豊永和子さん デンマークピル治験事件の犯人はピーターマドセン(画像)?
8月21日、デンマーク・コペンハーゲンの海岸で、スウェーデンの女性ジャーナリスト、キム・ウォールさんが無残な姿で発見された事件で、現地メディアは、1986年に近くの港で、日本人女性の変わり果てた姿が発見された未解決事件についても、「捜査当局が関連を捜査している」と報じた。
1986年10月、コペンハーゲンの港でピルの治験ツアーに参加した東京・葛飾区の豊永和子さん(当時22)が無残な姿で発見された事件は、現在も未解決のままになっている。
この事件とスウェーデンのジャーナリスト、キム・ウォールさんの事件に共通点があると、現地メディアが発表したのだ。
今後、2つの事件の共通点が正式に認められ、犯人が同一人物だったなら豊永和子さんの事件は解決することになる。
キム・ウォールさんの事件に関しては、発明家のピーターマドセン被告(46)が犯人としてすでに逮捕されているからだ。(画像あり)
豊永和子さん デンマークピル治験事件とは
豊永和子さんが何者かに命を奪われた「デンマークピル治験事件」とは、1986年10月31日、ピルの治験ツアーに参加した豊永和子さんがデンマークのコペンハーゲン港で見つかった事件である。
当初は豊永さんだということが分からず、デンマーク警察が歯形や血液型などの特徴をICPOを通じて各国に手配すると、翌年6月に日本の警察庁がよく似た特徴を持った女性を見出した。
その後、指紋照合したところ、その女性のものと一致。急遽日本の警察も現地の捜査に協力することになったのだ。
事件に巻き込まれた豊永さんは当時、海外のピル治験ツアーに参加していた。
(豊永和子さんの画像)
豊永さんが参加したピル治験ツアーは、西ドイツ(当時)のフライブルクに本社を置く臨床薬理試験会社が、東京に設立した子会社を通じて大阪の旅行会社と提携、国内でピルを販売するための治験データを集めるために募集したもの。
参加者は豊永さんを含めた22歳から30歳までの女性5名で、出身国もバラバラだったとか。
内容は同社が開発したピルの新薬を服用し、血中のホルモン分泌状態を検査するなどしてデータを収集することにあった。
拘束期間は約4ヶ月に及び、その間の渡航費は会社が受け持つ。さらに手当として1日約1万円が支給され、なおかつ現地のドイツ語学校で学習の機会を得る特典付きという好条件で募集を募っていたのだ。
そして、約4ヵ月に及ぶ治験が終了すると、豊永さんは日本の家族にコペンハーゲンから「これから南ヨーロッパを回る」と手紙を出した後、消息を絶った。
豊永和子さんの犯人はピーターマドセン(画像)?
豊永和子さんが発見された後、被害者が他にもいることが判明した。
1982年と1985年に西ドイツ(当時)のフライブルグ市内でも若い女性(国籍・身元不詳)の無残な姿が発見されたのだ。
2人の女性も同社のピル治験者であり、地元西ドイツのフライブルグ警察は、3つの事件は同試験会社と何らかのかかわりのある同一犯による犯行とする見方を強めた。
警察の見解は、同試験会社に関係する変質者の犯行、あるいは同試験会社の治験をめぐるトラブルに巻き込まれたことの両面から捜査がすすめられ、ヨーロッパを舞台とした広域連続殺人事件の疑いで捜査協力を要請。
要請を受けた日本、デンマーク、西ドイツが異例の国際捜査を展開したが、捜査は難航し、未解決事件となっていた。
そして今年の8月21日、デンマーク・コペンハーゲンの海岸で、スウェーデンの女性ジャーナリスト、キム・ウォールさんが無残な姿で発見された事件と豊永和子さんが被害に遭ったデンマークピル治験事件に共通点がある可能性が浮上。
キム・ウォールさんの犯人は発明家のピーターマドセン被告。
(ピーターマドセンの画像)
ウォールさんは8月10日、マドセン被告を取材するため、潜水艦に乗船したが翌日、潜水艦が沈没。
マドセン被告は救助されたが、ウォールさんの姿はなかった。
この潜水艦は、マドセン被告が手作りしたもので、救助されたマドセン被告は「わたしは大丈夫です。ただ悲しい。『ノーチラス号』が沈んだのは不運だった」と話していた。
当初、マドセン被告はウォールさんを船から降ろしたと主張したため当局は、ウォールさんの行方を捜し続けたという。
そして21日、コペンハーゲンの海岸でウォールさんが見つかり、事態は急展開を迎える。
引き揚げられた潜水艦からウォールさんの血痕が見つかったのだ。
マドセン被告は、調べに対し、ウォールさんの死は「事故」で「海に捨てた」と話しているが、供述は二転三転しているという。
そして詳細はわかっていないが、2つの事件に共通点があることから、豊永和子さんの犯人もピーターマドセン被告の可能性が浮上している。