岡村孝子の娘は元旦那の石井浩郎の子供?離婚理由は橋本病?
あみんのメンバーで、シンガー・ソングライターの岡村孝子が急性白血病を患っていることを発表しました。
岡村孝子といえば、過去に甲状腺の病気「橋本病(慢性甲状腺炎)」を公表しているだけに、娘さんもさぞかし心配していたことと思います。
それにしても、白血病のニュースが後を絶ちません。
最近で言うと、水泳の池江璃花子選手が白血病と診断され緊急入院。
池江璃花子選手の場合、早期発見とされていて、現在は競技に復帰できています。
岡村孝子の場合も、現在の病状を心配している人は多いと思いますが、過去には、白血病を公表した著名人が復帰を果たした例は数多くあります。
白血病は決して治らない病気ではないので、公表した岡村孝子には、ぜひとも元の生活に戻ってほしいと思います。
そこで今回は、岡村孝子の娘や、元旦那の石井浩郎と離婚した理由などについて調べてみました。
岡村孝子の娘は元旦那の石井浩郎の子供
岡村孝子には元旦那・石井浩郎とのあいだに授かった子供が1人います。
名前は沙樹(さき)と言って帝王切開で出産しているようです。
また、帝王切開のときの経緯ですが、岡村孝子は予定日の3日前に検診へ行くと医者から「心音が聞こえない」と言われたそう。
しかも、「今すぐ出さないと助からない」と医者に言われていたようです。
そして、「心拍が落ちているので今すぐ入院してください」と言われ、そのまま入院。
全身麻酔をかけられ、帝王切開で無事出産したというわけです。
そんな娘・沙樹も、現在20歳になっていて大学生だとか。
しかし、小さい頃はあんまり岡村孝子に似ていません。
母親の岡村孝子も、当時は自分に似ていなかったので「おやっ?」と思ったそうです。
けれども、だんだん成長するに従って、目元やクルクルだった髪の毛がストレートになって、ちょっとずつ似てきたといいます。
そして、娘の音楽好きなのも母親譲り。
ただ、ピアノを習ったりとかしていたそうですが、岡村孝子からすると、なるべく音楽の道に進まないでもらいたいようです。
その理由は「なるべく知らない世界に行って、いろんなことを私に教えて欲しいなと思います。」と語っています。
岡村孝子と元旦那の石井浩郎の離婚理由
岡村孝子は大学生の時、同級生の加藤晴子と女性デュオ「あみん」を結成。
デビュー曲「待つわ」がミリオンセールスとなり、たちまち人気歌手の仲間入りを果たしました。
その後、ソロとしても女性たちの支持を獲得。
「夢をあきらめないで」が超ロングセールスになります。
一方、プライベートでは1997年にプロ野球近鉄バファローズの選手だった石井浩郎と結婚。
馴れ初めは、プロ1年目だった石井浩郎がキャンプで急性肝炎を患い、そのときに聞いた曲「夢をあきらめないで」に励まされた石井が猛アプローチしたとされています。
(元旦那の石井浩郎)
そして結婚後、娘を授かるのですが、6年後の2003年に夫婦は離婚。
離婚理由について、本人たちは「小さいことの積み重ね」、「価値観の違い」などと話していますが、一説にはいろんな理由が取り沙汰されているのです。
そのひとつが岡村孝子の父親が作った借金。
岡村孝子の父親がホテル経営に乗り出し、15億円の借金を抱えたことが原因だと言われています。
しかも、借金の連帯保証人に娘の岡村孝子がなっていたため、父親の代わりに借金を返済するはめに。
結局、借金は完済し、差し押さえられた実家を買い戻したらしいのですが、そのころはと言うと、夫婦は別居状態。
旦那の石井浩郎はマンションを購入し、すでに離婚秒読みだったのです。
そして、石井浩郎は2002年に現役を引退。
翌年の2003年、正式に離婚が確定すると、4歳だった娘の親権は岡村孝子が持つことになります。
以来、岡村孝子が女手一つで子供を育て、元旦那の石井浩郎は2006年8月に11歳下の女性と再婚します。
その後、石井浩郎は2010年に参院選を自民党から出馬し当選。
プロ野球選手から政治家に転身したのでした。
岡村孝子が橋本病を公表
岡村孝子が橋本病を患ったのは、娘が2歳の時でした。
慢性甲状腺炎(橋本病)とは、慢性的に甲状腺に炎症が生じ、甲状腺機能の低下が生じる病気です。
※原因
慢性甲状腺炎は自己免疫性疾患のひとつであり、自身の免疫反応が誤って甲状腺を攻撃することから発症します。
慢性甲状腺炎では、リンパ球と呼ばれる白血球の一種が、病気の発症に関して重要な役割を果たしていると考えられています。
※症状
疲れやすさ、体重増加、髪の毛が細く弱くなる、心臓の動きが鈍くなり脈が遅くなる、関節の痛み、便秘。
引用元:メディカルノート
橋本病は女性に多く、岡村孝子の場合も、疲れてすぐ動けなくなったことから病院を受診。
検診の結果、甲状腺を悪くしていて、橋本病と診断されたそうです。
また、橋本病が離婚理由に繋がったとも言われているようです。
と言うのも、橋本病を患っている岡村孝子からすると、当時は体調が思わしくないため、家事、育児が大変でした。
なのに、旦那の石井浩郎は腕が痛くなると言って、ちっとも手伝ってくれなかったとか。
そして、最終的に話し合ったりもしたらしいのですが、石井浩郎は聞く耳を持たず。
途中から、「旦那をあてにするのはやめようと思った」と語っているのです。