日渡駿の生い立ちや兄弟 両親は?大塚ひかるが娘りあらの母親!
☆この記事はこのような人におすすめです。
・日渡駿の生い立ちを知りたい。
・日渡駿の家族について知りたい。
・りあらちゃんの母親の大塚ひかるについて知りたい。
鹿児島県出水市明神町のアパートで起きた事件で、建設作業員の日渡駿(ひわたししゅん・当時21歳)が再逮捕されました。
亡くなった大塚璃愛來(りあら)ちゃんは、日渡駿の交際相手の子供で当時4歳。
りあらちゃんの母親で、交際相手の大塚妃夏留(ひかる)も日渡駿と同じ21歳でした。
そんな3人が出水市明神町のアパートに引っ越してきたのは、2019年7月から。
それまでは鹿児島県の薩摩川内市で生活していたそうです。
その時は大塚妃夏留(ひかる)の母親も一緒に住んでいたらしいのですが、大塚妃夏留(ひかる)は日渡駿の子供を妊娠中。
12月に出産を迎えるということもあって、明神町のアパートに引っ越してきたとされています。
そこで今回は、日渡駿の家族や生い立ち、数々のトラブルについて調査してみました。
日渡駿の生い立ちや兄弟 両親
日渡駿の生い立ちは、共働き家庭の1人っ子として育ったらしく、兄弟はいないようです。
家族は両親の他に祖父と祖母がいて、幼い頃は母親と祖父母に甘やかされていたといいます。
ただ、父親に怯えていて、父親がいる時は家の中で遊ぶことも許されない状況だったとか。
そのせいか、小学校の頃はつまらない嘘をつく子供。
周囲から仲間外れにされるなどのいじめを受けていたそうです。
そして、その反動からか、中学に入ると不良を気取るようになり、学校をサボるなどの問題行動が増えたのだとか。
ただし、不良と言っても強い者には歯向かわず、後輩や自分より力の弱い仲間を罵倒し、蹴ったりする弱いものイジメをしていたそうです。
その後、県内の公立高校に進学したものの、トラブルが元で謹慎処分を受け、自主退学。
日渡駿は刺青が話題になっていましたが、成人式の時も金髪に黒のスーツ姿で参加し、来賓の挨拶中にヤジを飛ばして式を妨害していたということです。
大塚ひかるが娘りあらの母親
日渡駿の交際相手の大塚妃夏留(ひかる)は、16歳で妊娠。
17歳の2015年7月22日、りあらちゃんを出産しています。
中卒のシングルマザーで、仕事は水商売。
毎日夜8時になると、店の送迎車が来て仕事に行っていたそうです。
※大塚妃夏留(ひかる)
あと、大塚妃夏留(ひかる)の働いている場所ですが、ネットの情報によると、薩摩川内市で生活していたころは「ラウンジ レオン」というクラブにいたのだとか。
ただ、現在は隣の出水市に引っ越しているので、店を辞めているかは謎です。
そして、亡くなった大塚璃愛來(りあら)ちゃんに関してですが、事件の2年前に写真がツイッターでバズったことがあったそう。
当時は、母親の大塚妃夏留(ひかる)が、りあらちゃんの顔写真をツイッターにアップしたものの、加工しているとか、していないとかで揉めていたようです。
そのことを覚えていた人が今回の件と同一人物と気付き、「前も叩かれていた」とツイートしています。
なお、大塚妃夏留(ひかる)が開設していた当時のツイッターやインスタは、現在見ることができません。
大塚りあらちゃん事件の真相
現場となった自宅アパートは、家賃62500円、間取りは2LDK。
建設作業員という日渡駿は朝7時半に出て行き、夕方5時に帰宅していたそうです。
事件が起きた8月28日午後、「風呂場で溺れた」と日渡駿がりあらちゃんを病院に搬送。
死因は溺死だっそうですが、遺体に複数の傷があることが分かり、虐待の事実があることが判明したといいます。
事件について日渡駿は、「しつけだった」という内容の供述をしているらしいですが、アパートの住人は、夜8時から深夜2時までに複数回、「女の子の鳴き声を聞いたことがある」と語っています。
さらに、近所では雨が降る日にりあらちゃんが玄関前に全裸で1人立たされていたという目撃談もあるとか。
また、薩摩川内市にいた頃にさかのぼると、今年3月にドラッグストアの店長が夜10時にりあらちゃんが1人でいるところを見ています。
その時は、閉店間際に1人で店内に入って来たため、不審に思い警察に通報。
お菓子売り場に1人でいて、親の姿が見当たらないので名前を聞いたら「りあら」と名乗ったそうです。
報道によると、こういったことが多々あって、りあらちゃんは何回も警察に保護されていたようです。
結局、母親がいない間、日渡駿と2人きり。
その日渡駿はというと、自身のツイッターやインスタなどに仲間とのどんちゃん騒ぎや、パチスロで遊ぶ奔放な様子を度々アップ。
その様子からして、りあらちゃんを1人きりにして遊んでいたことが伺えます。
ただ、そんな日渡駿もりあらちゃんの葬儀で、人目もはばからず号泣していたとか。
日渡駿の祖母は、加害者となった孫を「優しくていい子だから」と庇っているそうですが、地元の知人は「実家に寄生し、贅沢三昧の暮らしぶりで、前の彼女も暴力に悩んでいた」と明かしています。
無力な4歳の女児が味わった絶望の日々は、察するに余りあるのは言うまでもありません。