甲府信金女子職員誘拐殺人事件の犯人(画像)の動機や生い立ち 家族は?

甲府信金女子職員誘拐殺人事件 犯人 画像

1993年、甲府信金の女性職員が誘拐された「甲府信金女子職員誘拐殺人事件」の真相が、1月5日放送の「トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン」の3時間スペシャルで解明される。

 

誘拐されたのは、当時、甲府信用金庫・大里支店に勤めていた入社4ヶ月目の内田友紀さん(当時19歳)。

 

犯人から身代金4500万円が要求されたが、内田さんは帰らぬ人となって発見された。

 

犯人から幾度となく脅迫電話が掛かってくるが、録音に成功したのは3回のみ。

 

なかなか犯人にたどり着けない中、音声解析のプロが脅迫電話の声から犯人像に迫ることになる。

 

そしてついに追い詰められた犯人が出頭し、事件は結末を迎えることに。

 

犯人の名前は宮川豊(画像あり)当時38歳。

 

犯行の動機は借金の返済に困っての身代金目的での誘拐だった。

 

犯人だった宮川の家族には、看護婦をしている妻と2人の子どもがおり、近所では穏やかな性格で通っていたのだという。

 

しかも人望すら集めていたという男が凶悪事件を起こしてしまったのだ。

 

結果、宮川は公判により、無期懲役の判決を受け、現在も服役中である。

甲府信金女子職員誘拐殺人事件の結末

「甲府信金女子職員誘拐殺人事件」とは、1993年8月10日午後5時40分頃、甲府信用金庫・大里支店に勤めていた入社4ヶ月目の内田友紀さん(当時19歳)が、山梨日日新聞発行の月刊『ザやまなし』の取材を装った男から取材を受けるため、小瀬体育館に向かい、その後行方不明になった事件。

 

翌11日午前8時15分、友紀さんの父親が大里支店に出向いて「娘が帰宅していない」旨を伝え、その5分後、大里支店に犯人の男から電話が入る。

 

用件は11時までに4500万円の身代金を用意しておくこと。

 

その後も男から身代金の受渡し場所や時刻を指定する電話が入るが、警察が録音に成功したのは3回。

 

逆探知に成功するまでとはいかなかった。

 

そして、用件通りに現金を指定の場所に持っていくも、指定場所を変更されると同時に警察のミスなども重なって犯人を取り逃がしてしまう。

 

結局、身代金受渡しが失敗に終わった日から6日後の8月17日、自宅から50キロ離れた静岡県の富士川左岸で、誘拐された内田友紀さんが、帰らぬ姿で発見された。

 

人質が亡くなって発見されたことにより警察は公開捜査に踏み切った。

 

マスコミは報道協定を解除し、事件の経緯を世間に報じたのだった。

 

すると今度は、3日後の20日午後5時すぎ、犯人からの脅迫電話を録音したテープが報道各社から公開され、男の声を分析しようということから、声紋鑑定の第一人者である日本音響研究所の鈴木松美所長に分析を依頼。

 

次々と捜査が進んで行く中、犯人像が次第に絞れてくる。

 

そして、事件発生から2週間経った8月24日午前5時、事件の結末を迎える。

 

犯人と名乗る宮川豊が自首してきたのだ。

 

宮川は「あまりに自分のことが報道されて逃げ切れないと思った」と自ら出頭してきた理由を述べたという。

甲府信金女子職員誘拐殺人事件の犯人(画像)の動機

犯人として宮川豊が自首してきたことにより事件は結末を迎えた。(画像あり)

 

犯行の動機は7000万円の借金があり、返済に困ったからというものだった。

 

宮川の職業は、山梨いすゞ自動車に勤める大型トラックのセールスマン。

 

宮川がこれほどの借金をしたのは、山梨いすゞのセールスマンとして販売実績を上げるために架空販売契約などを繰り返したため、その未収金が多額となり、再三、山梨いすゞから未収金の処理を求められるようになったからだ。

 

また、宮川には看護婦をしている妻と2人の子どもの家族があったというが、2年ほど前から韓国バーで知り合った韓国人ホステスの愛人に入れ込んでいたこともあって、この愛人のために市内に3LDKの一軒屋を家賃月4万2000円で借りていた。

 

この愛人がビザの更新のために帰国すれば、毎週のように韓国に行って豪遊。

 

録音テープが公開された日の翌21日にも友人から100万円を借りて愛人のいる韓国へ逃亡していた。

 

しかし、宮川は韓国へ逃亡したものの、いずれは逮捕されると思い、友人からの説得もあって、日本に帰国して警察に自首することにしたという。

甲府信金女子職員誘拐殺人事件の犯人(画像)の生い立ち 家族

 

甲府信金女子職員誘拐殺人事件の犯人・宮川豊の生い立ちは1973年3月、山梨県立農林高校卒業後、市内のガソリンスタンドに入社。

 

1982年に系列の「山梨いすゞ」に移動。事件当時は大型車販売第二課・係長という役職についていた。

 

当時、家族と5人暮らしだった宮川は、まじめなところもあり、明るく気さくな性格で、近所の小中学生とソフトボールを楽しみ、「宮川のおっちゃん」と親しまれていたという。

 

普通の家庭に育つ生い立ちに、犯行の動機は借金の返済に困ったからというありふれたものだった。

 

その後、宮川には甲府地裁が「犯行は計画的で責任は極めて重大だが、自ら自首、深く罪を反省している」として無期懲役を言い渡した。

 

検察側が判決を不服として控訴したが、東京高裁は1審の無期懲役判決を支持し、控訴を棄却。

 

無期懲役が確定した。

 

この事件には犯人逮捕後の10月に「被害者の父親が加害者と顔見知りであり、共謀して被害者を殺害した」という噂が流れたこともあった。

当然根も葉もない嘘であったが、当初の複数犯説を信じる者がいたり、父親の記者会見の印象をよく思わなかった者がデマを流したものと思われる。

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