市橋達也の現在は?両親と姉は実家生活で生い立ちは?(2024最新)

市橋達也の画像事件

☆この記事はこのような人におすすめです。

・英会話学校のイギリス人講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)事件で逮捕された市橋達也の現在を知りたい。

・市橋達也の生い立ちや動機を知りたい。

・市橋達也の家族(両親、姉)が、現在も岐阜の実家で生活しているのかを知りたい。

 

2007年3月26日、千葉県市川市のマンションで発生したリンゼイ・アン・ホーカーさん事件で逮捕された市橋達也は、現在どこの刑務所へ収監されているのでしょうか?

 

少し調べてみたところ、公判で無期懲役が確定した後は、千葉刑務所に収監。

 

その後、長野刑務所に移送されています。

 

そんな市橋達也の出身は岐阜県羽島市。

 

生い立ちに至っては両親と姉が医者ということもあって、恵まれた環境で育ち、自身も医者を目指していたそうです。

 

しかし、最終的に医者を断念し、4浪の末、千葉大学園芸学部へ入学。

 

そして、事件後、父親は勤めていた一宮西病院を退職。

 

母親も自分の両親が開業している歯科医院を退職し、現在は岐阜県にある実家でひそかに過ごしているということです。

 

また、結婚していた姉も夫側から離縁されたとのことですが、見方を変えればこの事件は、市橋達也の両親への復讐劇とも捉えられています。

 

当時、彼女がいたにも関わらず、なぜ事件を起こしてしまったのか?

 

はたまた動機は一体何だったのか?

 

そこで今回は「リンゼイ・アン・ホーカーさん事件」を振り返ってみようと思います。

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市橋達也の現在(2024最新)

市橋達也の逃亡劇は2年7カ月で幕を閉じました。

 

逃亡ルートは、北関東、熱海、青森、新潟、関西、岡山、瀬戸大橋を通り、四国、大分、鹿児島。

 

最終的には沖縄のオーハ島と、広域に渡って潜伏していたとされています。

 

ちなみに、逃亡ルートの中でも関西の土木工事場と沖縄を行き来する生活を送っていたとか。

 

中でも大阪市西成区に潜伏していた際は「井上康介」の偽名、本籍地と現住所は「大阪市港区三先2丁目」。

 

周囲には「横浜から来た」と嘘をついて生活していたようです。

 

さらに逃亡中は顔の整形手術を受けていたのと、自分でも針やハサミで鼻や唇の形を変えていたのです。

 

整形した市橋達也の画像

 

そして、最終的には福岡と名古屋の整形外科医院からの通報をきっかけに、大阪市住之江区の南港フェリーターミナルで逮捕されます。

 

なお、逮捕後の公判では、千葉地方裁判所において6回開かれ、2011年7月21日には求刑通り「無期懲役」の判決。

 

一審での「無期懲役」の判決に弁護側は、事実認定の誤りと量刑不当などを理由に東京高等裁判所に控訴。

 

二審では控訴を棄却され続け、2012年4月25日の上告期限まで検察・弁護側双方が上告せず、そのまま判決が確定したのです。

 

そして、「無期懲役」の判決が下った市橋達也は千葉刑務所に収監されたのですが、現在は移送された長野刑務所で服役中。

 

この情報は長野刑務所で市橋達也と一緒だったという人物が出所した後、ネットの掲示板に書き込んだことで判明しています。

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市橋達也の生い立ちと大学

市橋達也の生い立ちは、決して壮絶なものではありません。

 

裕福な家庭で育ち、小学校時代に抱いていた将来の夢は総理大臣。

 

中学校ではバスケ部に所属し、副キャプテンをしたり生徒会の役員をしていたといいます。

 

ただ、勉強が出来て運動神経も良かった反面、当時からキレやすい一面を持ち「キレると怖い」という印象があったとか。

 

高校は地元でも有数の進学校・羽島北高校へ進学し、国立大学理系学部志望のクラスに所属。

 

部活は陸上部で学年1の足の速さを誇っていたそうです。

 

そして高校卒業後、横浜国立大学の夜間に合格するも2年で中退。

 

その後、21歳で千葉大学園芸学部に入学し空手部に所属。

 

26歳の時に卒業しています。

市橋達也の彼女と動機

事件当時、市橋達也には彼女がいました。

 

しかも、彼女とはリンゼイさんと会う前日、一緒に車で海岸へドライブし、焼き肉を食べているのです。

 

そして、事件当日の朝4時、市橋達也は彼女にマンションまで送ってもらい、5時間後の9時にリンゼイさんと待ち合わせ。

 

その後、犯行をおこない逃亡したのです。

 

リンゼイ・アン・ホーカーの画像

 

なお、逃亡中の市橋達也は彼女に電話をしていますが、話し中だったため諦めて電話を切っています。

 

もしその時彼女が電話に出たら、自分がした事を話し、「一緒に逃げてくれ」と言うつもりで、最後は「一緒に死んでくれないかな」と思ったのだとか。

 

そんな市橋達也には、千葉大学の恩師である本山直樹・名誉教授が発足させた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」というのがあります。

 

しかも、当時の彼女もその会に入っているといいます。

 

そんな彼女がいるにも関わらず、事件を起こした動機は一体何だったのか?

 

裁判で検察側はリンゼイさんへの乱暴の発覚を防ぐという動機があり、「そのまま帰せば事件がばれると思ったから」と主張。

 

一方、弁護人は「犯行の発覚を防ぐためという動機は常識的にみて、あり得ないんじゃないですか」と反論したのです。

 

また、市橋達也の供述では乱暴の後、リンゼイさんに許してもらおうと、4畳半の和室に連れて行っていることが判明。

 

その際、リンゼイさんが市橋に向かって「日本人はイエローモンキー」と言ったことで腹を立てたとの話もありますが、本当の動機はいまでも分かっていません。

市橋達也の両親と姉は岐阜の実家で生活?

逮捕後、取り調べで黙秘していた市橋達也に対し、県警の捜査員が「親族に迷惑がかかるのは、おまえが黙っているからだ」との趣旨の発言をしています。

 

これはどういう意味なのかというと、マスコミが取材しようと姉のところまで押し掛けたので、捜査員が市橋達也に言ったのです。

 

そもそも姉は市橋達也の2歳上で職業は医者。

 

姉の名前までは分かっていませんが、結婚していて事件を起こすまで普通の生活をしていたといいます。

 

しかし、弟が事件を起こしたことで離婚。

 

現在は医者を辞めたかどうか不明ですが、離婚後は岐阜の実家に戻ったとされています。

 

ちなみに、姉は弟を相当嫌っていて自分の結婚式に呼ばなかったとか。

 

さらに、市橋達也が親から15万円仕送りしてもらっていたことも知らなかったということです。

 

一方、市橋達也の両親はというと、愛知県一宮市の一宮西病院で外科部長を務めていた父親は事件後に退職。

 

母親も自分の両親が開業する歯科医院の医師をしていましたが、辞めて岐阜の実家でひっそりと暮らしているということです。

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