桂文枝の奥さんは高橋真由美でしえんが不倫相手!フライデー第3弾砲
☆この記事はこのような人におすすめです。
・落語家の桂文枝の奥さん・高橋真由美について知りたい。
・桂文枝と紫艶(しえん)の不倫を報じたフライデーの内容を知りたい。
・紫艶(しえん)ともう1人の不倫相手について知りたい。
・不倫相手ともめて警察沙汰になった件を知りたい。
桂文枝が妻の真由美さん(享年67)と、母親の治子さん(享年99)を亡くしていたことが報じられました。
報道によると、奥さんの真由美さんは昨年に癌を発症し、闘病中だったとか。
死因に関しては何も発表されていませんが、患っていた癌によるものだと思われます。
一方、母親の治子さんは介護施設に入っていたそうです。
母親に関しては、介護施設に入居する前までは奥さんの真由美さんが介護していたとか。
ただ、近年は年齢がいっていただけに桂文枝を息子だとわかっていなかったということです。
そこで今回は、桂文枝の奥さんのことや過去に報じられた不倫報道などについて触れていこうと思います。
桂文枝の奥さんは高橋真由美
桂文枝は関西大学出身で、落語研究会「落語大学」を創部した張本人です。
また、在学中に3代目桂小文枝に弟子入り志願し、入門を果たしています。
そして、23歳で落語家デビューすると翌年の24歳にはラジオのレギュラー。
25歳でテレビのレギュラーを持ち、以降は歌手、映画出演など幅広い分野で活躍していきます。
そんな桂文枝が奥さんと出会ったのは、1970年4月5日放送スタートのOBCラジオ「ヒットでヒット バチョンといこう!」でした。
当時の奥さんは女子大生でありながら高橋真由美の名でタレント活動中。
このラジオでアシスタントを務めていたのです。
(嫁の高橋真由美さん)
さらに奥さんは桂文枝のファンだったとか。
そんなこともあって2人は交際を開始。
翌年の1971年6月に婚約し、1972年3月2日、桂文枝28歳、高橋真由美さん19歳のときに池田カトリック教会で式を挙げたのでした。
ちなみに、その後、桂文枝と高橋真由美さんの間で息子、娘が誕生しています。
桂文枝の不倫相手はしえん
2016年2月にフライデーが報じた桂文枝の不倫相手の紫艶(しえん)さんは、2019年3月に死去しています。
紫艶(しえん)さんは41歳の若さで亡くなったわけですが、死因は孤独死だったようです。
何やら当時は都内の自宅で1人暮らしていて、連絡がとれなくなった母親が心配して尋ねると、亡くなっているのが発見されたということです。
その紫艶(しえん)さんと不倫していたことをフライデーが報じたのでした。
(孤独死した紫艶さん)
当時の記事によると、不倫関係は紫艶(しえん)さんが18歳の時から20年間続いていたとしています。
ところが、フライデーの報道を受けて、桂文枝は紫艶(しえん)さんとの愛人関係を否定。
さらに会見を開いた際、「2年前に会ったのが最後」と語ったのです。
しかし、最近まで2人がやり取りしていた『LINE』が再びフライデー第3弾の報道によって発覚。
不倫関係があったことや2年前に会ったのが最後と語ったのは、すべてが嘘だったのです。
そして、この報道後、2人は破局。
桂文枝は新たな浮気相手が発覚し、捨てられた紫艶(しえん)さんは、その後、精神的に追い詰められ、自ら命を絶とうとしていたこともあったそうです。
桂文枝の二股相手
フライデー第3弾の報道後、今度は週刊新潮が桂文枝には紫艶(しえん)さんの他にも2008年から関係を持つ女性がいたことを報じました。
その不倫相手とされた女性は当時56歳。
神戸市内で一人暮らししていて、仕事は日舞の先生をしていたといいます。
しかも、顔は若い頃の八千草薫に似ていてチャーミング。
小柄で着物が似合う女性だったとか。
また、この不倫相手は「桂文枝の独特の趣味嗜好に悩まされるようになった」ということも報じられていました。
というのも、相手女性に対し、「無理やり写真を撮らせろ」と強要。
これを断ると、今度は桂文枝自身のイチモツを撮った写真がメールで送られてくるようになったそうです。
