籠池諄子の子供 娘の現在と息子の職業や経歴は?
☆この記事はこのような人におすすめです。
・森友学園の系列法人が運営する「森友学園保育園」の元副園長・籠池諄子氏の子供について知りたい。
・森友学園が運営する「塚本幼稚園」に勤務する娘の現在を知りたい。
・籠池諄子氏の息子の経歴などを知りたい。
籠池泰典氏と妻の籠池諄子氏といえば、大阪府と国から補助金を不正受給した詐欺と補助金適正化法違反の容疑で逮捕されました。
そして、この森友学園問題の記者会見に同席していたのが長男の籠池佳茂氏。
次期理事長を託されたのが長女の籠池町浪氏です。
ちなみに、籠池夫妻には全部で5人の子供がいることでも知られています。
そこで今回は、謎に包まれた籠池夫妻の息子たちの経歴や職業、娘の現在などについてまとめてみました。
籠池諄子の子供 娘の現在
籠池泰典氏と籠池諄子氏には2人の娘がいます。
長女の籠池町浪氏は森友学園の次期理事長兼、塚本幼稚園の園長。
(長女の籠池町浪氏)
末っ子で次女の籠池まゆみ氏も塚本幼稚園に勤めていました。
ところが、塚本幼稚園は森友学園問題以降、園児が集まらず毎月赤字続き。
資金繰りが悪化して2021年3月末で休園するも、再開する見通しが立たず、7月に事実上の閉園になったのです。
そのため、塚本幼稚園に勤めていた次女の籠池まゆみ氏は現在、職を失っている状況。
長女の籠池町浪氏も森友学園が運営する事業が完全に無くなったため、現在は次女と同じく無職になっていると思われます。
籠池諄子の子供 長男の職業
前理事長・籠池泰典氏が記者会見を開いた際、同席していたのが息子で長男の籠池佳茂氏です。
長男の籠池佳茂氏の職業は現在、電気工事関係の会社を経営。
(長男の籠池佳茂氏)
森友学園問題があった当時は、自分の子供らを塚本幼稚園に通わせていました。
ただし、長男は騒動が持ち上がるまで両親とは疎遠で、運営にも関わっていなかったとか。
なお、長男が両親と疎遠になっていた理由ですが、どうも佳茂氏の妻と母親・籠池諄子氏の嫁姑問題だったようです。
あと、長男の籠池佳茂氏の経歴ですが、高校は大阪工業大学付属高校(現・常翔学園高校)出身。
その後に立命館大学経済学部に進学。
立命館大学卒業後は国会議員の秘書や労働組合の職員などを経て、現在の電気工事関係の会社経営に至っています。
籠池諄子の子供 次男は元力士
籠池泰典氏は、1995年~2017年3月まで森友学園の理事長を務めていました。
その後、次期理事長に長女の籠池町浪氏が就任。
妻の籠池諄子氏はというと、系列の「塚本幼稚園」の副園長と「森友学園保育園」の副園長を兼務し、国の補助金申請に関する会議や、夫の泰典氏が開いた記者会見などに同席していました。
それに籠池諄子氏は森友学園問題で逮捕されましたが、実は以前からよく問題を起こしていたようです。
その問題というのは週刊誌によると、「激高して園児や保護者を怒鳴りつけることがしょっちゅうあった。」
「道を歩いていた小学3年生を叩いて逮捕され、罰金刑を受けた。」
「大阪市内の有名レストランで料理が出てくるのが遅いとテーブルをバンバン叩いて怒鳴り散らし、出禁になった。」
など、いろんな所で騒動を起こしていたことが報じられたのです。
また、一部で「絶縁」と報じられた長男の佳茂氏が記者会見で父親のフォローに努めていましたが、籠池夫妻には、ほかにも元力士の次男と三男の2人の息子たちがいます。
聞くところによると、次男の籠池照明氏も両親とは疎遠だったそうで、元々母方の実家である森友家を継ぐため、幼い頃に祖父の養子になっているとか。
相撲の方は中学卒業後に阿武松部屋に入門したようですが、脱走をくり返すなどして1年持たずに破門。
ただ、本人が悪いにもかかわらず、籠池夫妻が部屋に乗り込んで「親方やおかみさんが面倒を見ないのが悪い」と言いがかりをつけにきたということです。
なので、次男の照明氏は元力士といっても1年でリタイヤ。
その後に関しては不明ながら、森友学園問題があってから『塚本幼稚園顧問』という名刺を作ってマスコミや政界関係者と接触していたようです。
そして、現在の職業も不明ですが、次男の照明氏は2016年の5月に宗教法人「顕正会」に入会。
2015年には「維新の党」足立康史衆議院議員の施設秘書に内定したという情報もあったようです。
籠池諄子の子供 三男は経歴がヤバい
籠池泰典氏と籠池諄子氏の子供たちの中でも三男の経歴がヤバすぎます。
三男も幼いころから相撲道場に通っていたらしいのですが、道場の関係者いわく、いつもみすぼらしい服装をさせられていたとか。
父親の泰典氏は三男の試合を見に来たことは一度もなく、母親の諄子氏は三男が試合に負けるとボロクソに怒鳴りつけていたそうです。
厳しく育ててきた反動からか、三男は高校を卒業すると髪の毛を金髪に染め、家に引きこもり状態。
なので、初めの頃は相当もめたらしいのですが、最終的に夫妻からは見放された状態に。
その後三男は家を飛び出して母親・諄子氏の実家で暮らし、21歳のときに自ら命を絶った。
それは2011年頃の出来事だったそうです。