高橋真梨子が病気で痩せる!原因は?夫婦一緒に乗り越えたことを金スマで語る

高橋真梨子 病気 痩せ 画像

1月6日放送の「金スマ」は、歌手・高橋真梨子(68)の波瀾万丈人生にスポットをあてる。

 

戦後の広島で一人娘として生まれた高橋の孤独な幼少期…。父親が病気で亡くなったり、母親とは確執が生まれるなどした壮絶な生い立ちなどについて迫る。

 

そんな高橋に歌が唯一の支えになっていたが、47歳の時に病気で激痩せ。原因は重度の更年期障害だった。

 

それでも夫婦一緒に病気を乗り越えていこうとする姿が高橋にはあり、例え極限状態になっても歌い続けようとしたという。

 

現在の病状は、音楽活動も再開できるまでに回復。今回の「金スマ」では、今では歌わなくなった幻の歌詞をスタジオで披露する。


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高橋真梨子が病気で痩せる!原因は?

歌手の高橋真梨子は、47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなったという。

 

その後もめまいや手足のしびれに襲われ、ろくに外にも出られなくなってしまったとか。

 

診断の結果は重度の更年期障害だった。高橋は突如襲ってきた更年期障害が原因で、その後もっと苦しむことになる。

 

当時のことを、高橋は「仕事が生きがいでしたので…仕事ができなくなるんじゃないか、激痩せして生きていけなくなるんじゃないか…」と苦しんだそう。

 

夫のヘンリー氏も、「夫婦で一緒にいて、初めて、助けを求められた。」と語っている。

 

その後の高橋は病気が原因で激痩せし、ぼんやりとふさぎ込む毎日。

 

うつ状態が続いたことが心配で、「一時も離れられなかった」と、夫はいう。

 

高橋も「うつになって食事を作れなくなったのが一番つらかった。ヘンリーさんが美味しいって言って食べてくれるのが嬉しかったから」と、当時のつらかった出来事を話す。

 

そうして半年間の完全休業ののち、音楽活動も再開できるまでに病気は回復。

 

現在も痩せたままだが、心配は要らないという。

高橋真梨子 夫婦一緒に病気を乗り越える

高橋真梨子の夫は、音楽プロデューサー兼ギタリスト、キーボーディストのヘンリー広瀬氏(73)。妻の高橋真梨子をプロデュースした代表曲には「桃色吐息」「はがゆい唇」「ごめんね…」などがある。

 

二人はひょんなことをきっかけに恋仲になり、約10年の同棲生活を経て、1993年に結婚。だが、それから3年後、高橋が47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなってしまう。

 

広瀬氏は当時のことを「夫として、夫婦で病気を一緒に乗り越えていこう」と思ったといい、医者から太陽を浴びた方がいいとアドバイスされるや、自転車を2台買って引きこもりがちだった高橋を外に連れ出したという。

 

さらには、家事ができなくなってしまった高橋のために栄養たっぷりで食べやすい料理を工夫したりしたそうだ。

 

有言通り「夫婦で病気を一緒に乗り越えた」ことについて高橋は、改めて夫の支えに感謝しながら「本当に、幸せで、ラッキーだったと思いました」と打ち明ける。

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高橋真梨子 母親との確執 父親の言葉が歌の原点

高橋真梨子は、高校1年までを福岡で暮らしていたが、もともと生まれは広島で、一人娘として育てられた。

 

父親は、ジャズバンドでサックス奏者として活動するミュージシャンだったとか。

 

そして高橋が1歳半のころ、当時ジャズが盛んだった博多へと家族で移り住むことになる。

 

その数年後、ミュージシャンだった父親は難病に侵され、両足を切断することに。当時の父親は脱疽の影響で後遺症に苦しんでいたという。

 

すると、父親はこれ以上家族に迷惑はかけられないと1人広島に帰ってしまった。その後、高橋が小学校3年の時、両親が離婚。親権は裁判によって争われたが、両足を失っている父親は高橋を引き取ることもできなかったという。

 

それからも大好きだった父親には、年に数回広島まで会いに行っていたという高橋。

 

その時父親は、歌手になることについて「いいんじゃないか」と言われたとか。ただし、「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲」と言われたそうだ。

 

さらには、「スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」とアドバイスされたという。

 

そのことが、高橋の音楽活動の原点になったということだが、父親は高橋が15歳の時に37歳で他界。

 

高橋は16歳の時、歌手になるために上京することになる。

 

一方で、母親との思い出について、いい思い出はあんまりなかったという。

 

母親は高橋が子供時代に不倫をしていて、いつも一人ぼっちだったそうだ。

 

そして母親は父親が病気に苦しんでいる時にもずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中だったという。

 

当時、孤独の中で支えになったのは、音楽で、「恋のバカンス」が流行していたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で「歌手になりたい」と高橋は思ったそうだ。

 

また、高橋は両親が離婚した際、母親と2人福岡で暮らしていたが、不倫していた母親のことは許せずに確執が生まれていたという。

 

その一方では、女手ひとつで育ててくれた母の気持ちはわかると、相対する気持ちに苦しんだそうだ。

 

今でも高橋は、コンサートで福岡を訪れたときに必ず立ち寄る場所があるという。その場所は地元のイタリア料理店で、母親が長年通い続けたお気に入りの店なのだとか。

 

コンサート後、母親はいつも高橋と夫のヘンリー広瀬氏をこの店に招いていたという。

 

その頃母親とは、とっくに確執は解消していたが、1998年12月31日、母親は69歳で亡くなったのである。


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