浅香光代が政治家(息子の父親)を告白!若い頃は美人だった?

浅香光代の画像

☆この記事はこのような人におすすめです。

・女優・浅香光代さんの息子の父親が誰なのかを知りたい。

・息子の父親が大物政治家というウワサは本当なのかを知りたい。

・若い頃の浅香光代さんの画像を見たい。

 

女優の浅香光代さんは、2014年の雑誌「婦人公論」で、隠し子の存在を明かしています。

 

ただし、相手の名前は公表していません。

 

そこで今回は浅香光代さんの息子2人の父親が、大物政治家・S氏(画像)であるというウワサ。

 

若い頃が美人だったというウワサについて検証してみました。

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浅香光代の息子の父親

先にも述べたように、浅香光代さんは2014年1月の「婦人公論」にて、子供2人が「隠し子」であることを告白しています。

 

ただ、息子の方はこれまで自分の父親に関して、何も聞かされてなかったのだとか。

 

また、この息子ですが、以前にもテレビ番組に顔出しで出演していたことがあります。

 

このとき出演していたのは次男の方で、名前は北岡昭次ということを公表。

 

息子の北岡昭次氏は、インタビューに答える形で番組に出演していたのです。

 

そして息子は番組内で、高校入学するまで兄弟2人が別のところで暮らし、浅香光代さんと一緒に暮らしていなかったこと。

 

さらに、母親の浅香さんに対して一度も「お母さん」と呼んだことがなく、「先生」と呼んでいたことなどを暴露。

 

一方、このとき自分たち子供の父親に関する話題は出ていません。

 

そのため、ネット上では父親に関する様々な憶測が飛び交うことになったのです。

 

そしてその父親ですが、「婦人公論」の記事によると、浅香光代さんは20代前半のときに妻のいる大物政治家と交際。

 

しかも、交際相手というのは、1948年に騒動を起こした泉山三六元蔵相から紹介されたのだといいます。

 

しかし、浅香光代さんは当時相手に妻がいたため、結婚はしなかったらしいのですが、その男性との間に2人の子供を授かったとのことでした。

 

また、その事実をこれまで隠してきた理由を、「当時は役者が政治家の子供を産んだとなると、先生の地位にキズがつく。先生が好きだったから言いたくなかった」と明かしています。

 

交際相手の大物政治家についても、「相手夫婦に子供はいなかった」「婦人は学習院出」や、「亡くなる直前に国会で倒れた」とも明かしたのです。

 

ただ名前を「S氏」とだけ明かしており、相手とは長男、次男を産んですぐに別れたのだとか。

 

そして、隠し子騒動から3ヵ月後に行われたイベントに出席した浅香光代さんは、マスコミから「父親は総理大臣?」と問われると、「そうです」と答えたそうです。

 

ところが、イベント後に行われたテレビ番組「グッド!モーニング」の取材では、父親を「総理大臣になるところだった人」と訂正。

 

現在その大物政治家と夫人は亡くなっているのですが、今後も実名は明かさない意向を示していたのです。

 

ということもあり、これまで息子の父親の名前は明かされていません。

 

ただ、浅香光代さんは長男から父親について尋ねられた際、「総理になれそうだったけどなれなかった政治家だった」とだけ打ち明けています。

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大物政治家の名前

大物政治家についてヒントとなる記事を、女性セブンが掲載しています。

 

記事によると、これまで言われてきた「S」は名字ではなく、下の名前の“S”で、長く自民党のNO2に君臨していた人物。

 

ここでは、当時19歳で浅香光代さんが「S」と出会ったとしており、その人物は当時50歳近くの大物政治家。

 

かつて、浅香光代さんのインタビューの中で「吉田内閣で閣僚となり、“剃刀”の異名をとった人物」と明かしていたのです。

 

これらが本当なら、Sは下の名前で、浅香光代さんより30歳ほど年齢が上。

 

長く自民党のNo2に君臨していた大物、子供がいない政治家などと、ヒントがたくさん出てきています。

 

そこで大物政治家の名前で挙がったのが、重宗雄三氏(しげむね ゆうぞう)、前尾繁三郎氏(まえお しげさぶろう)川島正次郎氏(かわしま しょうじろう)の3人。

 

この3人の中で、重宗雄三氏だけ苗字が「S」、他2人の下の名前が「S」から始まっていることがわかります。

 

(前尾繁三郎)
前尾繁三郎の画像

(川島正次郎)
川島正次郎の画像

 

ただ2人とも自民党のNo2に君臨していた大物ですが、浅香光代さんが19歳のときの年齢はというと、前尾氏が42歳(1905年12月10日生まれ)、川島氏が57歳(1890年7月10日生まれ)と、報じられている年齢と不一致。

 

ということは、2人とも大物政治家「S」ではなかったということになります。

 

しかし、2014年2月6日号の「週刊文春」が、隠し子騒動で父親政治家の実名を浅香光代さんに直撃していたのです。

 

そのとき「文春」が報じた浅香光代さんの子供の父親は、川島正次郎氏でした。

浅香光代が若い頃は美人だった?

若い頃から女剣劇女優として活動してきた浅香光代さんは、1928年2月20日生まれ。

 

生活を共にしていたのは、コメディアンの世志凡太で、浅香光代さんにとっては6番目の夫となります。

 

夫の世志凡太とは、1992年に結婚式を挙げて、連れ添っていましたが、籍を入れておらず事実婚状態。

 

「いつ別れるか分からないから」と入籍せず過ごしてきたことも明かしています。

 

(浅香光代さんの若い頃)
浅香光代の若い頃の画像

 

6度も夫が変わっていることから、「昔は相当モテたのだろう」と画像を検索してみると、若い頃の浅香光代さんを発見。

 

結果、想像していたより美人だったので、妙に納得してしまったのです。

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