梅川昭美(三菱銀行人質事件)と角田美代子 女子行員の噂とは? 被害者の耳も?

梅川昭美 画像

この記事では、1979年(昭和54年)1月26日に発生した「三菱銀行人質事件」の犯人・梅川昭美(当時30)と、兵庫県尼崎市で起きた「尼崎連続変死事件」の罪に問われた角田美代子の関係。

 

ほかにも梅川が人質にとった女子行員らの噂や、被害者の男性の耳を削ぎとるよう指示したことなどについてまとめている。

梅川昭美(三菱銀行人質事件)と角田美代子の関係

「三菱銀行人質事件」とは、1979年(昭和54年)1月26日、大阪住吉区にある三菱銀行(現在:三菱東京UFJ銀行)北畠支店に猟銃を持った梅川が現金強奪を目的に押し入った事件。

 

犯人の梅川は目的を果たせなかったため、居合わせた客と銀行員40数名を人質にとって店内へ立てこもり、警察官や銀行員合わせて4人の命を奪った。

 

そんな凶悪犯の梅川昭美だが、噂によると、「愛人はあの鳴海清の元愛人・角田美代子だった」という説がある。

 

角田美代子 画像

 

鳴海清という男は、大日本正義団の元組員で、山口組組長・田岡一雄氏を銃撃したとして知られる人物。

 

鳴海はこのときの抗争の余波で命を奪われており、1978年9月17日、六甲山中の瑞宝寺谷で発見された。

 

そして、鳴海の愛人だったのが「尼崎連続変死事件」の主犯格とされた角田美代子だったと言われている。

 

角田美代子は2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自死して、もうこの世にいないが、 鳴海の死後に梅川昭美の愛人になったという噂だ。

 

ただし、これらの話は本当なのかどうかと言われると、その真偽は不明である。

梅川昭美(三菱銀行人質事件)と女子行員の噂

事件発生時に知らせを受けた大阪府警は130台のパトカーと警官720人で銀行を包囲。

 

同時に梅川昭美の母親や友人に頼んで、投降と人質の解放の説得を続けたという。

 

一方、その裏で強行突破の機会をうかがっていた警察は、梅川に気づかれぬようシャッターに小さい穴を開け、店内にいる梅川の行動などを観察し、救出作戦を練っていた。

 

しかし、度重なる説得は失敗。踏み込みによる強攻策も決断の糸口がつかめぬまま時は過ぎていった。

 

梅川は射殺されるまで42時間ろう城していたわけだが、その間はというと、人質の女子行員を全裸にさせていたのだ。

 

この件に関しては、新聞の一面に大々的に掲載され、「女子行員が全裸にされている」、「女子行員が服を脱がされている」と報じられた。

 

また、「三菱銀行人質強殺事件」の著書によると、女子行員が2回 にわたって全裸体操をさせられていたのがうかがえる。

 

梅川は全裸の女子行員たちに、床の上で一斉に脚を開かせたり、ラジオ体操をさせたりするなど、様々な痴態を命じて楽しんだとされている。

 

さらに男子行員と女子行員に性交するよう命じ、それを見物していたという噂までもあるが、真偽のほどは不明。

 

ただ、絶対服従を強いられた女子行員は、命令されるがままに行動しなければならなかったのは確かだった。

梅川昭美(三菱銀行人質事件)は被害者の耳も

梅川昭美は「三菱銀行人質事件」以外にも、15歳の時に殺人事件を犯して山口の特別少年院へ送致収容されている。

 

だが、当時の少年法では15歳までは刑事罰に問えないため、梅川は少年法に守られて、殺人の前科はつかなかった。

 

そんな梅川という男は凶悪な人物なので、やることもエグい。

 

責任者の支店長を見つけ出すと、「失敗したのはおまえのせいや」といって射殺するは、人質にとった男子行員に対し、生意気だと言って発砲。

 

この男性は反射的に身をかわしたため、致命傷を逃れたのだが、死んだふりをしていると、梅川は別の男子行員にナイフを渡し、「とどめを刺せ」と命じている。

 

その男子行員が機転をきかせ、「死んでます」と答えると、「だったら、耳を切り落とせ」と指示。

 

当初、男子行員は「できない」と命令を拒否していたが、やむなく小声で「スミマセン」といいながら左耳の上半分を切り落としている。

 

そして、死んだふりをしていた被害者の男性は、このとき当然激痛が走ったが、声を出すと自分も同僚も殺されるからとグッと我慢したと、事件後に語っている。

 

また、耳を切った同僚に対しては「恨みはない。これ以上被害者を増やしたくなかった」とコメントした。

 

そして事件発生から42時間経過した28日午前8時40分、銃声と同時に機動隊員20数人が次々に銀行内へと突入。

 

店内では梅川の隙をうかがっていた特殊部隊の狙撃班が、指揮官の合図のもと、梅川に向けて銃を発射していた。

 

結局、8発放たれた弾のうち、3発が梅川に命中。

 

その間に残った人質は無事救出された。

 

梅川は病院に搬送されたが、その日の午後5時43分に死亡。

 

こうして「三菱銀行人質事件」は解決した。

 

梅川の動機はサラ金や知人から抱えていた500万円の借金返済のためだった。

 

事件を起こす前年の3月ごろに銀行強盗を計画。

 

その際、大阪で出会った小学校時代の同級生、鍋島孝雄に犯行をもちかけていることも判明している。

 

だが、直前になって鍋島が「おれは降りる」と姿を消したため、単独で強行。

 

そしてこの鍋島という男だが、後に殺人幇助罪で逮捕されている。

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