市橋達也の現在は?両親は岐阜の実家 姉は離縁!事件の動機は一体?

市橋達也 画像

2007年3月26日、千葉県市川市のマンションで発生したリンゼイ・アン・ホーカーさん事件で受刑者の市橋達也が、現在どこの刑務所へ収監されているのか?

 

公判で無期懲役が確定した後は、千葉刑務所にいると思われていた市橋だが現在、長野刑務所にいるとの情報もある。

 

市橋の出身は岐阜県羽島市。両親と姉が医者ということもあり、自身も医者を目指したが最終的には断念し、4浪の末、千葉大学園芸学部へ入学した。

 

事件後、父親は勤めていた一宮西病院を退職。母親も両親が開く歯科医院を退職し、現在は実家のある岐阜県で過ごしているという。

 

また、結婚していた姉も離縁されたということだが、見方を変えればこの事件は、市橋の両親への復讐劇とも捉えられる。

 

当時、彼女がいたにも関わらず、なぜ事件を起こしてしまったのか?はたまた動機は一体何だったのか?

 

今回は「リンゼイ・アン・ホーカーさん事件」を振り返ってみようと思う。


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市橋達也の現在は?

市橋達也受刑者の逃亡劇は2年7カ月で幕を閉じた。逃亡ルートは、北関東、熱海、青森、新潟、関西、岡山、瀬戸大橋を通り、四国、大分、鹿児島、最終的には沖縄のオーハ島と、広域に渡って潜伏。

 

その中でも、関西の飯場と沖縄を行き来する生活を送っていた。

 

さらに逃亡中は顔の整形手術を受けていたが、何と自分でも針やハサミで鼻や唇の形を変えたというから凄まじい。

 

そして、最終的には福岡と名古屋の整形外科医院からの通報をきっかけに大阪市住之江区の南港フェリーターミナルで逮捕に至る。

 

千葉地方裁判所における市橋の公判は2011年7月4日から2011年7月12日まで6回開かれ、2011年7月21日に求刑通り、「無期懲役」の判決が下った。

 

一審での「無期懲役」の判決に弁護側は8月2日、事実認定の誤りと量刑不当などを理由に東京高等裁判所に控訴。

 

二審では控訴を棄却され続け、2012年4月25日の上告期限まで検察・弁護側双方が上告せず、そのまま判決が確定した。

 

「無期懲役」の判決が下った市橋は千葉刑務所に収監されたが、現在は長野刑務所にいるという情報もある。

 

本当かどうかは分からないが、長野刑務所で市橋と一緒だったという人物が出所した後にネットの掲示板に書き込んでいる。


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市橋達也の両親は岐阜の実家 姉は離縁

市橋達也の両親と姉は医者で事件後は医者を辞めて岐阜の実家でひっそりと暮らしているという。

 

事件が起きるまでの父親は愛知県一宮市の一宮西病院で外科部長を務めていた。母親は両親が開く歯科医院で医師をしていたが退職。

 

結婚していた姉は医者を辞めたかどうか分からないが離縁されている。

 

また、マスコミが姉を取材したことについて、県警の捜査員が「親族に迷惑がかかるのは、おまえが黙っているからだ」との趣旨の発言を取り調べで黙秘していた市橋にしたことが分かっている。

市橋達也 事件の動機は?

事件当時、市橋達也には彼女がいた。それもリンゼイさんと待ち合わせる直前まで一緒だったという。

 

リンゼイさんと会う前日の23時に彼女から電話があり、彼女の車で海岸へドライブして一緒に焼き肉を食べている。

 

朝4時、彼女にマンションまで送ってもらい、5時間後の9時にリンゼイさんと待ち合わせしているのだ。

 

そして、市橋は逃亡中、彼女に電話をしているのだが、話し中だったため諦めて電話を切っている。

 

彼女がもし電話に出たら、自分がした事を話し、「一緒に逃げてくれ」と言うつもりで、最後は一緒に死んでくれないかなと思ったそうだ。

 

市橋には千葉大学の恩師である本山直樹・名誉教授が、発足させた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」というのがあるが、当時の彼女もその会に入っているという。

 

そんな彼女がいるにも関わらず、事件を起こした動機は一体何だったのか?

 

裁判で検察側はリンゼイさんへの乱暴の発覚を防ぐという動機があり、「そのまま帰せば事件がばれると思ったから」と主張。

 

一方、弁護人は「犯行の発覚を防ぐためという動機は常識的にみて、あり得ないんじゃないですか」と反論。市橋の供述では乱暴の後、リンゼイさんに許してもらおうと、4畳半の和室に連れて行っているという。

 

リンゼイさんが、市橋に「日本人はイエローモンキー」と言ったことで腹を立てたとの話もあるが、本当の動機はいまのところは分かっていない。


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