ビートたけしの事故現場を諸星和己が発見!原因は?
☆この記事はこのような人におすすめです。
・ビートたけしの事故について知りたい。
・ビートたけしの事故をなぜ諸星和己が発見できたのかを知りたい。
ビートたけしが生死の境をさまよった体験、それは1994年にバイクを運転中、カーブを曲がりきれずガードレールに激突。
このバイク事故で右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で全治1ヶ月の重症を負ったのです。
事故の第一発見者は、元光GENJIの諸星和己。
当時、諸星和己は事故現場近くでレコーディングをしていて、うつぶせになって倒れているビートたけしを見つけて救急車を呼んだそうです。
それにしても、ビートたけしの事故原因は一体何だったのか?
事故現場は見通しのいい緩やかなカーブだったのですが、「前夜にアルコールを飲んでいた」と報道。
また、当日は交際していた細川ふみえに会いに行く途中だったとも言われていますが、これはあくまでもウワサで、真相は依然として謎のままです。
そんなビートたけしの事故は、退院後の会見でも壮絶さを物語っていました。
顔は事故をする前と後では随分と変わり果て、重度の顔面マヒの後遺症が残っていたのです。
それに滑舌が悪すぎるのも、「事故の後遺症が原因」と言われています。
そこで今回は、ビートたけしのバイク事故についてまとめてみました。
ビートたけしの事故現場
ビートたけしは、バイク事故を起こした時の記憶があまりないそうです。
そこで確認してみたところ、事故を起こしていたのは1994年8月2日午前1時40分頃。
事故現場は東京都新宿区の安鎮坂付近でバイクを運転中、カーブを曲がりきれずガードレールに激突したのです。
この衝撃で4メートルも吹っ飛ばされ、その際、頭を強打。
意識不明のまま、東京医大病院に救急搬送となったようです。
なお、事故写真はありませんが、当時のビートたけしはノーヘル。
しかも1994年といえば、原付を含む全てのバイクにヘルメットの着用がすでに義務化されていた時代です。
奇跡的に助かったものの、普通なら即死、よくて植物状態という大事故。
この時のビートたけしは、ノーヘルにサングラスのような濃いゴーグルを掛けていたことも判明しています。
ビートたけしの事故を諸星和己が通報
事故当日は視界が悪かったことも原因の1つだったと思いますが、ビートたけしは前夜、日本酒4合相当のアルコールを飲んでいたのだとか。
ということは、普通に考えても事故の原因は「酒に酔ってハンドル操作を誤った」ということになります。
しかも、接触事故を起こした犯人もいない。
となれば、やはり単独の事故で飲酒運転が原因。
実際にも酒気帯び運転で書類送検され、起訴猶予処分が下っているのです。
しかし、ビートたけしはバイク事故の原因を飲酒と認めず、今でも「当時はうつ状態だった」と語っています。
そんなビートたけしの事故を通報したのが、元光GENJIの諸星和己でした。
(光GENJI時代の諸星和己)
当時はまだ光GENJIのメンバーだった諸星和己は、現場近くのスタジオでレコーディングをしていたといいます。
帰り際、たまたま事故現場を通りかかると、うつぶせになって血だらけになって倒れている人を発見。
当時は今みたいに携帯が普及しておらず、車内の電話を使って救急車を呼んだということです。
ただ、諸星和己の話によると、倒れていたのがビートたけしとは分からなくて、朝のニュースで知ったそうです。
ビートたけしがバイク事故で顔面マヒに
ビートたけしはバイク事故の後遺症で、半年間テレビに出ることができませんでした。
記者会見に関しては59日間の入院期間を経て、1994年9月27日に開いています。
ただ、その時のビートたけしの姿に報道陣は絶句。
それもそのはず、目の焦点は合わず、口元は大きく歪んだ重度の顔面マヒ状態だったのです。
会見でビートたけしは、「治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします」「事故は軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってる」「頭に入っているボルトのせいで金属探知機に引っかかる」といったギャグを連発。
いつも通り笑いを誘うも、ビートたけしの顔は、以前とはまるで別人のような変貌ぶりを見せていたのです。
また、今でも事故したのは、当時交際をウワサされていた「細川ふみえに会いに行く途中だった」と語り継がれていますが、実は会った帰りだったという説もあるようです。
名前こそ口に出しませんが、ビートたけし自身は事故にあった日におネエちゃんに会いに行ったことを認めているのです。
それに、事故する一週間前といえば、細川ふみえがたけしの別宅を訪れたところを写真週刊誌『FOCUS』がスクープ。
過去には『FRIDAY襲撃事件』で21歳の専門学校生との交際がバレているだけに、ビートたけしは2度も女性関係で災難にあったことになるのです。