加藤智大 弟の死因と母親の現在は?動機と実家はどうなった?

加藤智大 画像

2008年6月8日に東京・秋葉原の歩行者天国で発生した「秋葉原無差別殺傷事件」から10年が経過した。

 

犯人の加藤智大(かとうともひろ・35)は、交差点に2tトラックで突入して通行人をはねた後、ナイフで襲い、7人を死亡させ、10人に負傷させたとして死刑が確定している。

 

加藤智大死刑囚は、この事件で家族に大きい影響を与えた。

 

事件後まもなくして弟は自ら命を絶ち、父親と離婚した母親は責任を感じるあまり体調を崩して入院したという。

 

そこで今回は、加藤智大死刑囚の弟の死因や犯行の動機、現在の実家の様子などを調査してみた。

加藤智大の動機

「秋葉原無差別殺傷事件」「秋葉原通り魔事件」と呼ばれる事件の犯人・加藤智大死刑囚は、逮捕された後「誰でもよかった」と供述したそうだ。

 

加藤智大死刑囚は事件当時、日研総業からの派遣社員として、静岡県裾野市にあるトヨタグループの自動車メーカー「関東自動車工業」の東富士工場で働いていた。

 

しかし、派遣切りされたことに腹を立て、社会に復習することが犯行の動機に結びついたと報じられたのだ。

 

ところが、本当の動機は違うようなのである。

 

当時、加藤智大死刑囚は携帯サイトの掲示板に自分のスレッドを立てて楽しんでいた。

 

ネットの掲示板に依存していた加藤智大死刑囚だったが、ある日別の人間が加藤を名乗り、掲示板を乗っ取ったのだ。

 

乗っ取られたことが辛かった加藤死刑囚は、自分が本物の加藤なんだというのを証明するために、事件の当日「今から秋葉原に突っ込みます」とネット掲示板に犯行予告書いた。

 

ようするに、事件を起こして有名になろうとしたのが、本当の動機だったとされている。

加藤智大の生い立ち

この事件は、加藤智大死刑囚の生い立ちを語らずして始まらない。

 

加藤智大死刑囚は教育熱心だった両親から厳しく育てられ、子供のころは叱られると、玄関前に閉め出され、泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくなかったという。

 

近隣住民によると、「しつけか、虐待か分からなかった」と語っているのだ。

 

そんな加藤智大死刑囚の幼少期は、父親の仕事の関係で青森の五所川原市に住んでいた。

 

その後、父親が転勤になったことで青森市へ移住。

 

佃小学校時代の加藤智大死刑囚は、同級生の前では活発な少年だったといい、成績が良くて頭も良い。

 

先生からも生徒からも頼られる存在で、明るい生徒だったという。

 

ただ、両親はしつけや教育、すべてにおいて厳しく、加藤智大死刑囚は小学生の時、弟を連れて家出したこともあった。

 

そのときは両親に叱られ、3キロ離れた親戚の家まで歩いて行ったそうだ。

 

また、佃中学時代の加藤智大死刑囚はというと、成績はトップクラス。

 

テニス部で活躍し、学級委員も務めた。

 

加藤智大死刑囚は当時のことを掲示板に次のように書き込んでいる。

 

「親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧」。

 

ところがその後、青森高校に進学してからつまずきが始まったことをうかがわせる書き込みがある。

 

「県内トップの進学校に入ってあとはずっとビリ」。

 

加藤智大死刑囚が進学した青森高校は、100年以上の歴史がある進学校で、母親もこの高校の卒業生。

 

息子が合格した際は、親戚に嬉しそうに報告したという。

 

だが、高校時代の加藤智大死刑囚はというと、周りが大学受験を目指す中、ほとんど勉強していなかった。

 

成績は学年350人中、300番台だったとか。

 

志望の大学があって、それを視野に入れて勉強しているというのはなかったそうだ。

 

それに大学に関しては、両親が4年制大学への進学を望んでいたのに対し、加藤智大死刑囚は自動車整備士を養成する短期大学を志望していた。

 

親の引いたレールから逃れたいという気持ちと、反発もあったのだろう。

 

加藤智大死刑囚が進んだのは、青森から遠く離れた岐阜県にある「中日本自動車短期大学」だった。

 

自分の希望を押し通しての進学。

 

しかしこの後、加藤智大死刑囚の人生は大きく変わっていく。

 

将来の夢を「中学校の教員になりたい」と明かしていたが、短大になじめず、就職先も決まらないまま卒業した。

 

