ブラジル バスジャックの犯人 サンドロ ド ナシメントと人質女性のその後がヤバい!

ブラジル バスジャック 犯人 画像

2000年6月12日ブラジル・リオデジャネイロで、174路線バスの乗客11人を人質に立てこもる事件が起きた。

 

バスジャックした犯人の名前はサンドロ ド ナシメント。

 

この日、サンドロ ド ナシメントは、最初にバス強盗を実行していた。

 

ところが、すぐに通報され計画が失敗に終わり、警察に取り囲まれてしまう。

 

逃げ遅れてしまったサンドロ ド ナシメントは銃を振りかざし、そのまま乗客を人質にとって立てこもったのだ。

 

また、現場ではバスジャック事件のことがまたたく間にマスコミに知れ渡り、テレビ局のリポーターたちが押し寄せた。

 

そして、多くのテレビ局がこのバスジャック事件を、ブラジル全土に生中継したのである。

 

結局、バスジャック事件の模様は4時間に渡り生中継され、テレビを観た野次馬たちも現場に駆けつける騒ぎに。

 

その後も、騒ぎでパニック状態になった犯人・サンドロ ド ナシメントと、警察の緊迫した攻防が続けられた。

サンドロ ド ナシメントの生い立ち

ブラジル バスジャックの犯人・サンドロ ド ナシメントの生い立ちは、1978年7月7日にリオデジャネイロでもっとも貧しいスラム街で生まれた。

 

父親はサンドロ ド ナシメントが生まれる前に亡くなっているため、母親に育てられたという。

 

それに貧しいスラム暮らしでも、サンドロ ド ナシメントは明るい元気な子だった。

 

しかし、幼い頃に母親を目の前で殺され、親戚の叔母に引き取られてから人生は一変する。

 

サンドロ ド ナシメントは母親のことを忘れようと、叔母と妹のもとから離れ、路上で暮らすストリートチルドレンとなったのだ。

※ストリートチルドレンとは、家が貧しかったり、親に育ててもらえなくなり、都会の路上で働いたり生活している子どもたちのことをいう。

 

その後、サンドロ ド ナシメントは、リオデジャネイロの旧市街にある「カンデラリア教会」に住んだ。

 

カンデラリア教会は、薬物の売買など犯罪に関わった家の無い子供たちの簡易宿泊所として、飲食や教育指導などの援助を行っている場所であった。

カンデラリア教会虐殺事件に遭遇

1993年7月23日、当時15歳のサンドロ ド ナシメントは、カンデラリア教会に宿泊する「ストリートチルドレン虐殺事件」を体験する。

 

この事件は「カンデラリア教会虐殺事件」と呼ばれるもので、警官を含む武装した集団が銃を乱射し、8人のストリートチルドレンが亡くなったのだ。

 

ブラジルのストリートチルドレンたちは、生きていくために窃盗や強盗などの犯罪を行うので、警察や市民にとっては邪魔な存在。

 

また、警察によるストリートチルドレンに対する暴行は日常的に行われていたのだ。

 

そして、ついに襲撃事件が起きるのだが、当日、サンドロ ド ナシメントもカンデラリア教会に居た。

 

目の前で次々と仲間が虐殺されたが、サンドロ ド ナシメントは生き残ったのだ。

 

この事件に衝撃を受けたサンドロ ド ナシメントは、この頃から薬物を吸引するようになった。

 

さらに生活を維持するために、窃盗を繰り返すようになったという。

 

そうした犯罪を繰り返したサンドロ ド ナシメントは、度々補導され、結局パードリ・セヴェリーノ少年院送りに。

 

少年院から出てきても、再び犯罪に手を染め、刑務所に何度も収監される生活を送ったのだった。

サンドロ ド ナシメントと人質女性のその後

ブラジル バスジャック事件を起こした犯人のサンドロ ド ナシメントは、人質の乗客を脅しはするものの、もともと殺す気など全くなかった。

 

というのも、ストリートチルドレンとして犯罪に手を染めてきたが、殺人は1度もしたことがなかったのだ。

 

それでも「自分はカンデラリア教会虐殺事件の生き残りだ」と発言し、警察を挑発。

 

何度も「俺には失うものは何も無い」と叫んだりした。

 

そして、膠着状態が続く中、サンドロ ド ナシメントは、乗客の男子大学生や持病の発作を起こしかけていた老婆など、数人の人質を開放する。

 

また、残った人質に対しては、発砲するから死んだフリをするように命じたり、悲鳴を上げさせ犠牲者が出ているかのように演技させたのだ。

 

しかし、この自作自演も警察は、犯人と人質らの芝居であることを見抜いていた。

 

理由は、サンドロ ド ナシメントが殺人を犯した犯罪歴がないことと、人質の中に一か八かで脱出を試みる者が誰一人としていなかったからである。

 

結局、人質に発砲したフリをして警察を挑発しても事態は進展せず。

 

サンドロ ド ナシメントは銃を外に向けて発砲したり、人質の女性に口紅を使ってフロントガラスに『6時に彼は私達を皆殺しにする』というメッセージを書かせたりした。

 

ブラジル バスジャック事件 画像

 

そして、予告時間の午後6時10分前、ついに事態は動く。

 

サンドロ ド ナシメントが人質女性1人を盾に取り、バスから降りてきたのだ。

 

すると、配備していた特殊部隊がサンドロ ド ナシメントの背後に接近。

 

物音に気付いたサンドロ ド ナシメントが振り返ると同時に、特殊部隊員が2発の銃弾を発砲した。

 

しかし、特殊部隊の発砲は失敗しており、1発は盾となっていた人質女性の顔に当たっていたのだ。

 

一方、犯人のサンドロ ド ナシメントも反撃で3発発砲する。

 

ところが、3発の銃弾もまた、人質女性の背中に命中してしまった。

 

人質女性は教師でその後、病院に搬送されたが死亡が確認された。

 

また、無傷のサンドロ ド ナシメントのもとには待機していた警察だけでなく、バスを取り囲んでいたヤジ馬も乱入し、現場は大混乱となる。

 

そして、警察に取り押さえられたサンドロ ド ナシメントは、そのまま警察車両に押し込まれ連行されるのだが、事件にはその後の続きがあった。

 

サンドロ ド ナシメントは、警察に連行される道中、車内で首を絞められ絞殺されたのだ。

 

これがブラジル バスジャック事件の結末である。

 

警察の発表によれば、犯人のサンドロ ド ナシメントが、警察車両の中でひどく暴れたため、やむを得ず首を絞めて気絶させようとした、とある。

 

結局、サンドロ ド ナシメントの犯行動機は、生きるための犯行であって、殺人を犯すつもりは到底なかった。

 

なお、サンドロ ド ナシメントを窒息死させた警察官は無罪となり、その後の現在も警察官として働いているという。

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