音で目覚め、4畳半をながめたら奥さんとご主人の争うのが見えた。」との、嘘の供述をさせ、被害者である富士茂子さんを逮捕した。

 

富士さんは当然容疑を否認。だが、富士さんも長期にわたり勾留されたため、疲れから一度だけ「やりました」と供述。

 

この供述と少年2人の自白を元に、徳島地検は富士さんを起訴したのだ。

 

そこで、内部犯行説をでっち上げ、富士さんに冤罪を着せた検事だが、名前の方は、徳島地検・田辺光夫検事正、湯川和夫次席検事、村上善美・藤掛義孝両検事、丹羽利幸検察事務官という。

 

これらの検事によって、少年2人と冨士さんは、嘘の供述をさせられることになったのである。


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徳島ラジオ商殺し事件 現場となった場所はどこ?

「徳島ラジオ商殺し事件」の現場となった「三枝電気店」の場所は、徳島市八百屋町にあった。

 

地元の人ならわかるだろうが、事件が起きた場所の八百屋町には現在、「徳島中央郵便局」、「朝日新聞徳島総局」、「三井生命徳島総括営業部」、「ニッセイ徳島ビル」、「四国銀行徳島支店」、「野村証券徳島支店」などが立ち並ぶ。

 

また、事件の現場となった「三枝電気店」は、当時は新築中で、工事のやぐらが組まれていたという。

 

そのため富士茂子さんは、内縁の夫である三枝亀三郎さんと娘の3人で、工事現場の隣の旧店舗の場所で就寝していたということだ。

 

そして出所後、富士さんは、姉弟や市民団体の支援のもと再審請求を続けたり、徳島駅前に立ち、たった1人でビラまきをして冤罪を訴えたりした。

 

だが、第5次再審請求中の1979年11月15日にすい臓がんのため死去。

 

その後、冨士さんの姉弟が再審請求を引き継ぎ、1980年12月13日、徳島地方裁判所が第5次再審開始を決定。1985年7月9日に徳島地方裁判所は無罪判決を下したのである。

 

幾度もの再審請求が実り、裁判所は外部犯をうがかわせる証拠が多いことや、捜査機関のずさんな捜査を指摘した。

 

1985年12月12日、徳島地方裁判所は冨士さんの娘に対して、逮捕された1954年8月13日から仮出所した1966年11月30日までの4493日間に7200円を掛けた額である3235万円の刑事補償を支払うことを決定したのだった。


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