セレナ殺害(射殺)事件の真相と結末 犯人の動機は?アンビリバボー

セレナ 画像

グラミー賞歌手のセレナ殺害(射殺)事件が、10月6日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」、【秋の実録&仰天映像祭り!怖くて強い女の決断!愛の衝撃人生SP】で紹介される。

 

23歳という若さでこの世を去ったセレナにいったい何があったのか?

 

番組では、その真相に迫る模様である。

 

事件が起きたのは、1995年3月31日、グラミー賞のメキシカン・アメリカン・アルバム賞を受賞して間もないころ。

 

セレナは、ファンクラブ会長ヨランダ・サルディバルに射殺された。

 

事件はセレナが24歳の誕生日を迎える16日前の出来事で、犯人はファンクラブの会長でありながら、セレナの身の回りなどを世話する人物。

 

当然、ヨランダは金銭的なことまで任されていたのだが、本人の目を盗んで金を着服していたのだ。

 

しかし、あるとき着服行為がセレナにバレてしまう。

 

ヨランダはいったん反省するも着服行為をやめることができず、とうとうセレナの父親に解雇されてしまった。

 

その後、無くなっている書類について訊ねようと、セレナはヨランダのところへ行くのだが、そこで口論となり、銃で撃たれて死亡。

 

殺害(射殺)事件の結末はセレナが死亡したことに対し、ヨランダは事故だったと言い続けたが、目撃者の証言でセレナを狙ったことが判明した。

 

犯人となったヨランダは後の裁判で第一級殺人犯として断罪され現在、服役中。

 

動機については解雇されたことへの逆恨みからセレナを狙ったということだった。

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セレナ殺害(射殺)事件の真相

10月6日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」は、1995年3月31日に起こったグラミー賞歌手・セレナ殺害(射殺)事件の真相を追及。

 

なぜ事件が起きてしまったのか、その経緯に着目する。

 

セレナはアメリカテキサス州出身のヒスパニック系住民。

 

これをテハーノと呼ぶらしく、セレナはその数少ないテハーノ歌手として「テハーノの女王」と呼ばれていた。

 

幼いころは父親の経営するメキシコ料理店で歌っていたが、12歳でアルバムデビュー。

 

1987年にテハーノ・ミュージック・アワードにて「最優秀女性ボーカリスト」などの2部門に選抜されている。

 

1995年には世界で最も権威ある音楽賞のひとつ「グラミー賞」のメキシカンアメリカンアルバム賞を受賞。

 

この3年前の1992年にセレナはメンバーだったクリス・ペレス と結婚するなどし、公私共に充実した生活を送っていた。

 

だが、あるとき事件が発生。

セレナの公式ファンクラブの会長で、経営するブティックのマネージャーでもあった人物に撃たれて死亡したのである。

 

事件の犯人はセレナが信頼し、友人でもあったヨランダ・サルディバルだった。

 

ヨランダはセレナの側近としての特権を行使し、ブティックの売り上げとファンクラブのファンから渡された金品を、着服していた人物。

 

結局、そのことがバレて会長を解雇されてしまい、その後、書類を受け取るために出向いたデイズイン・モーテルで撃たれて死亡した。

 

その後、この事件は父親の要望もあり、1997年に当時無名のジェニファー・ロペスが主演で映画化されている。

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セレナ殺害(射殺)事件の結末と犯人の動機は?

セレナ殺害(射殺)事件の結末は、目撃者の証言からセレナがヨランダに撃たれたことが判明。

 

犯人として逮捕されたヨランダは、計画的犯行でなかったことを主張した。

 

裁判では、結局第一級殺人犯として断罪され現在服役中で、2025年に保釈可能となる。

 

犯行の動機は解雇されたことへの逆恨み。

 

自分で悪どいことをしていたにも関わらず、憎しみが絶えなかった。

 

事件があった1995年3月31日、セレナの死を告げるニュースが各地で流れ、数多くのファンが悲しみに暮れた。

 

葬儀には60,000人以上の哀悼者が訪れ、テキサスのラジオ放送局はセレナの曲をノンストップで流し続けたという。

 

また、死後に発表されたアルバム「Dreamingof You」は、ビルボード史上初のヒスパニックシンガーによる初登場1位の快挙を達成。

 

当時テキサス州知事を務めていたジョージ・W・ブッシュはセレナの誕生日を『セレナの日』と定めた。

 

故郷のテキサス州でもセレナの人気は高く、全世界で6000万枚以上のアルバムの売り上げを記録。

 

セレナは貧しい境遇から歌手として、「テハーノの女王」と呼ばれるまでに大出世したのである。

 

特にスペイン語を話す国で不動の人気を博し、ビルボード誌で「この十年で最高のラテン音楽のアーティスト」と評された。

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