西沢裕司の両親 家族構成は?学歴や現在の自宅は?全日空61便ハイジャック事件

西沢裕司 画像

「全日空61便ハイジャック事件」は、1999年7月23日に東京・羽田から北海道・新千歳に向けて飛び立つボーイング747-481Dの機内で発生した。

 

過去にもテレビで幾度となく取り上げられているこの事件は、日本のハイジャック史上初めて犠牲者が出た凶悪事件である。

 

ハイジャックした犯人は、東京江戸川区小岩の無職・西沢裕司受刑者(当時28歳)で、現在は無期懲役の判決で服役中。

 

被害者となった長島直之機長(当時51歳)は結果的に身代わりとなり、乗客503人の命を救ったとして総理大臣顕彰状、運輸大臣表彰の表彰状が送られた。

 

そこで今回は、西沢裕司が一体どんな人物だったのか。

 

両親の職業や家族構成、学歴、現在の自宅がどうなったのかを検証してみた。

西沢裕司の両親の職業と家族構成

「全日空61便ハイジャック事件」の犯人・西沢裕司は逮捕後の精神鑑定で「アスペルガー障害」と鑑定されている。

 

家族構成は、父親、母親の両親の他に、兄と祖母という高学歴一家に生まれ育ったという。

 

当時、両親の職業は、父親が特許事務所勤務で母親が専業主婦、東京工業大学出身の兄は大手化学メーカーに勤務していた。

 

また、両親が真面目だったためか、西沢裕司の少年時代は全国有数の進学校に通い、成績は常にトップクラス。

 

近所でも評判の真面目な少年だったそうだ。

 

そんな優等生だった西沢裕司が、なぜハイジャック犯へと変貌したのか。

 

同級生によると、少年時代の西沢裕司はとにかく真面目で、性格はおとなしく、ほとんど友達がいなかったとか。

 

そのかわり電車や飛行機が大好きだったという。

西沢裕司の学歴

家族が高学歴だったこともあり、西沢裕司の学歴も高かった。

 

しかし、学歴があっても、満足の行く職に繋がらなかったのである。

 

それに生い立ちに目を向けると、1970年に生まれた西沢裕司は、小学校2、3年生の時にいじめに遭っている。

 

小学校を卒業すると、中高一貫の名門、武蔵中学に合格。

 

武蔵高校時代は「東大以外はダメだ」と友人に語っていたらしいが、卒業後は一浪して一橋大学に入学した。

 

そんな西沢裕司の夢はジャンボ機のパイロットで、少年時代から乗り物が好きだったという。

 

難関の一ツ橋大学に進学し、エリートコースに進むが、このころはというとすでに大の航空機マニアだったのだ。

 

その証拠に西沢裕司は、専門家でも難しいとされる30種類以上ある羽田の着陸パターンをすべて覚えたという。

 

大学時代を一言でいうと、友達が少なく、鉄道や飛行機といった乗り物が大好きだったオタク。

 

フライトシュミレーションゲームに凄くのめりこんで、パイロットを目指していたそうだ。

ハイジャックの動機

「全日空61便ハイジャック事件」の犯人・西沢裕司は、大学2年の時、航空機に接していたいという理由で羽田空港の荷物を積み込むバイトをしていた事がある。

 

さらに航空関係の書籍を読み漁り、日夜猛勉強。

 

そして、日本航空 全日空、日本エアシステムと大手航空会社の入社試験を受けた。

 

その後、合否を伝える通知が届くと、結果は3社とも不採用。

 

長年抱いた夢が無残にも砕け散ったのである。

 

その6年後にハイジャック事件を起こすわけだが、航空会社が不採用となった西沢裕司は、やむなく航空業界ではなく鉄道会社「JR貨物」に入社した。

 

しかしわずか2年で退職。

 

理由はコミュニケーション能力不足から対人関係でつまずき、うつとなって放浪するのだった。

 

そのころの西沢裕司は、エリート人生で味わった最初で最大の挫折で生きる気力を失っていたという。

 

しかも放浪後は3年間仕事は見つからずに、自宅に引きこもる生活を送っていた。

 

その一方で、航空に対する執着だけは肥大していく。

 

引きこもってはフライトシュミレーションゲームに熱中し、航空工学書を読み漁ることを繰り返していた。

 

そんなある日、西沢裕司は部屋に転がっていた羽田空港のターミナルビルの図面を見つける。

 

図面を見てあることに気付いたのだ。

 

それは羽田空港警備に発覚した重大な死角、「手荷物検査をすりぬけられること」だった。

 

図面通りなら機内に凶器を持ち込まれる可能性がある。

 

西沢裕司は、自分が見つけた欠陥を羽田空港事務所に伝えれば知識が認められ、夢だった航空業界への就職の道が開かれるかもしれないと考えた。

 

そして、西沢裕司は後日、実際に確かめてみると、難なく手荷物検査をすることなく入ることが出来たのである。

 

これで欠陥を確信し、自分で見つけた仮説が証明された。

 

次のステップとして、空港警備上の欠陥を細かく説明する文章を作成し、運輸省、東京航空事務所、日本航空ビルディング、主要航空会社3社、警視庁東京航空警察署、新聞各社に実名で送ったのだ。

 

文章には警備の強化対策を提案する旨が書かれていて、実際に空港当局も警備強化を対策会議を開き検討している。

 

だが、結局、警備の強化は人件費などを理由に先送り。

 

業を煮やした西沢裕司は、電話で警備の対策がされてないことを理由に「自分をガードマンで雇って欲しい」と頼んだが、断られたのだ。

 

自ら見つけた空港警備の死角が、どん底から這い上がる最後の望みだった。

 

だが、意見は聞き入れられなかったことで、一度は絶たれた夢をかなえる最後のチャンスが消えた。

 

そこで西沢裕司は「ハイジャックを成功させて正しいことを証明してやる」と考えたのである。

 

思い描いたシナリオは、ハイジャックしたジャンボジェットを自分で操縦すること。

 

さらにゲームでは完璧にこなせるお台場のレインボーブリッジくぐりを成功させるという動機が、西沢裕司をハイジャック犯に仕立て上げたのだった。

(関連記事)

西沢裕司の自宅 現在はどうなっている?

東京江戸川区小岩にあった西沢裕司の自宅は、逮捕後に両親が遺族の賠償のために売り払った。

 

その後、家族は田舎に移住したそうだ。

 

また、被害者となってしまった長島直之機長の妻・久実子さんは事件後、ショックでカウンセリングを受ける日々を過ごしたという。

 

久実子さんによると、事件が起きなければ長島機長は、退職後、外国で飛行技術を教えるボランティアを考えていたと話す。

 

長島機長は立教学院の出身で、小学校から大学まで一貫して立教学院での教育を受けたとか。

 

しかも家族には、聖公会の信徒もいて、日曜学校に通った時期もあったということだ。

 

それにしてもこの事件は、羽田空港が犯人の指摘を聞いていれば防げたことである。

 

羽田空港は、事件が起きてから凶器の持ち込みを防ぐため、「逆流防止ゲート」を設置したが、長島機長の妻・久実子さんは「もっと早く改善すれば事件は起こらなかった」と悔しさをにじませる。

  

▲トップへ戻る