布川事件で真犯人の目撃証言?冤罪の刑事補償金額は?

布川事件の画像

「布川事件」は1967年(昭和42年)8月30日、茨城県・利根町布川で起きた冤罪事件。

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんは、強引な取り調べによって、犯人に仕立て上げられたのである。

 

そもそも桜井さんと杉山さんは事件当日、別件で逮捕されていた。

 

これに加え、現場で「2人を目撃した」という証言から無理やり犯人にされたのだ。

 

ただし、現実には犯行を実証する物的証拠が少なく、2人の自白と現場の目撃証言だけが唯一、有罪にできる証拠だったのである。

 

そして、裁判では一貫して無実を訴えた2人だったが、証拠の矛盾や無罪につながる証拠に裁判官たちが触れることはなかった。

 

結果、1978年に最高裁で無期懲役が確定。

 

1996年11月に仮釈放されたが、その後もあきらめずに再審請求をし続けた。

 

その甲斐あって、2009年に事件の再審が決定し、翌年7月には再審公判が開始。

 

2011年5月24日、ようやく2人に無罪判決が言い渡されたのである。

 

日本では、冤罪が確定すると、国の責任として刑事補償金が支払われる。

 

2人には拘束された日数で計算される上限額の約1億3千万円が支払われたが、杉山卓男さんは2015年10月27日に死去。

 

出所後は結婚して家族がいたことから告別式は近親者のみで行われたという。

 

一方の桜井さんは今も健在で、家族と共に過ごしている。

 

そこで今回は、冤罪の「布川事件」についてまとめてみた。

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布川事件で真犯人の目撃証言

桜井昌司さんと杉山卓男さんが誤認逮捕された「布川事件」は、まだ真犯人が捕まっていない。

 

「布川事件」とは、1967年(昭和42年)8月30日、茨城県・利根町布川で当時、独り暮らしだった大工の男性(当時62歳)が、自宅の8畳間で変わり果てた姿で発見された事件。

 

現場からは現金などが盗まれ、多数の指紋も検出されたのである。

 

その犯人として浮上したのが、別件で逮捕された桜井さんと杉山さんだった。

 

しかし、2人の指紋は検出されず。

 

物的証拠がない中、目撃情報などから警察と検察は「2人が犯人」と決めつけて取り調べを進め、自白を強要。

 

取り調べでは連日長時間にわたる「自白強要 」が行われたという。

 

そして、当初は身に覚えのない犯行については否認していたが、厳しい追求に耐え切れず、ついに桜井さんと杉山さんは「自白」をしてしまったのである。

 

このように布川事件では、「自白の任意性 」が最大の争点になり、同時に真犯人が必ず存在する。

 

実は事件当日、被害者宅を訪ねようとした女性がいたという。

 

だが、この女性は被害者と立ち話している男性と、他にも男性がいたため引き返したというのだ。

 

女性が目撃したという男性は、桜井さんと杉山さんではなく、女性が知っている人物だったとか。

 

この話が本当なら、その男性2人が真犯人の可能性が高いのだが、警察と検察は、女性の目撃証言を隠蔽したのだ

 

なぜ警察と検察は女性の目撃証言を隠さなければならなかったのか?

 

真意の程は不明だが、とにかく2人を犯人に仕立て上げるために供述調書を書き換えていたのである。

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布川事件の冤罪で支払われた刑事補償金額

裁判では一貫して無実を訴えた2人だったが、1978年に最高裁で無期懲役が確定。

 

そして、1996年に仮釈放された。

 

その後、再審で自白の信用性が否定され、再審無罪判決を受けたのである。

 

ちなみに、冤罪者には国の責任として刑事補償金が支払われるのだが、受け取るには判決が下された日から半年以内に請求しなければならない。

 

金額は、 拘束された日数×1日最高1万2500円。

 

しかし、どの程度までの金額を支払うのかは裁判所の判断次第となる。

 

2人は逮捕されてから仮釈放されるまでの約1万600日、法律上の上限額である1日当たり1万2500円を掛けた刑事補償金額・約1億3千万円支払うよう水戸地裁土浦支部に請求した。

 

すると、2人が拘束された約29年間の上限金額、それぞれに約1億3千万円の刑事補償金が適用され、交付が決まったのである。

 

ちなみに、同じ冤罪の「足利事件」は約17年半の拘束で約8千万円が支払われた。

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんの出所後は結婚

もともと地元でワルだったという2人は、仮釈放で出所した後、50代を過ぎていても悲壮感は少なかったという。

 

若いころは悪いことばかりしていて、学歴もない。

 

あるのは事件の元容疑者という肩書だけ。

 

そんな人間が結婚なんて出来るはずがないと思っていたらしいが、「決してあきらめない」と歯をくいしばる彼らの姿に惚れ込んだ女性が現れたのだという。

 

その女性は2人の支援者で、桜井さんと杉山さんは出所後、支援者の女性と結婚した。

 

しかも、桜井さんより一足早く結婚した杉山さんには子供まで出来て、「家族を持つのは、いいものだぞ。人生バラ色だ」などと言っていたとか。

 

出所後は冤罪の雪冤を果たし、その後は精力的に冤罪撲滅のため日々活動している桜井さんに対し、失われた時間を少しでも取り返すためなのか、「家族との時間を大切にしたい」と表立っての活動に控え目だった杉山さん。

 

そんな杉山さんは無罪確定から4年半後、69歳で他界してしまった。

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