勝新太郎と中村玉緒の息子が真剣事故!逮捕歴もあった?(2024最新)
☆この記事はこんな人におすすめです。
・勝新太郎さんと中村玉緒さんの息子・鴈龍さんの真剣事故について知りたい。
・事故の裁判がどのような判決になったのかを知りたい。
・息子・鴈龍さんの逮捕歴を知りたい。
2019年11月1日に亡くなった俳優の鴈龍(がんりゅう)さん。(享年55)
鴈龍さんは俳優・勝新太郎さんと女優・中村玉緒さんの息子で、死因は急性心不全だったそうです。
ちなみに、1997年6月21日に亡くなった父親の勝新太郎さんの死因は喉頭がん。(享年65)
父親、息子共々若くしてこの世を去っています。
なお、鴈龍さんの本名は奥村雄大(おくむらたけひろ)で、祖父は「長唄のプリンス」と呼ばれた杵屋勝東治(きねやかつとうじ)氏。
母親・中村玉緒さんの祖父方は、歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎(なかむらがんじろう)氏になります。
また、勝新太郎さんと中村玉緒さんの長女・奥村真粧美(おくむらまさみ)さんも元女優なので、鴈龍さんの家族は芸能一家となります。
そこで今回は、勝新太郎さんの息子・鴈龍さんが真剣事故で殺人犯になりかけたことや、薬で逮捕されたことなどについてまとめてみました。
勝新太郎と中村玉緒の息子が真剣事故
中村玉緒さんの夫だった勝新太郎さんは、若き時代からの大スターでした。
ところが、1997年6月21日、喉頭がんのため亡くなってしまったのです。
ただ、亡くなった後でも勝新太郎さんには、熱狂的ファンは多く、原理主義的傾向を持つ信奉者が多いことでも知られています。
また、生前は波乱万丈の人生を歩みましたが、やはりその中でも息子・鴈龍さんが真剣で起こした「真剣事故」。
さらに、自身がハワイのホノルル空港で下着の中にマリファナを隠し持っていた「パンツ事件」は衝撃的で、いまだ忘れられることはありません。
そんな勝新太郎さんは、1967年に「勝プロダクション」を設立。
俳優を続けながら自ら映画製作に乗り出しました。
1974年から1979年にかけては、「座頭市」をテレビドラマとして、合計4シーズン、全100話を製作。
映画「座頭市シリーズ」 は全部で26作品と、長きにわたって愛され続けたのです。
ところが、1989年、勝新太郎さんにとって、最後の製作映画となった「座頭市」で事故が発生。
それは、勝新太郎さんが自ら製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させた際のこと。
当時、俳優デビューしたてだった息子・鴈龍さんが、殺陣の立ち回りの場面において、死体役の役者を真剣(日本刀)で刺して死亡させてしまったのです。
その後、息子の鴈龍さんと撮影現場関係者は、広島県警から業務上過失致死罪の疑いで事情聴取を受けることになります。
すると、使用した日本刀が撮影用の模擬刀等ではなく、真剣であったことが判明。
その真剣で息子の鴈龍さんは、役者の首を斬りつけ死亡させていたのです。
真剣事故の裁判
後にこの真剣事件は裁判にもなりました。
法廷においては、「迫力を出すためにスタッフが勝手に真剣を用意した」、「息子の鴈龍さんは真剣である事を知らなかった」などを主張。
すると、それらの主張が採用され、判決は事故扱いとなったのです。
ちなみに、事故が起こったとき、勝新太郎さんは「息子を殺人犯にしてしまった」と悔やみ、一晩中泣きあかしたとか。
ですが、これも勝新太郎さんの映画作りが完全なワンマン体制だったために起こった事故。
勝新太郎さんのイメージがすべてに先行し、脚本は全く無視され、撮影ではアドリブでその場で演出が変わるのが恒例だったそうです。
そして事故後、お蔵入りが懸念された『座頭市』は何とか公開されることに。
しかし、「重大事故の発生にも関わらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、勝新太郎さんは非難を浴びることとなったのです。
勝新太郎と中村玉緒の息子は逮捕歴あり
勝新太郎さんと中村玉緒さんの息子・鴈龍さんは、真剣事故によって、危うく殺人犯になるところでした。
ただし、父親の勝新太郎さんと同じく逮捕された過去を持ちます。
というのも、息子の鴈龍さんは芸能界デビュー前の1982年、元女優で姉の奥村真粧美さんと共に密売で逮捕されているのです。
その2年後にも、大麻取締法違反の容疑で再び逮捕。
父親の勝新太郎さんも、1978年にアヘンで書類送検されています。
さらに、勝新太郎さんは1990年1月、アメリカ合衆国ハワイ州のホノルル空港で、下着に麻薬を入れていたとして現行犯逮捕。
しかも逮捕後は、1000ドルの罰金刑で即日釈放され、国外退去処分を受けたにもかかわらず、不服を申し立てて、ハワイに滞在し続けたのです。
では、なぜハワイに滞在し続けたのか?
その理由は、日本に帰ってくれば、麻薬を持ち出した容疑で取り調べられるから。
それを避けるため、帰国しなかったと言われています。
さらに勝新太郎さんは、帰国する前にハワイで会見を開いているのですが、その会見というのは今では考えられない発言をし、集まった記者を失笑させたのです。
どんなことを言ったのかというと、「その時まあ朦朧なんだけど、入れたんだねえ」と、マリファナとコカインの所持をあっけらかんと容認。
さらに、「今後、薬物事件を起こさないようにするために、パンツを履かない」という謎の対策を披露したのです。
結局、勝新太郎さんが日本に帰国したのは、逮捕されてから1年4ヵ月後のこと。
また、当時、勝新太郎さんは、ハワイからの帰りの飛行機の中でビールを飲みながら「大統領や海部首相の代わりは出来るけど、勝新太郎の代わりは誰が出来るんだ?」と同乗した報道陣に話していたということです。