三菱重工爆破事件の犯人は?現在は跡地のビルを品川に移転?

1974年8月30日に発生した「三菱重工爆破事件」を4月9日放送TBS系「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース スクープ映像の舞台裏 激動の平成版」にて特集。
1974年~75年にかけて発生した「連続企業爆破事件」の中の1つである「三菱重工爆破事件」は、8人の犠牲者、376人が重軽傷を負う大惨事となった。
爆弾が仕掛けられた場所は、東京都千代田区丸の内にあった「三菱重工業本社ビル」。(現在、跡地は丸の内二丁目ビルディング)
事件後、東アジア反日武装戦線”狼”を名乗る犯人グループが犯行声明を発表。
三菱重工業に続いて、三井物産、帝人、大成建設で爆発事件が引き起こされた。
戦後最悪と呼ばれたこの無差別テロ事件は、発生後には機動隊員が約1600人出動。
当初から複数犯による過激派の犯行と見られたが、捜査は難航。
翌年、東アジア反日武装戦線のメンバーら8人がようやく逮捕されたが、うち2人は現在も海外へ逃亡中だ。
そこで今回は、「三菱重工爆破事件」の犯人の正体に迫ってみようと思う。
犯人が爆弾を仕掛けた場所
「三菱重工業本社ビル」が爆破された”三菱重工爆破事件”は、日本の犯罪史上、いまだかつてない爆弾テロとなった。
爆弾が仕掛けられたのは、1階正面玄関左側の柱付近。
爆発する前に社員が茶色の紙に包まれた円筒型のものが2個置かれてあるのを目撃している。
しかも爆発の数分前、三菱重工業本社に男の声で犯行を予告する電話が入っていたという。
その男は電話で「本社前の道路に時限爆弾を2個仕掛けた。付近の者は、ただちに避難するように。これは冗談ではない」と話している。
また、犯行予告の電話がある前にも2度同様の電話がかかっていたが、2度ともイタズラ電話と受取られてしまっていた。
結局3度目の予告を三菱重工側が聞いたのは爆発の3~4分前。
事実関係を確認中、大惨事に見舞われることとなった。
その後も以下の場所で爆発事件が発生。
・10月14日ー三井物産本社ビル
・11月25日ー帝人中央研究所
・12月10日ー大成建設本社
・12月23日ー鹿島建設資材置場
・75年2月28日ー間組本社ビル・同社大宮工場
・4月19日ー韓国産業経済研究所・オリエンタルメタル社
・4月28日ー間組京成江戸川作業所
・5月4日ー間組京成江戸川橋鉄橋工事現場
そして同年5月19日に爆破犯人が一斉に逮捕された。
三菱重工爆破事件の犯人画像
逮捕されたのは、普段、会社員など普通に生活する人物。
だが、犯人は「東アジア反日武装戦線」を名乗る過激派。
日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こしていた。
その中でも「三菱重工爆破事件」は旧財閥系企業を狙った犯行。
「東アジア反日武装戦線」は「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループが存在しており、「三菱重工業本社ビル」を狙ったのは「狼」の佐々木規夫、大道寺将司、大道寺あや子、片岡利明だった。(画像あり)
佐々木規夫
大道寺将司
大道寺あや子
片岡利明(現在の姓は益永)
「東アジア反日武装戦線”狼”」は「三菱重工業本社ビル」を爆破した後、犯行声明を出した。
犯行声明は9月27日に発表され、内容は以下の通り。
一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。
“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。
“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。
また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。
この他にも大成建設本社を爆破した「大地の牙」。
鹿島建設、間組を爆破した「さそり」も事件後に犯行声明を出している。
三菱重工爆破事件 現在はビルの場所を品川に移転
事件当時の「三菱重工業本社ビル」は東京都千代田区丸の内にあった。
現在、跡地には丸の内二丁目ビルディングが建っており、爆破された三菱本社ビルは品川に移転している。
そして、爆弾を仕掛けた犯人でリーダー格の大道寺将司(当時26歳)、片岡利明(当時26歳現在の姓は益永)は1987年に死刑が確定。
大道寺将司死刑囚に至っては、自分のアパートの地下に爆弾製造工場を作っていた。
また、同じ「狼」グループの一員、大道寺あや子(当時26歳)、佐々木規夫(当時26歳)も逮捕されたが、佐々木は爆破予告電話をかけた張本人、あや子は大道寺将司死刑囚の嫁で現場の見張り役だった。
佐々木、あや子両容疑者は逮捕後、日本赤軍の「ダッカ日航機ハイジャック事件」に対する「超法規的措置」で釈放され出国し逃亡。
現在も海外で活動し、所在が不明のまま。
しかも「東アジア反日武装戦線」の一員で、一度も逮捕されていない唯一のメンバーが「さそり」の桐島聡。
桐島聡は現在も指名手配中で、いまだ逮捕に至っていない。