高嶋政伸 兄殺人事件 犯人の家政婦の判決やその後は?誘拐未遂もあった?

高嶋政伸 画像

タレント高島忠夫・寿美花代夫妻の息子で俳優の高嶋政伸(51)が、12月13日放送の「1周回って知らない話」にゲスト出演する。

 

元祖芸能一家で知られる政伸の兄は、俳優の高嶋政宏(52)。父親はタレントの高島忠夫、母親は元宝塚歌劇団の星組男役トップスター、従妹にはヴァイオリニストの高嶋ちさ子(49)だ。

 

そんな高島家だが、実は政宏・政伸兄弟には生後5カ月で亡くなった兄が1人いる。

 

名前は道夫ちゃんといって、当時雇っていた家政婦の手によって命を奪われた。

 

これが、有名な「高島忠夫長男殺害事件」。政宏・政伸兄弟からすると道夫ちゃんは長男。すなわち「兄殺人事件」ということになる。

 

犯人の家政婦は、当時17歳。未成年ということもあって判決は懲役3年から5年という不定期刑だった。

 

量刑は至って軽いもので、家政婦はすぐに出所。その後は結婚して新たな生活を始めている。

 

そんな長男殺害事件は政宏・政伸兄弟が生まれる前に起こったわけだが、2人が生まれた後も高島家に再び事件が起きたという。

 

それは政伸が幼少期のころで、政伸を誘拐するという予告電話が犯人からかかってきたのだ。

 

身の危険を感じた政伸は、その後刑事と半年間同居していたのだった。

高嶋政伸 兄殺人事件とは

高嶋政伸の兄殺人事件とは、政伸がまだ生まれる前の1964年8月24日、当時、高島家に住み込みで働いていた17歳の家政婦が、高島忠夫・寿美花代夫妻の長男・道夫ちゃん(生後5カ月)を風呂に沈めて命を奪った事件。

 

しかも犯人の家政婦は、物取りの犯行に見せかけるため、室内を荒らして物色されているように装ったのだ。

 

高島忠夫と寿美花代は、1961年のテレビ番組『季節のミュージカル』の共演をきっかけに知り合い、その後交際に発展。2年後の1963年に結婚した。

 

そして翌年の3月に長男・道夫ちゃんを出産。

 

寿美は出産後も女優業を続けていたが、子守りは家政婦に任せていたという。

 

しかも、寿美は炊事に洗濯、掃除といった家事が全く出来なかったらしく、そのため家政婦を3人ぐらい雇っていたのだ。

 

その中の1人が事件の犯人で、当初この家政婦は警察に「不審な男が歩いてるのを見た」「長男が激しく泣いてるのを聞いた」などと証言。

 

しかし、他の家政婦の中で不審者を見た者は誰ひとりとおらず、長男の泣き声を聞いた者もいなかった。

 

当時、高島家では犬を飼っていて、不審者が近づくと激しく吠えるが、当日夜に犬は吠えていないことも判明。

 

その後も次々と不自然な点が見つかったため、家政婦を問いただしたところ、家政婦は自分の犯行であることを認めた。

 

寿美はテレビに出演した際、当時のことをこのように振り返っている。

「夜中に、道夫がどこでもいないってことになって、探し回った。一番最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。(道夫の周りに)泡がいっぱい出てて…。夜中2時すぎぐらいで、あちこち病院行ったけど、どこも受け入れてくれなくて。やっと1軒受けてくれた時には…」と。

 

そして現在も道夫ちゃんの写真を手帳の奥にしのばせ、肌身離さず持ち歩いているという寿美は、

「私が一緒に寝てやらんかったから…。忠夫にそっくりでね…。なんで殺されなあかんかったのか、分からないんですけど…」と涙ぐみながら、胸の内を吐露。

「いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない…」と現在でも苦しみ続けていることを明かしている。

高嶋政伸の兄殺人事件 犯人の家政婦

高嶋政伸の兄殺人事件は、熱狂的宝塚ファンであって、寿美のファンでもあった17歳の家政婦が犯人だった。

 

高島家の家事全般をその家政婦らがやっていたのだが、もともと家政婦は専門の紹介所から来た訳ではないという。

 

家政婦は地元の新潟県の中学校を1963年に卒業してから上京。

 

当初は東京都墨田区にある会社で働いていたという。

 

ただ、たまたまこの会社に高島夫妻の知り合いがいたこともあり、1963年暮れから高島家に家政婦として住み込みで働くことになったのだ。

 

高島夫妻はこの家政婦をよくかわいがっていたというが、その一方で家政婦はというと、寿美のアクセサリーを盗んだり、高島家の来客の財布から1万円を抜き取ったこともあったという。

 

それでも高島夫妻はクビにせず、最終的には高島忠夫が付き人として仕事に同伴させるようにしたそうだ。

 

家政婦はそんな高島夫妻の良心を踏みにじったわけだが、犯行の動機についても自分勝手な理由を述べている。

高島夫妻に長男が生まれた後は「長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになったと感じていた。」そして高島夫妻が仕事でアメリカへ行くことが決まった時に「他の女中へはお土産を買ってくると約束していたのに、自分は何も言われなかった」として思い悩んだ末に犯行に及んだという。

高嶋政伸の兄殺人事件 犯人の家政婦の判決やその後

高嶋政伸の兄殺人事件の犯人だった家政婦は、1965年6月に行われた裁判で、懲役3年から5年という不定期刑の判決が下された。

 

本来ならもっと重い刑罰が下されてもよいところだが、当時、家政婦は17歳で未成年だったことから、このような判決が下されたのだ。

 

その後刑務所で模範囚だった家政婦は3年で仮出所。2年後の1970年に結婚したが、相手はこれまでのことを知った上で、この家政婦と結婚したという。

 

その後、家政婦は事件の犯人として、数々のメディアに登場し、当時のことや高島夫妻に対し謝罪の弁を述べている。

「高島さんに詫びる気持ちは生涯変わりません」「(命日には)道夫ちゃんの写真の前にお花とかお菓子を添えて深くお詫びしているのです。これだけは一生欠かしません。道夫ちゃん、高島さん、奥さま、本当にごめんなさい」

高嶋政伸に誘拐未遂?

高嶋政伸は、幼少期のころに誘拐されそうになったことがあるという。

 

見知らぬ人物から誘拐予告の電話がかかってきたらしいが、当時は事件のこともあり、いたずら電話が頻繁にかかってきていたそうだ。

 

昔は芸能人の子供が誘拐されるという事件は珍しくなかった。

 

1955年には、人気芸人トニー谷の長男が下校途中に誘拐され、身代金200万円が要求されているし、1974年には津川雅彦・朝丘雪路夫妻の長女・真由子が誘拐され、身代金400万円が要求されているのだ。

 

この2件は無事犯人も捕まり子供も解放されているが、1997年に梶原一騎の長女が誘拐された際には、犯人への身代金受け渡しの失敗から、命を奪われてしまった。

 

政伸の場合も身の危険から刑事と半年間同居していたらしいが、結局は未遂に終わったということである。

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