守谷慧の母親や祖父 経歴は?自宅マンションはどこ?
☆この記事はこのような人におすすめです。
・守谷慧さんの母親の死因を知りたい。
・守谷慧さんの祖父のことや経歴について知りたい。
・守谷慧さんの現在や自宅マンションの場所を知りたい。
絢子さまは、日本郵船に勤務する守谷慧さんと明治神宮で結婚式を挙げられました。
式には、絢子さまの母親・久子さまや姉の承子(つぐこ)さま、結婚相手の守谷慧さんの父親・治さんら33人が参列。
皇族の身分を離れることになった絢子さまには、国から一時金1億675万円(法定上限額)が支給されています。
そんな絢子さまは、現在一般人として生活されています。
しかし、先に婚約を発表されていた秋篠宮家の長女・眞子さまと、ニューヨークのフォーダム大学ロースクールに留学した小室圭さんは、2021年まで延期され結婚。
結婚相手が「けい」と名前の読み方が同じでも、「ここまで差があるのか」とネット上で話題になりました。
そこで今回は、絢子さまの結婚相手・守谷慧さんの経歴や母親の死因。
父親、祖父など家族のことや、自宅マンションはどこなのかに、スポットを当ててみたいと思います。
守谷慧の母親の死因と父親
守谷慧さんの母親・季美枝さんは、2015年6月に「国境なきこどもたち」の業務で訪れていたカンボジアで体調を崩して入院。
翌7月4日に搬送先のタイ・バンコク市にあるバンコク病院にて急逝しています。享年56歳。
(母親の守谷季美枝さん)
なお、季美枝さんの死因は、病気のためとしか発表されていません。
ただ、死因が発表されていないのは、タイで何かの病気に感染したという可能性もありそうです。
また、母親・季美枝さんの経歴ですが、1981年に早稲田大学第一文学部卒業後、1994年から「国境なき医師団日本」のボランティアに参加。
当時は企業、財団等を対象とした資金調達の事務を担当し、1999年「国境なき子どもたち」の理事。
2000年~2001年「国境なき医師団」の理事を兼務していたということです。
その後は2002年に「国境なき子どもたち」の副会長、2003年「国境なき子どもたち」の専務理事に就任。
一方、守谷慧さんの父親・守谷治さんは、東京大学経済学部経済学科卒業後の1979年、通商産業省入省の経歴を持ちます。
さらに、通産省時代にアメリカ留学し、コーネル大学経営大学院でMBA取得。
その後、貿易経済協力局安全保障貿易管理課長に就任します。
ところが当時、大蔵省接待汚職事件で問題となった、ノーパ○しゃぶしゃぶ接待の「楼蘭」の顧客名簿に載っていることが判明。
通産省を退職した現在は、「日伯エタノール株式会社」の代表取締役社長、「日本アルコール販売」の常務執行役員を務めているようです。
なお、絢子さまの母親・久子さまの父親は、元フランス三井物産社長・鳥取滋治郎氏、母方の祖父は元外交官の友田二郎氏。
(絢子さまと母親の久子さま)
久子さまの経歴は、学習院初等・中等科から、父親の海外勤務の都合でイギリスのケンブリッジ大学に入学。
大学時代は人類学・考古学を学んで、卒業した1975年に日本へ帰国し、翻訳会社に勤めていました。
さらに久子さまは、法律を学ぶためにイギリスへ渡り、1982年に帰国。
高円宮憲仁親王とは、帰国し通訳として働いていたときに出会い、わずか3か月で婚約したということです。
なお、高円宮憲仁親王は、2002年11月21日、47歳で死去しています。
守谷慧の祖父は日本郵船役員
守谷慧さんの祖父・守谷兼義氏は、元日本郵船・ロンドン支店長を務めた人物。
日本郵船には、慶応大学の文学部程度では入れないので、孫の守谷慧さんはコネ入社の可能性が高そうです。
また、祖父の守谷兼義氏は「日本郵船」で常務取締役、ロンドンのイーリング区アクトンにある「ロンドン日本人学校」の理事長。
さらには、国際的船主団体機構「国際海運会議所」の副会長までも務めています。
だからと言って、守谷慧さんが旧華族とかいうことではないようです。
守谷慧の経歴と現在
高円宮絢子女王の結婚相手・守谷慧さんがアキラ100%に似ていると話題ですが、いったいどんな経歴の持ち主なのか?
現在、36歳の守谷慧さんは、幼稚園時代をフランス・パリで過ごしたそうです。
理由は、守谷慧さんの父親・守谷治さんが、仕事の都合でフランスに勤務していたから。
当時、一家はパリ市の南隣にあるブーローニュ・ビアンクールに住んでいたといいます。
そして、平成4年7月までパリの幼稚園に通ったあと、港区立白金小学校、私立高輪中学校・私立高輪高校に進学。
卒業後の平成17年4月に慶應義塾大学文学部に入学。
さらに慶應大学時代には、オックスフォード大学に短期留学し、平成21年3月に慶應義塾大学を卒業しています。
現在、守谷慧さんは勤務している大手海運会社「日本郵船」を、大学卒業後の平成21年4月から勤務。
その傍ら、NPO法人「国境なき子どもたち」の理事も務めています。
守谷慧さんがボランティア活動に携わっている理由は、亡くなった母親の季美枝さんが、「国境なきこどもたち」の専務理事をしていたからだとか。
守谷慧さんは母親の遺志を継ぐために、同法人の理事に就任しているようです。
一方、高円宮家の三女・絢子さまの姉は承子女王と、2014年に出雲大社の千家国麿氏と結婚された千家典子さんがいます。
絢子さまはの経歴は、松濤幼稚園から学習院初等科、女子中等科、学習院女子高等科に進学。
卒業後の2009年4月、千葉県東金市の城西国際大学福祉総合学部に入学。
そして、2013年3月に大学を卒業し、4月から同大学大学院福祉総合研究科へ進学しています。
また、絢子さまは、2017年6月1日付で城西国際大学福祉総合学部の研究員に就任した後、守谷慧さんと知り合い、婚約を発表。
知り合ったきっかけは、母親・久子さまが絢子さまに守谷さんを紹介したとされています。
もともと久子さまは、守谷さんの父親・守谷治さんと顔見知りで、母親の季美枝さんとも親しくされていたそうです。
久子さまは、守谷慧さんの母親・季美枝さんが「国境なき子どもたち」の専務理事を務めていた頃から関連行事に毎年訪問。
そして2017年11月、「国境なき子どもたち」の設立20周年の祝賀会で、息子の慧さんと再会。
その際、守谷さんが同団体の理事に就任することを聞かれ、福祉を学んでいる絢子さまに「国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば」と考え、紹介したということです。
守谷慧の自宅マンションはどこ?
守谷慧さんの自宅マンションは、東京・高輪にあります。
守谷慧さんは父親の守谷治さん、祖母と暮らしていたそうなのですが、自宅は決して高級ではなく、築45年、査定額6000万円のマンションだとか。
また、自宅がどこにあるのかというと、マンション前で報道陣から「おめでとうございます」と声を掛けられるシーンをみると、マンションは、港区高輪4丁目にある「ドミール高輪」と判明。
守谷慧さんの場合、支給された一時金を借金の返済にあてるとか、贅沢をするために使うこともなさそうです。