銀座の女王バラバラ事件の真相!真犯人と結末は?ネタバレ

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11月11日放送の爆報!THE フライデーは【爆報ミステリー・実録!名前の出せない芸能界事件簿第11弾】と題して、「銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件」の真相に迫る。

 

1967年に起きたこの事件は当時、歌手を目指すために上京したばかりの19歳少年が、いつの間にか犯罪に手を貸していたことで逮捕されてしまった。

 

事件の裏には、銀座という華やかな夜の世界に罠が潜んでいたのだった。

 

真犯人はいったい誰なのか?

 

はたまた犯行の動機は何だったのか?

 

ネタバレになるが、今回放送される「銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件」の真相、結末について迫ってみようと思う。

銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件の真相

「銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件」とは1967年に当時、「銀座の女王」 と呼ばれ「1億円貯金の持主」としても有名だったナイトクラブのマダム・山崎美智子さん(当時28歳)が何者かにあやめられた事件である。

 

被害者となった美智子さんは銀座のバーにママとして勤務。

 

ほかにも赤坂のレストランを経営していた。

 

美智子さんは樺太の出身で父親が北海道の江別市議という家庭に育った。

 

家は裕福だったが、札幌の女子高を卒業した昭和35年に上京し、銀座や赤坂の一流クラブで働いた。

 

美人なうえに会話が上手い美智子さんの接客は、たちまち評判となり政財界の重鎮や芸能界などの社長が指名するようになり、ついには銀座でNO1ホステスにまで上り詰めた。

 

その後、赤坂のホステス時代に「銀座で店を持たないか?」と誘いを受け、バー「ブラックタイ」を開店。

 

それから間もなしに赤坂で深夜レストラン「ローヤルパレス」までも開店させた。

 

開店させたバー「ブラックタイ」は銀座の中でも高級店。

 

ビールが小瓶1本500円、テーブルチャージ1000円、ホステスサービス料1人3000円、オードブル1000円、突き出し500円で、客1人が店に入ってビール1本飲むだけで6000円取られる。

 

それ以外にも特別サービス料が加算されるという仕組みだったようだ。

 

事件が起きたのは1967年11月3日。

 

当時、美智子さんは港区六本木3丁目のマンション8階に住んでいたのだが、何者かに呼び出され港区赤坂7丁目のプリンスマンション5階の一室であやめられてしまう。

 

事件の発端は犯人と美智子さんの金銭上トラブルから引き起こされたもの。

 

犯行の動機は金銭目的で、犯人は美智子さんをあやめて千葉県銚子の海岸と隅田川に捨てたのだ。

 

それを手伝ったのが、歌手を目指すために上京したばかりの19歳少年だった。

 

少年は何も知らずに犯行の手助けをしていたのである。

 

この事件の真相は、19歳少年が真犯人に騙されて美智子さんを捨てるのを手伝ったこともその1つだった。

銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件の真犯人と結末は?ネタバレ

ネタバレになるが、「銀座の女王(NO1マダムA)バラバラ事件」の真犯人と結末に迫ってみようと思う。

 

19歳少年が犯人に騙されて逮捕されてしまうのだが、真犯人は美智子さんから金を奪い取ろうとした金融業兼芸能マネージャーの伊藤和義こと韓和義(当時23歳)だった。

 

少年が逮捕されたきっかけは、中野区でスナックを経営している男性が「同居している歌手志望の少年が、人間を捨てるのを手伝ったと言っている」と中野署に通報したことからだった。

 

事件当日の11月3日、少年は赤坂のマンションに住んでいる伊東を訪ね、芸能関係のことを色々と教えてもらっていたという。

 

そのうちに伊東から銚子へドライブに行こうと誘われ、少年は伊藤とドライブへと出かけた。

 

帰りに伊東は車のトランクから8つの包みを取り出して付近の草むらや沼地に捨てるのを少年が手伝わされている。

 

このとき少年は伊藤の部屋に血痕があることを思い出し、包が大きくて数が多かったことなどから、人間が入っていたのではないかと疑問に思うのだった。

 

そこで、勤務先のスナック経営者に相談したとのことだった。

 

ここから事件の結末を迎える。

 

中野署はこの少年を事情聴取し、そこから伊東が浮かび上がり署に引っ張った。

 

そして取り調べをしたところ、最初は捨てたのは犬だったと嘘の供述をする。

しかし厳しく追及したところ実はクラブのマダムで「銀座の女王」と呼ばれた山崎美智代さんだったことを自供し、逮捕されたのである。

 

伊藤の父親は福島でキャバレーやパチンコ店を経営する韓国人で母親が日本人。

 

昭和37年に福島県内の高校を卒業した後、上京して浅草の食品問屋に住込みで働いていたが、昭和41年に店を辞めている。

 

その後、伊藤は銀座や赤坂の一流クラブへ出入りし、美智子さんと1年半前に赤坂の店で知り合った。

 

だが、実際のところ伊藤は資金繰りが苦しいのに派手な生活をしていたという。

 

伊藤の供述では美智子さんは以前共同経営していたバーの経営権でトラブルを起こし、共同経営者に毎月60万円を支払うことになった。

 

そこで、金融業も営む伊東から100万円の融資を受けたということだった。

 

だが、約束の日になっても返済はなし。

 

それどころか、月2%の利子での250万円を貸してほしいと頼まれたことに腹を立て、ボーリングのピンで殴ったと供述したが、これも嘘だった。

 

事件の真相は計画的な犯行だった。金を借りに来た美智子さんに伊藤は小切手を証拠代わりに置いて行くよう要求。

 

これを美智子さんが断わると、伊藤は小切手帳や金を奪った。

 

そして美智子さんをあやめた後、持っていた時計などを質屋へ入れて換金。

 

警察が裏付け調査した結果、ほかにも伊東が美智子さんに金を融資した際、額面合計302万円の約束手形を受け取っており、伊東はこの手形を無くしたと偽って美智子さんに手形の再発行を要請して倍の金額を手にしようと計画していたことも判明した。

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