成宮寛貴が弟の手紙に感動!大学に行かせて養っていた?
芸能界の引退を表明した元俳優の成宮寛貴の友人が、薬物疑惑報道から引退するまでのやりとりを具体的に明かした。
この友人は成宮寛貴と18年来の親友ということから、11日放送の情報番組「Mr.サンデー」に出演。
その際、引退理由について「弟のこともあったからでは?」と語っている。
そもそも、母子家庭に育った成宮寛貴は14歳の時に母親を亡くしている。
その後は6歳下の弟の面倒を見ていたという。
中学卒業後は、バイトをして生計を立て、弟を大学に進学させたとか。
当時の心境をつづった手紙が2015年7月に放送された「A-Studio」で披露されているのだ。
そんな成宮寛貴には、母親が亡くなってからこれまでにあったいろんな経緯がネット上で拡散されているが、本当のところは分かっていない。
一部で美談になっている話から、案外そうでもないような話まで囁かれているようだ。
そこで今回は、成宮寛貴の弟についてまとめてみた。
成宮寛貴が引退
所属していた事務所「トップーコート」の公式サイトから成宮寛貴の名前が削除された。
成宮寛貴の名前は、12日午前まで所属アーティスト一覧にあり、ニュースやプロフィール、スケジュール、写真などが掲載されていたのである。
なお、成宮寛貴は8日に元所属事務所の幹部と対面。
そして、直筆の引退コメントの文書が9日にFAXで伝えられ、これにて完全な引退が決定付けられたのだ。
また、現在の成宮寛貴はというと、次の仕事を探す目的なのか、東南アジアに入国したとのこと。
成宮寛貴とは18年来の親友で、芸能界にデビューする前に「新宿のイタリアンレストランでバイトしていたころから知っている」と説明する男性が11日、「Mr.サンデー」に出演。
その際、薬物疑惑報道から引退を発表するまでのやりとりを具体的に明かしたのである。
友人によると、成宮寛貴は「精神的にかなり参っている様子だった」といい、電話で連絡した際には「今から弁護士の立ち会いで尿を取る。事務所の意向もあって検査することになった」と尿検査をしていたことも暴露。
しかし、引退発表後からは連絡が絶えているといい、身の安全を心配しているという。
成宮寛貴が弟の手紙に感動!
また、友人は「若い時から成宮が苦労してるのは知っていたので、それをどうにか乗り越えて今の立場にやっとなったのに」と話す。
引退文については、書いてある通り「迷惑をかけるのは嫌と思ったのだと思う」と気持ちを代弁。
「弟さんのこともあるし」と付け加えていた。
なお、成宮寛貴には6歳年下の弟がおり、兄である成宮に感謝を寄せている。
(成宮寛貴の弟)
母子家庭に育った成宮寛貴が14歳の時に母親を亡くし、その後は弟の面倒を見ていたという美談がある。
2015年7月に放送された「A-Studio」では、当時の心境をつづった弟の手紙が披露されたのだ。
その時は弟が養ってくれた成宮寛貴に伝えたかったことを手紙に書き、番組最後でMCの鶴瓶が代読。
すると成宮寛貴は、セット裏で鶴瓶が読む弟からの手紙を聞いて「ずるいっす」と感動していたのだった。
成宮寛貴は弟を大学に行かせて養っていた?
兄の成宮寛貴が成功していくのを、弟はこのように実感していったという。
「裸電球がシャンデリアになり、小さなブラウン管のテレビがホームシアターに変わった」
弟の大学進学の際も、一般的な大学に合格していたが、“学歴で困ることがないように”という思いから「東大を目指せ!」と浪人させたのである。
そして最終的に弟は東大には入れなかったものの、東京理科大学に進学。
大学の入学金や授業料は成宮寛貴が負担したという。
と、ここまでは真実のようだが、成宮寛貴が14歳の時に母親を亡くした際、「弟の面倒を見ていたというのは嘘なのでは?」という意見もある。
というのも当時、成宮寛貴が2丁目に出入りして、その金で生計を立てていたと言われているが、外泊しっぱなしで家に帰ってなかったとか。
その間、弟は叔母さんが面倒を見ていたそうだ。
つまり、弟とは母親が亡くなってからほとんど一緒に生活していないのだ。
また、母親が亡くなってからは、弟、祖母との3人暮らしだったと言われているが、「祖母はただのお手伝いさんだった」とも言われている。
成宮寛貴は母子家庭だったが、母親が金持ちで裕福な生活を送っていたのだとか。
その時にいたお手伝いさんが祖母と思われているらしい。
弟が「兄にいじめられてた」との証言もあり、弟に弁当を作って持たせていたというのも何やら怪しい話。
結局、大学に行かせたことだけが本当で、 養っていたというのは誤報との声があがっている。