日航機墜落事故の生存者 川上慶子の現在と自衛隊員の射殺報道とは?

日航機墜落事故 画像

1985年(昭和60年)8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行きの日本航空123便が、群馬県の御巣鷹山尾根に墜落してから今年で33年目を迎えた。

 

乗員、乗客合わせて524名を乗せたJAL123便の「日航機墜落事故」は、520名もの犠牲者を出した史上最悪の航空機事故となったのである。

 

また、日航機墜落事故は、520名もの犠牲者が出た一方で、重傷を負いながらも命が助かった4名の生存者がいた。

 

生存者に至っては、当時、墜落現場に向かった自衛隊員が、ヘリコプターを使って救出しているところをテレビニュースで見た人も多いかと思う。

 

今回はそのときの生存者の1人、川上慶子さんの現在や、日本航空123便が墜落して救助に向かった自衛隊員が、射殺されたというウワサについても調べてみた。

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日航機墜落事故の原因

1985年(昭和60年)8月12日、JAL123便が相模湾上空で垂直尾翼を失い、制御不能となって群馬県の御巣鷹山に墜落した。

(関連記事)…タンス航空204便墜落事故の真相!原因は操縦士?日本人の乗客は?

 

ところがこの「日航機墜落事故」は原因に不可解なことが多いため、陰謀説もささやかれるのだ。

 

中でも「自衛隊のミサイル誤射」、「米軍の撃墜」などの陰謀説がネット上に駆けめぐっているわけだが、いまだ墜落原因の真相究明には至ってない。

 

そして、後の事故調査報告書では、123便の墜落原因として次の3つが考えられると公表された。

1、圧力隔壁の損壊

飛行中に事故機の後部圧力隔壁が損壊、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に漏れ出した。

これに伴い機体尾部と垂直尾翼が破壊された。

また、4つの油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出。機体は操縦機能を失った。

2、金属疲労と亀裂

圧力隔壁の損壊は、接続部の金属疲労により亀裂が生まれ、隔壁の強度が低下。

そのために、与圧に耐えられなくなったことで生じたと推定できる。

3、過去のしりもち事故

当該機は1978年に「しりもち事故」を起こしている。

その際、ボーイング社による修理が不適切だったこと。

また、点検で、これらの異常を発見できなかったことも事故原因の一つである。

 

しかし、この事故調査報告書は1999年11月に廃棄処分されている。

 

さらに、機長の声が入っているボイスレコーダーの録音テープなどの資料も処分されたというのだから、「政府にとって都合が悪いことを隠ぺいしてる」と思われても仕方ないのだ。

 

とりあえず、日航機墜落事故の陰謀論はこの先も続くだろうし、真実についても一生語られることはないのかもしれない。

 

その中で100パーセント分かっているのは、生存者が4人いたということだけだ。

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日航機墜落事故の生存者 川上慶子の現在

日航機墜落事故は520名の犠牲者を出したが、4人の生存者が発見された。

 

奇跡的に助かったのは、日航客室乗務員で、当日客として乗り合わせていた落合由美さん、吉崎博子さんと美紀子さんの親子、当時12歳だった川上慶子さんの女性4人で、全員が機体後部の座席にいた乗客だった。

 

そこで生存者4人の現在を調べてみると、親子で助かった吉崎博子さんは現在67歳、美紀子さんは41歳になっていて、今もいっしょに東京都内にある母方の実家で元気に暮らしているという。

 

落合由美さんは現在59歳になっていて、大阪府内で暮らしているとか。

 

それに落合由美さんは事故から長くして取材には答えていない。

 

ただ、何年にもわたる日航側の講演要請に対し、安全教育セミナーを開いて、事故前後にあった自身の近況などを語ったという。

 

そして、北海道旅行の帰りに家族で123便に搭乗していた、川上慶子さんは現在45歳になっている。

 

日航機墜落事故 生存者 川上慶子 画像

 

家族の中で唯一助かった川上慶子さんは、事故後、島根県で祖母と123便に搭乗していなかった兄の3人で生活していた。

 

しかし、墜落事故のニュースで有名になったため、嫌がらせの電話がかかってきたり、ストーカーまがいの行為に長く悩まされたという。

 

その後の川上慶子さんは、保健士だった母親の遺志を継いで、兵庫県の病院で看護士となって働き始めた。

 

そんな慶子さんは、やがて趣味のスキューバダイビングがこうじてアメリカで現地の男性と知りあい、2002年秋に結婚。

 

現在は、看護師を辞めて、会社員の夫と2人の息子、娘といっしょに西日本の都市でひっそりと暮らしているそうだ。

日航機墜落事故で亡くなった著名人とJAL123便に搭乗する予定だった芸能人

日航機墜落事故では、著名人も犠牲者となった。

 

『上を向いて歩こう』で知られる歌手の坂本九さんが、日航機墜落事故の犠牲者ということは有名で、ほかにも宝塚歌劇団の北原遥子さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品代表取締役社長の浦上郁夫さんら財界人も123便に搭乗していて亡くなったのである。

 

一方、墜落したJAL123便に搭乗していたはずが、予定変更になって搭乗しなかったため命が助かった芸能人もいた。

 

事故した123便に搭乗する予定だった話で、有名なのは明石家さんまだ。

 

さんまは事故当日、「オレたちひょうきん族」の収録があって、その後に123便で大阪入りするはずだった。

 

ところが、収録が早く終わったため、1つ早い便に変更して難なく事故を免れたのだ。

 

さんまはこの経験を機に、東京―大阪間を移動するときは新幹線を利用するようになり、自身の座右の銘「生きてるだけで丸儲け」を生み出した。

 

自分の子供・いまるは日航機墜落事故から生まれた座右の銘「生きてるだけで丸儲け」から名付けたのだという。

 

ほかにも稲川淳二が当日、体調が悪くなって123便の搭乗を回避。

 

大阪入りを次の日にして、飛行機から朝一番の新幹線に変更している。

 

また、1993年にがんで亡くなった逸見政孝さんも、家族4人でJAL123便に搭乗する予定だった。

 

しかし、息子の逸見太郎が「4人なら新幹線の方が安い」と直前に言いだしたため、大阪へは新幹線を利用して事故を回避したということだ。

日航機墜落事故 自衛隊員の射殺報道とは?

日航機墜落事故は、もっと早く現場に救出に向かっていたら、ほかにも助かった人がいたはずだと言われている。

 

事故直後は生存者4人以外にも、生きている人たちがいたという証言があるからだ。

 

しかも米軍が墜落した場所を特定していたのに、救助せずに突如現場を引き返しているのである。

 

このようにあまりにも不可解なことが多い「日航機墜落事故」なのだが、ニュース速報に流れたときにも不思議な出来事があったのだそうだ。

 

私自身は知らなかったことなのだが、123便が墜落したした際、NHKニュースが「長野県警によると、待機していた自衛隊員が何者かに銃撃されて、射殺されました」というテロップを出したという。

 

しかし、後になって、「自衛隊員が射殺されたというのは誤報でした」というテロップが流れたのだそうだ。

 

この誤報テロップは3回ほどニュースの中で流れ、アナウンサーが謝罪していたということなのだが、はたしてそんなことがあったのだろうか。

 

ネット上では「そのようなテロップは流れていない」という声や、「待機命令を無視して救助に向かった自衛隊員が、1名射殺された」とニュースが流れていたという声もある。

 

どちらが本当なのか、真偽のほどは不明だが、個人的には「自衛隊員が射殺された」というニュースが流れたのは、誰かの作り話でデマだと思っている。

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