津田恒実の病気は脳腫瘍で嫁は再婚?過大評価され殿堂入りした?

津田恒実 画像

7月27日放送の「緊急特番!今夜限定・・・スポーツ界を揺るがした4大伝説」では、32歳の若さでこの世を去った元プロ野球選手で広島カープの津田恒実投手を特集。

 

津田投手が病気の脳腫瘍で、亡くなるまでの壮絶な人生にスポットが当てられる。

 

現役時代の津田投手は、闘志あふれる投球スタイルで相手打者に立ち向かい、抑えとして活躍。

 

亡くなった日から19年が経った2012年7月20日、この日が命日だった津田投手の野球殿堂入りした表彰式が行われた。

 

だが、この殿堂入りに疑問を抱く意見がみられるのも事実で、通算成績49勝41敗90Sの数字からして「過大評価」なのでは?との声があがっているのだ。

 

殿堂入りの表彰式には、津田投手に代わり、嫁の晃代さんが記念のレリーフを受け取ったが、このとき晃代さんは別の男性とすでに再婚していたのだった。

 

今回は、現役時代に「炎のストッパー」の異名を持っていた広島カープの津田恒実投手について触れていこうと思う。

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津田恒実の病気は脳腫瘍

津田恒実投手は1993年7月20日、福岡市中央区の済生会福岡総合病院で亡くなった。

 

死因は脳腫瘍で、1991年に病気が発覚してから2年間の闘病生活を戦い抜いた末、息をひきとったのである。

 

津田投手は、1991年の春季キャンプ中から頭痛を訴えていて、同年開幕直後の4月16日、風邪による体調不良を理由に登録を抹消。

 

そして翌月15日、上土井取締役球団部長が緊急会見を開き、津田投手が病気の「水頭症」であることを発表し、20日に準支配下選手とした。

 

球団側が会見を開き、津田投手の病気が「水頭症」と発表したのは、「脳腫瘍」であることを発表すると周囲に動揺をあたえるため控えられてのことだったという。

 

ちょうどこの年は広島カープがリーグ優勝した年で、津田投手は福岡市内の病院で治療を受けたが、過激な運動はもう無理と判断され、優勝が決定する前に本人から、退団届が提出されたのだった。

 

そして、津田投手は治療に専念することになり、野球という生きがいを奪われることになるのだが、周りには陽気に振る舞う姿勢を見せていたという。

 

その後は次第に会話も不自由な状態に陥るものの、時には奇跡的な回復を見せたり一進一退が続いたようだが、結局、病気には勝てなかった。

 

死因となった脳腫瘍だが、津田投手の場合は「悪性脳腫瘍」で死亡率が非常に高い病気。

 

悪性の場合はがん細胞の分裂速度が速く、周囲の正常な組織をしみ込むように浸潤していくので治療にも高度な技術が必要となる。

 

この時代にはほぼ手の施しようがない病気と戦っていたのだ。

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津田恒実の嫁は再婚してるのか?

津田恒実投手の殿堂入りの表彰式に顔を出したのは、生前、嫁であった晃代夫人で、津田投手に代わり記念のレリーフを受け取った。

 

晃代さんは津田投手が亡くなってからアパレル経営の男性と2008年に再婚している。

 

再婚をしているのに津田投手に代わりというのも何か複雑な感じだが、事情が事情だけに致し方ないことだった。

 

また、津田投手には大毅さんという息子がいるのだが、息子も野球をしていた経験があり、東京国際大学野球部出身。

 

しかし度重なる故障で、卒業と同時に野球を辞め、今は葬祭業者の社員として働いている。

 

殿堂入りの表彰式には、嫁だった晃代さんではなく、息子の大毅さんでも良かったように思う。

津田恒実 過大評価され殿堂入り?

2012年7月20日、オールスター第1戦の試合前、1月に野球殿堂入りした津田恒実投手と同じく広島の投手だった北別府学氏の表彰式が行われた。

 

この日は、くしくも津田投手の19回目の命日で、現役時代一緒にプレーしていた北別府氏は「彼が亡くなったときも球宴のとき。津田恒実を忘れないでという メッセージなのかも。こうして一緒にもらえてうれしい」と話した。

 

だが、津田投手の「殿堂入り」に物申す意見があるのも事実で、「過大評価」されすぎとの声があがっている。

 

津田投手の通算成績は、49勝41敗90Sと、数字的に見てもこれと言って突出したものがない。

 

あえて言うのなら1989年に記録した12勝5敗28セーブ、防御率1・63くらいしか威張れる数字がないのである。

 

なのに「殿堂入り」出来たのは、やはり「過大評価」によるものだったのか、それとも打者に真っ向から勝負するプレースタイルが評価されてのものだったのか、謎の残る殿堂入りとなったようだ。

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