有賀さつきの痩せ(画像)病名は乳がんを父親が否定!兄弟はいるのか?

元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが、1月末に他界していたことをスポニチが報じた。(享年52歳)
報道によると、有賀さんは昨年から闘病中だったが、病名については家族にも伏せていたとか。
乳がんだったという報道があるが、父親の洋さんは否定。本人の希望で詳しい死因などは発表しないことになっているということだ。
有賀さんに関しては、2年くらい前から痩せすぎているとネットなどで心配する声が出ていて、がんの噂が飛び交っていたほどだった。(画像あり)
だが、本人は周囲に病状をひたすら隠し、いつも気丈に振舞っていたという。
病名が乳がんだったことを父親が否定したが、カツラを着用してテレビなどに出演していたところをみると、おそらく癌を患い抗がん剤治療した影響で髪の毛が抜けてしまっていた可能性がある。
となると、やはり有賀さんの死因は癌だったのだろうか。
報道によると、有賀さんは昨年末までに仕事や私生活のことをすべて整理していたといい、今年のオファーなどは、父親の介護などを理由に断っていたという。
病気をしていても娘さんの育児、父親の介護と、自分のことは後回しにしていたという有賀さんに今回はスポットをあててみた。
有賀さつきの痩せ(画像)病名は乳がんを父親が否定
突然の訃報に驚きを隠せないでいるが、ここ1、2年テレビで見る有賀さつきさんの容姿は痩せすぎて、ネットなどで心配する声が出ていたほどだ。(画像あり)
しかも、カツラを着用していたことから癌の噂まさで囁かれていた。
(有賀さつきさんの痩せ画像)
また、有賀さんと番組で共演した元フジテレビの山村美智アナウンサーが当時、痩せすぎを心配して「体は大丈夫なの?」と聞いたら、「元気です」と答えていたという。
カツラについても、「それ、カツラなの?」って聞いたら「カツラは便利ですよ。カツラにしてみませんか?」と明るく答えていたそうだ。
そんな有賀さんは周囲や家族に病気を隠し、医師には病名を言わないように伝えていたという。
乳がんだったとの報道が流れ、父親が否定したが、病名は本人の希望で明かされない。
ただ、有賀さんの死因をめぐって古巣であるフジのが、行き過ぎた取材を行い、マスコミ関係者の間で批判が続出しているという。
フジの取材班が病名などを特定するため、入院していた病院内へ突撃を試みたそうなのだが、当然、失敗に終わっている。
「この状況で病名を特定したところで意義があるのか」とマスコミ皆が言っているそうなのだ。
有賀さつき 過去の不倫騒動
有賀さつきさんは過去に自身の行動、発言で世間から批判を受けたこともあった。
そのひとつが1995年の不倫騒動。
当時、29歳だった有賀さんは芸能事務所アップフロントグループの社長・山崎直樹氏との交際を週刊誌に告白したのだ。
突然の告白に世間は驚愕したが、当時の山崎社長は既婚者。嫁と3人の子供がいたため、有賀さんの発言は不倫を公表するという前代未聞の出来事だった。
ちなみに最近、小泉今日子と豊原功補が不倫を公表して世間を騒がせているが、ある意味で有賀さんが先駆者だったのかもしれない。
そして、週刊誌に告白した後、有賀さんは会見を開いた。
その際、有賀さんは山崎社長の家族に対し、謝罪するものと思われたが、逆に「山崎氏と結婚したい」とコメント。
当然、世間から叩かれ批判を受けることとなり、レギュラー番組も全部降板して干された状態になった。
そしてこの騒動の結末はというと、結局2人は破局。
山崎社長は元サヤに戻ることになったのである。
有賀さつきに兄弟はいるのか?
騒動後、しばらくテレビに出られなくなった有賀さつきさんは、休養中の合間を縫って色々と勉強していたそうだ。
そして、2002年にフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏と結婚。
和田氏とは一緒に政治の本を出しのがきっかけで2001年に交際に発展したという。
また同年11月には長女をもうけるが06年に離婚。
離婚後、有賀さんは元旦那・和田氏との結婚について、「一時は別れを決意したが、その2日後に妊娠が発覚。結局、子供のために何がいいのか考えた末、苦労する覚悟の上で結婚しようと思った」と語っている。
その後、シングルマザーとなった有賀さんは女手一つで娘さんを育ててきた。
そんな娘さんと有賀さんは以前「おしゃれイズム」に出演したこともある。
その際には絵の才能を発揮する場面が見られるなど、非凡な才能を見せつけていた娘さんもいまでは15歳に。
ちょうどこの春に中学校を卒業すると思われる。
ただ、娘さんがまだ15歳ということで世間からは心配する声が聞こえている。
高校はどうするのか、誰が引き取るのかなど。
高校に関してはおそらく中高一貫では?との噂があるが、真偽のほどは不明。
誰が引き取るのかについては、兄弟か元旦那の和田氏が引き取るのではないかと言われているが、ただ、有賀さんに兄弟がいるのかは分かっていない。
分かっているのは、父親・洋さんの仕事の都合で5歳から8歳までニューヨークで過ごしたということだけだ。
また、有賀さんのブログは昨年の2月で更新がストップしているのだが、そこには介護していることが書き込まれている。
有賀さんの母親は2年前に他界。介護していたのが父親なら娘さんを父親が引き取るのは難しそうだ。
自身が病気を患うまでの15年間は娘さんの子育てと親の介護に追われる日々をすごしてきた有賀さん。
そうとう無理がたたってしまったのかもしれない。
心からご冥福をお祈り申し上げます。