中華航空機 炎上の原因は?名古屋の墜落事故は被害者の数が過去2番目!

1月5日放送の「トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン」は、2007年沖縄那覇空港に、乗客乗員165名を乗せた中華航空機(120便)が、着陸直後に爆発炎上した事故にスポットをあてる。
2007年8月20日、沖縄県の那覇空港で台北発の中華航空機ボーイング737-800型が着陸直後に炎上。
乗客157人およびパイロット2人、客室乗務員6人をあわせた165名全員は避難して無事で、幸いにも被害者は出なかった。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会によると、機体の爆発炎上は、右主翼の燃料タンクに、脱落したボルトが突き刺さり、燃料が漏れたのが原因との見方を強めた。
この事故で、中華航空の趙国帥社長は21日、乗客に「心からお詫び申し上げる」と直接謝罪するとともに、1人につき見舞金100ドルを手渡した。
また、中華航空機事故を巡っては、20年以上前の1994年、名古屋空港で中華航空140便の墜落事故が発生。
乗員乗客264名が犠牲に、7名が重傷という大惨事となった。
中華航空機 炎上の原因は?
2007年8月20日、中華航空機(120便)ボーイング737-800型が那覇空港に着陸した直後、エンジン部から出火して炎上。
瞬く間に機体は大破し、一部を残して焼失した。
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同機には、乗客157名と乗務員8名の計165名が搭乗していたが、全員が機体炎上直前に脱出用シューターを使って緊急脱出。
負傷者3名のみであとは無事だった。
搭乗者の内訳は乗務員に48歳の機長と26歳の副操縦士の2名。
客室乗務員6名のうち1名は日本人だった。
乗客は157名のうち座席の割り当てを受けず乗客名簿に記載されない乳幼児2名が含まれており、内訳とそて、中国籍110名、日本国籍23名、その他の国籍が24名だった。
この事故では、同機が那覇空港に着陸した後、主翼のスラットを格納する際に、右主翼内の燃料タンクにボルトが突き刺さって壁面に破孔(はこう)が生じ、そこから大量の燃料が機体外に漏れ出したのが炎上した原因だった。
漏れ出した燃料が右エンジンの高温部に触れて発火したため、機体が炎上してしまったのである。
幸いにも乗客は全員が機外へ脱出して被害者は出なかったが、脱出に要した時間については国際基準である「90秒ルール」は守られたということにはなっているが、微妙な食い違いがあり、正確な時間は不明である。
中華航空は60秒としているが、国土交通省の報告は約2分となっていた。
中華航空機 名古屋の墜落事故は被害者の数が過去2番目となる
中華航空では、数年前から大規模な航空機事故が相次ぎ発生。直近の事故としては、2002年に機体が空中分解する事故が起きている。
他にも1994年4月26日、台北発名古屋行の中華航空機140便が名古屋空港の滑走路近くに墜落する事故が発生した。
機体は大破、炎上し、乗員乗客264名が犠牲に、7名が重傷という大惨事となった。
被害者数は1985年の日本航空123便墜落事故に次ぐ日本史上ワースト2位であり、国内の空港で起きた事故の被害者数では、日本史上最悪となった。
事故は午後5時43分(日本時間)、台北国際空港を離陸した中華航空機140便が、午後8時12分ごろ、名古屋空港に接近した際、機体は急上昇し両エンジンから出火。
その後そのまま墜落した。
墜落時に機体を操縦していたのは副操縦士であることがのちに調査委員会が調べたことにより判明。
副操縦士の誤った操作で機首が上がり続けたことが最大の原因であった。
さらにボイスレコーダーの分析によれば、副操縦士が誤って「ゴー・レバー」(着陸やり直しレバー)を作動させたことで「ゴー・アラウンド」モードに移行。
機長がゴー・レバーの解除を指示したものの、副操縦士はそれを解除しないまま、オートパイロット(自動操縦装置)を起動したことも判明した。
副操縦士は機長の指示に従い、操縦桿を押して機首を下げようとしたが、自動操縦装置はゴー・レバーが入っていたことが原因となり、動作に反発して逆に機首が上昇。
昇降舵は機首下げ限界まで、水平安定板は機首上げ限界まで移動し、水平安定板は“へ”の字に曲がってしまった。
結局、機長が操縦を代わり着陸をやり直そうとしたものの、異常体勢時に急上昇したことで機体が失速。
そのまま墜落という最悪の事態となった。