下村早苗は父親と母親が原因で事件を起こした?現在は中村の性で服役中!

下村早苗 画像

11月4日放送の金曜プレミアムは「追跡!平成オンナの大事件」と題して、2010年7月に大阪市西区で起こった「大阪2児餓死事件」を取り上げる。

 

ホスト遊びに夢中だった下村早苗被告が育児を放棄した結果、子どもを餓死させたことは当時、世間でも大いに注目された事件である。

 

現在、下村は養子縁組として中村へと性が変わると同時に、懲役30年で服役中。

 

下村被告は1審、2審の判決を不服として上告したが最高裁で棄却された。

 

最終弁論で、下村被告は幼いころに受けた育児放棄などが影響して事件が起きたものと主張。

 

複雑な家庭環境で育った下村被告は母親が3回変わるなど、悲惨な生い立ちに遭遇していることなどが分かっている。

 

中でも父親が3回目に再婚した相手は自分より年下で、父親が勤める三重県立四日市農芸高校の教え子。

 

事件が起きる前年に元夫と父親、それぞれに子供を預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられている。

 

仮にどちらかが、子供を預かってさえいれば、こうした悲惨な事件は起こらなかったかもしれない。

下村早苗は父親と母親が原因で事件を起こした?

下村早苗被告は平成18年5月、当時大学生だった羽木直樹氏と交際を開始。

 

同年12月に結婚し、半年後の19年5月に長女・桜子ちゃんを出産。

 

そして翌年20年10月に長男・楓ちゃんを出産した。

 

夫の羽木氏は大学を中退。

 

地元三重県いなべ市のデンソーへ契約社員として勤務。

 

その後、社内試験を受け正社員となり数年は平和な生活をしていたという。

 

しかし、下村被告が中学校時代の同級生と浮気をして借金を作って離婚。

 

夫側は離婚の際、子供2人を下村被告に押し付けた。

 

父親と険悪だった下村被告はその後名古屋へキャバ嬢として勤務。

 

だが、元同僚や客と金銭トラブルを起こして今度は大阪へ出向き「クラブリッチエレガンス」で働くようになる。

 

また、名古屋時代の2009年10月に下村被告は新型インフルエンザにかかっている。

 

幼い子どもが命を落とす可能性があるというニュースが流れていたため、下村被告は元夫と父親に子供を預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。

 

離婚後の元夫は養育費を渡さず、独身の気楽さから外車・アウディを購入。

 

地元の女友達と遊びほうけていたという噂もあったが、現在、再婚をして新しい家庭を築いている。

一方、下村被告の父親はラグビーで有名な下村大介監督。

 

三重県立四日市農芸高校に勤めラグビー部の監督・顧問を勤めていた。

 

父親はこれまで3回の結婚をしており、下村被告にとっては3人母親が変わったことになる。

 

父親の一番目の妻は、1985年に卒業した下村大介氏の教え子で、長女の早苗被告を含め三姉妹の母親。

 

だが、DVが原因で離婚したようだ。

 

2番目の妻との間には子供はおらず、2009年に3度目の結婚。

 

相手は四日市農芸高校ラグビー部のマネージャーだった。

 

妻3人とも自分の教え子と結婚したという下村大介氏は、事件後に「今でも自分を責める。早苗が離婚した後、孫2人を預かっておけばとか。やりきれない」と語っているが、時すでに遅しである。

 

娘の下村被告は小学生のときに父親と母親が離婚。

 

当時の母親も育児放棄し、下村被告が妹2人の世話をしていたそうだ。

 

結局、中学入学後、素行不良になっていくのだが、原因はやはり家庭環境にあったようだ。

下村早苗 現在は中村の性で服役中

下村早苗被告は現在、下村から中村へと性が変わっている。

 

それは同じ拘置所に入っていた女性が下村被告と連絡を取り続けていて、女性の夫も賛同したことから養子縁組になったとか。

 

また、養子縁組になったのは、実家から縁を切られたということだが、真相は分かっていない。

 

裁判は2012年3月16日、大阪地裁で行われた1審判決で懲役30年。

 

同年12月は中村早苗として大阪高裁で2審が開かれるも1審の判決が支持され、被告の控訴が棄却された。

 

翌年2013年3月25日の最高裁では、被告の上告を棄却。

 

よって懲役30年とした1、2審の判決が確定している。

 

下村被告は最終意見陳述の際、涙を流し「もう一度2人を抱きしめたい。こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」と述べていた。

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