藤真利子の旦那は?母の介護と父 藤原審爾との確執 現在は結婚していない?
2月17日放送の「爆報!THE フライデー」は、女優・藤真利子(61)が登場し、去年、多臓器不全のため死去した母親の介護生活について告白する。
藤真利子は以前にも同番組に出演。
その際は1984年に肝臓ガンで死去した父親で直木賞作家・藤原審爾氏との確執を告白している。
また、当時、藤が書いた父親との闘病生活のノートを紹介。今回の番組でも母親の看病を11年間にわたって記録してきた65冊の介護ノートが紹介されるのだという。
藤はこれまで結婚せずに母親の介護を選択。
独身で旦那がいないのは、その為なのかもしれない。
藤真利子の旦那は?現在は結婚せず独身?
藤真利子に旦那はいない。
それでも過去には「年下キラー」として週刊誌等を賑わせてきた。
その代表的なのは、近藤真彦との熱愛騒動だろう。
若い頃は年下タレントとのスキャンダルが報じられることが多く「年下キラー」として話題をふりまいた藤真利子。
近藤真彦との熱愛を報じられたのは1986年のこと。藤が30歳、近藤が22歳の時だった。
きっかけは以前から近藤のファンだった藤が対談を熱望。すると86年5月に念願かなって女性誌で誌上対談が実現する。
その後、藤は近藤が参加するサーキットレースの観戦に訪れたり、近藤が座長を務める舞台の打ち上げパーティーなんかにもお忍びで参加。
同年12月に発売される近藤のアルバムに作詞で参加し、「レコーディングに立ち会いたい」と熱望するなど尋常ではない入れ込みようだった。
しかも2人は「マッチ」「マリコさん」と呼び合うなど、マスコミの間では「親密度はちょっと度が過ぎている」と交際を疑う声がもっぱら聞こえたという。
87年には、1月放送の東芝日曜劇場「マイフェアねーちゃん」で2人は姉弟役で共演。
収録は名古屋CBCテレビで行われるのだが、当時近藤と交際中だった明菜も同時期に名古屋でコンサートを開催。
“ニアミス”と報道陣が名古屋に押し寄せる騒ぎも起きたという。
だが、ほどなく藤と近藤は自然消滅。近藤は、94年に一般女性と結婚。
一方の藤は年下俳優とのスキャンダルが何度か報じられたものの、いまだに結婚せずに独身のままだ。
藤真利子が母の介護生活と父 藤原審爾との確執を告白
現在も独身で旦那がいない藤真利子が結婚しないのは母親を介護する為だったのかもしれない。
母親の藤原静枝さんは去年「多臓器不全」のため、死去しているが、11年間にわたった介護の末に亡くなったのだという。
藤は、母親と同居して看病を続けてきたということだが、父親の肝臓ガンが発覚した時も全ての仕事をキャンセルして父親の余生を共に生きることを決めていた。
1984年に父親の肝臓ガンが発覚し、余命半年の宣告を受けた時、藤は遊び続けていたことを後悔する。
それまでの藤は、仕事に余裕が出てきたこともあり、夜遊びをするようになっていた。
ちょうどバブルのころで、時間だけではなく、経済的にも不自由しなかった藤は、芸能関係の友達と暇さえあれば六本木、西麻布界隈で飲み歩いていたのだという。
また以前、「爆報!THE フライデー」に出演した藤は、父親と確執があったことを告白。
藤の父親は、「罪な女」「斧の定九郎」「白い百足虫」で直木賞を受賞した作家・藤原審爾氏。
藤が生まれたときからすでに売れっ子の作家で、家には映画監督や女優がたびたび訪れていたという。
それを見てきた藤は、女優になりたいと思うようになって22歳で女優デビューしたが、父親が亡くなるまでの7年間、藤は父親に心を閉ざし二人の間には深い溝ができていた。
しかも厳格だった父親は女優になることを大反対していたというから、尚更反抗心が強くなり確執が生まれたのだった。
幼い頃から父親の口癖は「勉強しろ」「女優にはなるな」で、父から逃れたい藤は結婚もせずに遊びほうけていたのだった。
番組で紹介した藤が書いた父親との闘病生活ノートは、闘病生活の中での父・審爾氏の様子が書かれていた。
その内容は再会10日後に容態が急変し、突然父は藤のことを抱きしめ泣いたということや父親が死ぬ前に「君が輝いていたらきっとまた巡り会えるだろう」という言葉を残していたことだった。
藤は父の死後、女優として輝くため、映画「吉原炎上」などで活躍。これからの目標は良い女優になることだと語っていた。