結局、相手女性は桂文枝に愛想を尽かして別れを決意。
これまでのことを新潮にリークしたため、関係を持っていたことが発覚したのでした。
二股相手とのきっかけ
桂文枝と二股相手の出会いは2008年12月ごろ。
相手女性が大阪の演芸場「天満天神繁昌亭」に足を運んだ際、横にある喫茶コーナーにいるところに桂文枝が現れ、一緒に写真を撮ったのがきっかけだったそうです。
そして、その写真を送るからと言われた相手女性は、桂文枝に連絡先の書いた名刺を渡すと、早速その日の夜にメールが届いたとか。
その後相手女性は、年明けの1月、お礼を言うために「繁昌亭」を再び訪れると、今度は桂文枝の部屋に通されたそうです。
(桂文枝の二股相手)
そこで2人の距離が縮まり、2月には相手女性の家にあがりこむようになり、3月には深い仲の関係になったといいます。
当時の桂文枝は、すでに60代半ば。
相手女性は56歳だったので、知り合った当時は47、8歳だったと思われます。
さらに実を言えば、相手女性にとって初めての男性が桂文枝だったそうです。
二股相手の女性が言うには、母親が厳しかったことでそれまで男性と交際してなかったとか。
それでも桂文枝は「こんな乙女がいるとは思わなかった」と言って喜んでくれたといいます。
以来、桂文枝は相手女性の家で、たびたび逢瀬するようになったということです。
新潮の内容
新潮に書かれている内容によると、桂文枝は2016年2月に報じられた紫艶(しえん)さんと交際中もこの女性と二股交際。
関係は2012年くらい前から無くなっていたそうですが、電話やデートは続いていたといいます。
ただ、二股相手にとって、紫艶(しえん)さんとの違いは金銭的問題だったとか。
というのも、紫艶(しえん)さんには月20万円の手当てが払われていたことが報じられていましたが、二股相手に対しては、そのような手当ては無かったそうです。
相手の女性はこの件について「お金が欲しくて付き合ったわけじゃないけど、よくよく考えると私は無料で遊べる都合のいい相手だったということです。」と語っていました。
また、桂文枝が相手の女性宅に行くのは2ヶ月に1回ぐらいだったとか。
いつも食事をして2階にある寝室で過ごすというパターンだったそうです。
また、桂文枝は平気で弟子も連れてやって来たのだといいます。
弟子はいつも2人くらい入れ替わりでやって来たといい、車を運転させて「ご飯食べさせてや」とやって来る。
食事を済ませると桂文枝は2階で相手女性と過ごすのですが、下には弟子が落語の稽古中。
「2人の関係を弟子は分かっていたと思う」と相手女性は語っていたようです。
桂文枝のメール
二股相手の自宅に弟子まで連れてやって来たという桂文枝は、行動が次第にエスカレート。
「写真を撮ってメールで送れ」とか言って困らせていたそうです。
挙句には無理やり写真を撮ろうとしたこともあったとか。
桂文枝は相手女性に「愛情があれば撮れるはずや」と言って諦めなかったそうです。
さらに桂文枝のメール攻撃は続きます。
メールで自分のイチモツを撮った写真を送ってくることもあったとか。
桂文枝からすると、相手女性が困っているのを楽しんでいたのだそう。
相手女性も自分が遊ばれているだけだと段々わかってきたようで「訳もなく涙を流すような毎日だった」と語っています。
また、桂文枝に撮られた写真も「どこかでバラ撒かれているのでは?」と思い、心配で一日に何度も電話したりメールしたりするようになったといいます。
ただ、不安になった相手女性がかける電話やメールに桂文枝の返事も次第に冷めたものになっていったとか。
それに、気の焦りから警察沙汰になったこともあったようです。
その警察沙汰というのは2013年の夏、相手女性が「繁昌亭」にいる桂文枝に会いに行くと、体の大きな弟子が止めてきたのだそう。
押しのけようとすると今度は襟首を掴まれてしまい、結局警察を呼ぶ騒ぎに。
翌日、桂文枝に叱られたという相手女性は、そこで信じられない言葉を聞くことになるのでした。
「吉本興業から女性関係をきつく注意されたから、もう君の家には行かれへん。」。