二宮和也 彼女の椎名法子の件を謝罪!旦那はがんで闘病中 UNIONとパンサー尾形の関係は?

二宮和也 彼女 椎名法子 画像

10月14日放送の「爆報!THE フライデー」は、嵐・二宮和也の彼女とウワサされた女優の椎名法子(33)が登場。

 

現在の椎名法子は、がんを発症した旦那を支える闘病生活を送っているといい、番組では3年目の検査に密着する。

 

椎名の旦那はJ2ロアッソ熊本に所属していた斉藤紀由氏(34)。

 

2009年4月に現役を引退した斉藤氏だったが、30歳の時に悪性リンパ腫という血液のがんを患っている。

 

だが、そこから1年間の闘病生活を経て、サッカーをプレーできるまでに復活。

 

今回の検査でがんが再発しているのか結果が出るようだ。

 

一方、椎名法子といえば、嵐・二宮和也の彼女だったことは有名である。

 

後に椎名との交際が発覚して別れさせられた2001年、二宮は東京ディズニーシーホテルミラコスタのイベントで「仕事一筋で頑張る」とファンに謝罪した。

 

だが、2003年には、別れたはずが再び交際していることが発覚。

 

ライブ「How’s it going ?Summer Concert 2003」で、泣きながら歌った二宮は、ファンに対し「仕事で頑張っていきます」と再び謝罪したのである。

 

そんな経緯がありながらも椎名は斉藤氏と結婚。

 

旦那の斉藤氏に至っては引退後に六本木で飲食「UNION」のオーナーに転職。

 

そのきっかけはお笑い芸人・パンサー尾形だったという。

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二宮和也 彼女の椎名法子の件を謝罪

二宮和也の彼女だった椎名法子は、2001年頃から交際がスタートしたと言われている。

しかし、2人はデート現場を週刊誌に撮られ、事務所に大目玉をくらったとか。

 

にもかかわらず、2003年に椎名と二宮のツーショット写真が流出。

 

隠れて交際を続けていたことがバレて、強引に別れさせられてしまったそうだ。

 

この一連の件で二宮はファンに謝罪をしているが、破局以降、二宮の女性遍歴は激変する。

 

見境がなくなった二宮は共演者を口説くのはもちろん、ファンに手を出したらやばいからと、出会い系サイトにハマッていた時期もあったようだ。

 

複数の出会いサイトに登録していたことは、携帯電話の履歴を見ても明らかだったと、当時の知人が語っており、流出したキス写真も携帯に入っていたとか。

 

椎名と交際しているときに二宮から携帯電話を見せてもらったことがあるという友人は、毎日のように『愛してる』と送り合い、『今日のゴハンはハンバーグだよ』『お風呂どうする?』と同棲生活をうかがわせる内容だったことを赤裸々に告白している。

 

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椎名法子の旦那はがんで闘病中

椎名法子の旦那はJ2ロアッソ熊本に所属していた斉藤紀由氏。

 

椎名が30歳の誕生日をむかえた2012年11月22日、「いい夫婦の日」に因んで自身のブログにて結婚と第一子の出産を報告した。

 

だが、翌年の2013年の夏、斉藤氏に悲劇が襲った。

 

病名は悪性リンパ腫。この病気はリンパ系の組織から発生する、血液のがんである。

 

斉藤氏は『まさか自分ががんになるとは思ってもみなかった。メンタルは弱くはないほうですが、正直びっくりしたし、その後、色んなことが駆け巡った。俺、死ぬのかなとか、家族はどうなるのかな、お店は、スタッフは…』と、当時のことを振り返った。

 

そこから1年間の闘病生活を経て、サッカーをプレーできるまでに復活。

 

入院中は仲間に支えられ、いろんな人が見舞いに来てくれたそうだ。

 

そんな中、三浦カズや香川もサイン入りのユニフォームをプレゼント。

 

仲間が斉藤氏を支援するTシャツを作ってくれたりもしたという。

椎名法子の旦那が経営するUNIONとパンサー尾形の関係

椎名法子の旦那・斉藤紀由氏は2009年4月に現役を引退した。

 

斉藤氏はサッカーとは全く違うことをやろうと思い、Jリーグキャリアサポートセンターに相談に行き、様々な業種の人たちと会った。

 

そんな時に、パンサーの尾形貴弘が地元の先輩で仲が良かったので、電話したんだとか。

 

すると『引退するんだったらお前もNSC入れよ。それで俺と組もうぜ』と言われたそうだが、さすがに断ったという。

 

その後、尾形とも仲のいい共通の知人から『バーの店長を探しているオーナーがいるんだけど、会ってみない?』と誘われて会いに行くと意気投合。

 

その1カ月後には「UNION」を開店していた。

 

初めは何も分からなかったので、渋谷でバーを経営している知人に頼み込んで酒の作り方を教えてもら ったり、「UNION」という店の名前を決めたりと、ひたすら勉強したという斉藤氏。

 

がんで入院中は、やはり店のことが心配で気になって仕方がなかったという。

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