そして加藤智大死刑囚は、派遣など非正規雇用の仕事を渡り歩いたのである。

 

派遣先は宮城県の警備会社に始まり、埼玉県の自動車工場、そして茨城県の建材メーカーと各地を転々とし、最終的に都内に本社がある派遣会社「日研総業」に登録。

 

そこでは、静岡県裾野市にあるトヨタグループの自動車メーカー「関東自動車工業」の東富士工場に派遣された。

 

職場内での加藤智大死刑囚は、誰に対しても紳士的な態度を取っていたという。

 

しかし、犯行3日前の朝に出社した加藤死刑囚は、自分の作業着がないと腹を立て、「会社はなめてる」、「ふざけんな」と大声て騒いでいたそうだ。

 

加藤智大死刑囚に関して聞かれるのは、明るく快活だが、突然キレる。

 

果たしてどちらが本当の素顔なのか。

 

「いい人演じるのは慣れてる。みんな簡単に騙される」と、掲示板に書き込んでいた加藤智大死刑囚の身勝手な犯行で、実に7人の尊い命が失われてしまった。

加藤智大の弟の死因は彼女?

加藤智大死刑囚は両親と弟の4人家族で、青森高校を卒業するまで青森市佃の自宅で暮らした。

 

高校を卒業した後は、弟も仙台の学校に進学。

 

だが、その弟は兄の智大死刑囚が事件を起こした6年後に、自ら命を絶ったのである。

 

凶悪な犯罪を家族の者が犯した場合、宮崎勤の一族の末路のように、まるで我がことのように感じてしまうのはよくあることだ。

 

 

加藤智大死刑囚の弟も現在、この世に存在しないのだが、死因の「自害」についての方法までは報じられていない。

 

聞くところによると、始めは餓死してこの世を去ろうとしたようだが、この方法は失敗に終わったという。

 

また、城ケ倉大橋から身投げしたというウワサが広がっているが、この話はあくまでウワサなので真相は定かでないのだ。

 

ところで、加藤智大死刑囚の弟を自害するまで追い込んだ原因とは、一体何だったのか。

 

亡くなったときの弟の年齢は28歳。

 

事件後、職を失い、家を転々とするも、支えてくれる彼女が出来た。

 

彼女には事件のことを打ち明けて交際していたが、結婚の話になると、交際を認めてくれていた彼女の両親は猛反対したそうだ。

 

結局、マスコミにも追いかけられ、挙げ句の果てに彼女から「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」という言葉を投げかけられてしまう。

 

この言葉によって傷ついた弟は彼女と破局。

 

彼女との破局が弟に深い絶望を与えたのである。

 

そう思うと、やはり死因に繋がったのは彼女のことが関係していたのだろうか。

 

弟の死因については、ほかにもネットで叩かれていたり、マスコミに追い掛け回されたりしていたので、彼女だけが原因だったとは一概に言えないのかもしれない。

加藤智大の母親の現在や実家は?

「秋葉原無差別殺傷事件」は、母親の教育が加藤智大死刑囚を犯罪者に仕立て上げたとされている。

 

加藤智大死刑囚の母親の実家は、北津軽郡市浦。

 

息子と同じ、青森県立青森高校卒業後に県外の国立大を受験したが、失敗して、地元の金融機関(信用金庫)に就職した。

 

一方、4歳年下の父親は青森市に育ち、県立高校から母親と同じ金融機関(信用金庫)へ就職。

 

2人は職場結婚で、父親23歳、母親27歳のときに智大死刑囚が誕生した。

 

(事件後謝罪する加藤智大死刑囚の父親と母親)
加藤智大 父親 母親 画像

 

また、父親と母親はというと、事件前から別居状態で現在は離婚。

 

母親の方は事件後、精神的におかしくなり、精神科に入院したそうだ。

 

そして退院後は、実家のある市浦に身を寄せたが、今度は孫の事件を知った自分の母親が急死するという不幸にも見舞われた。

 

現在、母親は実家を出て、青森市内の質素なアパートでひきこもりながら生活しているという。

 

一方、信用金庫に勤めていた父親は、事件後に退職を余儀なくされた。

 

ただ、住まいは当時のまま実家暮らしで、マスコミの姿に怯えながら身を潜めて暮らしているという。

 

実家に関しては、一時は売りに出されているという情報があったのだが、買い手がつかなかったのか、今もそのまま残っているそうだ。

 

その父親は毎朝早くに作業服を着て出て行き、夜遅くに帰ってくるのを目撃されている。

  

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