黛ジュン 大物政治家って誰?兄や結婚遍歴 元旦那を検証!

黛ジュン 画像

歌手の黛ジュン(68)が4月7日放送の「爆報!THE フライデー」に登場し、大物政治家の愛人だった過去など、芸能界最大級のスキャンダルを告白した。

 

黛ジュンといえば、兄は作曲家の三木たかし氏、元旦那は元「ブルー・コメッツ」でベースを担当していた江藤勲氏、ドラマーの石田秀雄氏だが、兄の三木氏は2009年5月に、元旦那の江藤氏は2015年4月に死去している。

 

これまでに数々の恋愛で浮名を流してきた黛ジュンは、2度の結婚・離婚、2度の婚約破棄、2度の不倫を経験。

 

そのなかでも番組では、36歳のときに愛人だったという、大物政治家との不倫関係に注目された。

 

紅白歌手として活躍していた裏で、ある大物政治家と驚きの愛人生活を送っていたということだが、はたしてその大物政治家って誰だったのか?

 

当然のことながらその人物の名前は明かされなかったので、今回は大物政治家って誰だったのかを中心に検証してみたいと思う。

Sponsored Link

黛ジュン 大物政治家って誰?

1964年にデビューしてから53年が経つ黛ジュンは、2006年に発症した喉のアレルギーのため引退危機に立たされたが、現在は復活。

 

そんな黛ジュンだが、かつて2度の不倫を経験したそうだ。

 

1人目とは1984年、36歳のときに大物政治家が主催するパーティーでコンサートを行ったことをきっかけに愛人関係となった。

 

その政治家には妻子がいて、妻以外にも愛人が複数いたという。

 

黛は3人目の愛人だったらしいが、それでもファーストクラスで世界1周旅行したり、最高級ホテルのスイートルームに宿泊するなど、超セレブ不倫だったことを告白。

 

最初に愛人契約するときも、目の前に10個以上の高級指輪を差し出され、「好きなだけ持って行きなさい」と言われたそうだ。

 

ただし、愛人契約という条件付きだった。

 

それでも、黛はパールとダイヤの指輪を選んだという。

 

指輪の値段は鑑定書付きで総額1000万円。

 

その大物政治家とは誘惑に負けた形で、愛人契約を結んでしまったということだが、ある日、一緒に世界1周旅行している途中で急に冷めてしまったそうだ。

 

はたして、その大物政治家って誰だったのか。

 

1984年当時といえば、第2次中曽根内閣が発足されたころで、閣僚大臣には現在の総理・安倍晋三の父親・安倍晋太郎や、竹下登、森喜朗といった大物政治家がいた。

 

このなかに黛ジュンを愛人にしていた人物がいたとも考えられるが、ネット上の見解はまた、別の人物に目が向けられているようだ。

Sponsored Link

黛ジュン 大物政治家は浜田幸一?田中角栄?

黛ジュンが愛人だったという大物政治家について、ネット上では浜田幸一と田中角栄の名前が多くあがっている。

 

確かにこの2人ならじゅうぶん考えられそうだ。

 

「ハマコー」の愛称で知られる浜田幸一は、国会の暴れん坊として名をはせた人物。

 

(浜田幸一 画像)
浜田幸一 画像

 

若いころは反社会的組織に身を置き、事件を起こしたこともあった。

 

政治家に転身しても数々の暴言。

 

あげくにはカジノでの負債4億6千万円を肩代わりしてもらっていたことがバレて、議員辞職に追い込まれてしまったのである。

 

一方、その負債金を肩代わりしたのが、あのロッキード事件の証人喚問で「記憶にございません」と繰り返した小佐野賢治で、負債金の出所もロッキード事件で不正に渡った金ではないかという疑惑が持ち上がった。

 

小佐野賢治は、前内閣総理大臣・田中角栄と親交があった人物。

 

(田中角栄 画像)
田中角栄 画像

 

戦後最大の疑獄事件と呼ばれる「ロッキード事件」に関わった田中角栄ともども逮捕されている。

 

その「ロッキード事件」で逮捕された田中角栄と浜田幸一が、黛ジュンの相手の大物政治家とされているのだが、1984年当時の年齢は田中角栄が66歳、浜田幸一が56歳。

 

年齢から考えると、浜田幸一の方が有力のように思う。

 

そして、2人目の不倫は、50歳のころの1998年。

 

相手は米国在住の大富豪で、銀座のクラブで出会ったという。

 

既婚者だったが不倫関係は2年ほど続き、最終的には相手が妻に後ろめたさを感じて真相を打ち明けたことで破局したそうだ。

黛ジュン 兄や結婚遍歴 元旦那を検証

黛ジュンの兄は作曲家の三木たかし氏。

 

三木たかし氏は2009年5月11日、「下咽頭ガン」のため64歳の若さで亡くなっている。

 

(三木たかし 画像)
三木たかし 画像

 

黛ジュンの兄・三木氏は作曲家として数々のヒット曲を量産。

 

特に70年代~80年代にかけては、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」やテレサ・テンの「つぐない」など、現在でも歌い継がれる曲を作った人物として、今でも語り続けられている。

 

また、現在の黛は独身で、過去2回の結婚、離婚、婚約破棄の経験をしている。

 

1度目の結婚は1970年、21歳のときで、相手は元「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のメンバー・江藤勲氏。

 

しかし、旦那の江藤氏とはDVなどが原因となり、1973年に離婚。

 

江藤氏との結婚で一度芸能界を引退していたが、その後本格的に復帰した。

 

2回目の結婚は、41歳のときに7年間交際した6歳年下のドラマー・石田秀雄氏とだったが1994年に離婚。

 

離婚原因は、当時、旦那である石田秀雄氏の収入は、妻・黛の10分の1程度という格差婚だったため。

 

黛に面倒を見てもらっていたことを重荷に感じた石田氏から、離婚を切り出されたのだという。

 

また、婚約破棄に関しては、29歳のときの1977年にタイ人シンガーと国際婚約発表するも、300万円を貸した後に妻子がいることが発覚して破局。

 

2度目は53歳のときの2001年。

 

相手は15年来の友人だった作詞家の里村龍一氏と婚約を発表するも、その2ヵ月に婚約破棄。

 

原因は里村氏が知り合いのイタコに相談した際、「2人の相性が最悪。5年後には歌を辞めるように」と告げられたことがきっかけで、里村氏から婚約破棄を切り出されたという。

 

ともあれそれ以来、16年間独身を貫いている黛ジュンは、1964年に本名「渡辺順子」でデビューしたが、泣かず飛ばず。

 

1967年に石原裕次郎氏の事務所「石原プロモーション」へ移籍してブレイクした。

 

結局、2006年に発症した喉のアレルギーも兄・三木たかし氏との死別などストレスが重なり悪化したといい、引退の危機まで陥ってしまった。

 

現在は回復して歌手活動を再開しているが、以前のようにパンチの効いた歌声は鳴りを潜めている。

Sponsored Link

▲トップへ戻る