甲府信金OL誘拐殺人事件の犯人は宮川豊で内田友紀が被害者!(2024最新)
甲府信金OL誘拐殺人事件は、1993年8月10日、甲府信金の女性職員が誘拐された事件。
誘拐されたのは、甲府信用金庫・大里支店に勤めていた入社4ヶ月目の内田友紀さん(当時19歳)です。
犯人から身代金4500万円が要求されたが、内田友紀さんは帰らぬ人となって発見。
犯人から幾度となく脅迫電話が掛かってくるが、録音に成功したのは3回のみ。
なかなか犯人にたどりつけない中、音声解析のプロが脅迫電話の声から犯人像に迫ったのです。
そして、ついに追い詰められた犯人が出頭し、事件は結末を迎えることに。
犯人の名前は宮川豊(画像あり)当時38歳。
犯行の動機は、借金の返済に困っての身代金目的での誘拐でした。
なお、犯人だった宮川豊の家族には、看護婦をしている妻と2人の子どもがおり、近所では穏やかな性格で通っていたのだとか。
しかも、人望すら集めていたという男が凶悪事件を起こしてしまったのです。
そこで今回は、無期懲役の判決を受け、現在も服役中である甲府信金OL誘拐殺人事件の犯人、宮川豊についてまとめてみました。
甲府信金OL誘拐殺人事件の被害者は内田友紀
甲府信金OL誘拐殺人事件が発生したのは、1993年8月10日午後5時40分頃。
被害者は、甲府信用金庫・大里支店に勤めていた入社4ヶ月目の内田友紀さん(当時19歳)。
内田友紀さんは、山梨日日新聞発行の月刊『ザやまなし』の取材を装った男から取材を受けるため、小瀬体育館に向かい、その後行方不明になったのです。
そして、翌11日午前8時15分、内田友紀さんの父親が「娘が帰宅していない」と伝えに大里支店に出向くと、5分後、大里支店に犯人の男から電話が掛かってきたのです。
用件は11時までに4500万円の身代金を用意しておくこと。
その後も男から身代金の受渡し場所や、時刻を指定する電話が入るものの、警察が録音に成功したのは3回。
逆探知に成功するまでとはいきませんでした。
結局、仕方無しに現金を指定の場所に持っていくことになります。
しかし、場所を変更されると同時に警察のミスなども重なって犯人を取り逃がすことに。
すると、身代金受渡しが失敗に終わった日から6日後、自宅から50キロ離れた静岡県の富士川左岸で、誘拐された内田友紀さんが帰らぬ姿で発見されてしまったのです。
その後、警察は人質が亡くなって発見されたことにより、公開捜査を開始。
さらに、マスコミは報道協定を解除し、事件の経緯を世間に報じたのでした。
こうして事件が世間に知れ渡ると、今度は、3日後の20日午後5時すぎ、犯人からの脅迫電話を録音したテープが報道各社から公開されることになります。
男の声を分析しようということから、声紋鑑定の第一人者である日本音響研究所の鈴木松美所長に分析を依頼。
次々と捜査が進んで行く中、犯人像が次第に絞れていったのです。
そして、事件発生から2週間経った8月24日午前5時、急展開を迎えることに。
犯人と名乗る宮川豊が自首してきたのです。
宮川豊は「あまりに自分のことが報道されて逃げ切れないと思った」と、自ら出頭してきた理由を述べたということです。
甲府信金OL誘拐殺人事件の犯人 宮川豊の動機
犯人、宮川豊が自首してきたことにより、甲府信金OL誘拐殺人事件は意外な結末を迎えました。
犯行の動機は7000万円の借金があり、返済に困ったからというもの。
宮川豊の職業は、山梨いすゞ自動車に勤める大型トラックのセールスマン。
宮川豊がこれほどの借金をしたのは、山梨いすゞのセールスマンとして販売実績を上げるために架空販売契約などを繰り返した為。
その未収金が多額となり、再三、山梨いすゞから未収金の処理を求められるようになったからでした。
なお、当時の宮川豊には、看護婦をしている妻と2人の子供がいたといいます。
ですが、事件の2年ほど前から韓国バーで知り合った、韓国人ホステスの愛人に入れ込んでいたのです。
そんなこともあって、宮川豊は、この愛人のために市内に3LDKの一軒屋を家賃月4万2000円で借りていたのだとか。
しかも、愛人がビザの更新のために帰国すれば、毎週のように韓国に行って豪遊。
録音テープが公開された日の翌21日にも、友人から100万円を借りて愛人のいる韓国へ逃亡していたのです。
ただ、宮川豊は韓国へ逃亡したものの、「いずれは逮捕される」と思っていたらしく、友人からの説得もあり、日本に帰国して警察に自首することにしたようです。
宮川豊の生い立ちと家族
甲府信金OL誘拐殺人事件の犯人・宮川豊の生い立ちは1973年3月、山梨県立農林高校卒業後、市内のガソリンスタンドに入社。
1982年に系列の「山梨いすゞ」に移動。
事件当時は大型車販売第二課・係長という役職についていたようです。
また、当時、家族と5人暮らしだった宮川豊は、まじめなところもあり、明るく気さくな性格。
近所の小中学生とソフトボールを楽しみ、「宮川のおっちゃん」と親しまれていたといいます。
宮川豊の生い立ちは、普通の家庭に育ち、犯行の動機は、借金の返済に困ったからというありふれたものだったのです。
なお、事件後、宮川豊には甲府地裁が「犯行は計画的で責任は極めて重大だが、自ら自首、深く罪を反省している」として無期懲役を言い渡しています。
一方、弁護側は判決を不服として控訴しましたが、東京高裁は1審の無期懲役判決を支持し、控訴を棄却。
無期懲役が確定したのです。
ちなみに、この甲府信金OL誘拐殺人事件には、犯人逮捕後、「被害者の父親が加害者と顔見知りであり、共謀して被害者を殺害した」という噂が流れたこともあったようです。
しかし、この噂は当然デタラメ。
当初の複数犯説を信じる者や、父親の記者会見の印象をよく思わなかった者がデマを流したものと思われます。