ビートたけしの事故現場を諸星和己が発見!細川ふみえに会いに行く途中だった?

3月6日放送の「成功の遺伝史4」では、ビートたけしが生死をさまよった事故について初めて語る。
たけしは、1994年にスクーターで運転中、カーブを曲がりきれずガードレールに激突。右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で全治1ヶ月の重症を負った。
事故の第一発見者は、元光GENJIの諸星和己。
当時現場近くでレコーディングをしていて、うつぶせになって倒れているところを見つけて救急車を呼んだのだという。
結局、たけしの事故の原因は何だったのか。事故現場は見通しのいい緩やかなカーブだったが、事故前夜にアルコールを飲んでいたと報道されている。
事故に会った当時、交際していた細川ふみえに会いに行く途中ともされているが、あくまでウワサだけで真相は謎のままだ。
退院後の会見でも事故の壮絶さを物語っていた。
たけしの顔は事故をする前と後では随分と変わり果て、重度の顔面マヒの後遺症が残っていたのだ。
たけしの滑舌が悪すぎるのも事故の後遺症が原因だと言われている。
ビートたけしの事故現場を諸星和己が発見!
事故を起こした時の記憶は定かではないそうだが、ビートたけしは1994年8月2日午前1時40分ごろ、東京都新宿区の安鎮坂付近をスクーターで運転中、カーブを曲がりきれずガードレールに激突した。
この衝撃でたけしは、4メートルも吹っ飛ばされたといい、その際に頭を強打。意識不明のまま東京医大病院に救急搬送となった。
当時のたけしはノーヘル。しかも1994年といえば原付を含む全てのバイクにヘルメットの着用がすでに義務化されている時代だ。
奇跡的に助かったが、普通なら即死、よくて植物状態という大事故。
このときのたけしはノーヘルにサングラスのような濃いゴーグルを掛けていたことも判明。
視界が悪かったこともあったのだろうが、事故前夜、日本酒4合相当のアルコールを飲んでいたとも報道されているが、たけしは事故の真相として「当時はうつ状態だった」と語る。
酒気帯び運転で書類送検されるも起訴猶予処分となっており、酒に酔っていたのではなかったようだ。
そして、たけしの事故を通報したのが元光GENJIの諸星和己だった。
当時はまだ光GENJIのメンバーだった諸星は現場近くのスタジオでレコーディングをしていた。
帰り際、たまたま現場を通りかかると、うつぶせになって血だらけになって倒れている人を発見。
当時は今みたいに携帯が普及しておらず、車内の電話を使って救急車を呼んだのだという。
ただ、諸星は倒れていたのが、たけしだとは知らなかったようで、朝のニュースでたけしだったことを知ったそうだ。
ビートたけしは細川ふみえに会いに行く途中に事故した?
事故の後遺症で半年間はテレビに出れなかったビートたけしだったが、59日間の入院期間を経て1994年9月27日に退院会見を開いた。
そのときのたけしの姿に報道陣は絶句。目の焦点は合わず、口元は大きく歪んだ重度の顔面マヒ状態だったのである。
会見でたけしは、「治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします」「事故は軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってる」「頭に入っているボルトのせいで金属探知機に引っかかる」などと笑いを誘ったが、たけしの顔は以前とはまるで別人のような変貌ぶりを見せていた。
また、今でも事故に会ったのは、当時交際を噂されていた細川ふみえに会いに行く途中だったと語り継がれているが、実は会った帰りだったという説もある。
名前こそ出さないが、たけし自身は事故にあった日におネエちゃんに会いに行ったことを認めている。
事故する一週間前に細川ふみえがたけしの別宅を訪れたところを、写真週刊誌『FOCUS』にスクープされていたのは事実。
その前の『FRIDAY』襲撃事件でも交際していた21歳の専門学校生が絡んでいただけに、たけしは2度も女性関係で災難にあっている。