安室奈美恵の引退発表は2回目だった!?理由や真相を文春が報じる!

安室奈美恵 画像

歌手の安室奈美恵(40)が、9月20日に公式ホームページで電撃引退を発表して世間を驚かせたが、文春によると、実は今回が2回目の引退発表だったという。

 

といっても、正式に引退発表したのは今回だけ。その前は今から3年前の2014年10月、A4用紙8枚に及ぶ手紙で安室は、こうつづっていたという。

 

「私こと安室奈美恵は、アーティストとしての活動を停止し、引退させていただきたく意思を固めました」

 

こうした手紙を受け取ったのは、安室が当時所属していた事務所「ライジングプロ」社長の平哲夫氏だったという。

 

2014年に安室は、平社長と契約条件をめぐり騒動を起こしていたと文春が報じているのだ。

 

このときの引退宣言は、事務所に対して印税や報酬の割合に不満を感じた安室が、「事務所を辞めたい」「独立したい」と主張して平社長と対立。

 

3年前の引退には、れっきとした理由が生じていたが、2回目の引退発表では理由については一切触れられていない。

 

では、その真相はいかなるものなのだろうか。

 

一部で報じられているように、ダンスや歌唱力が衰える前に身を引くという考えもあるようだが、文春は「5年前の20周年ライブが終わったら、歌手を続けるかどうかを含め、人生を見つめなおしたい」と安室は思っていたとしている。

 

それと2014年の出来事も尾を引いているといい、事務所を今の「エイベックス」に移籍して2年後の9月20日、安室は満を持して引退発表をするに至ったのだという。


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安室奈美恵の引退発表は2回目だった?

9月20日に公式ホームページで電撃引退を発表した安室奈美恵だが、引退の話はマスコミは当然知らなかったらしく、安室の担当者はおろか、事務所の社長でさえ発表の1時間前に初めて直接告げられたという。

 

安室は、発表直前の9月16、17日の2日間、沖縄でデビュー25周年記念ライブを行っている。

 

取材に行ったスポーツ紙記者も引退のことは全く知らなかったといい、ライブにはスポーツ紙全社にワイドショーデスクも同行。

 

ライブ後には所属事務所である「エイベックス」の仕切りで、恒例のマスコミ関係者の飲み会が行われたが、引退の話は一切出ていなかったそうだ。

 

なぜ安室は突然の引退発表をしたのか。その真相とは。

 

文春によると、引退発表は表に出なかった分を含めて2回目だ。

 

安室は小学5年生の時から沖縄アフターズスクールで歌とダンスのレッスンを受けていた。

 

当時選抜クラスに所属していたが、他の子とは才能が天と地ほど違ったという。

 

やがって安室の才能は東京から来た芸能事務所「ライジングプロ」社長の平氏の目に留まる。安室にとっては後に東京の父と呼ばれる存在だ。


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1992年に「スーパーモンキーズ」というユニットを組み芸能界デビューを果たしたが、思うように売れず。

 

安室に転機が訪れたのは、1995年、プロデューサーの小室哲哉氏による「Body Feels EXIT」で大ヒットを飛ばし、続く「Don’t wanna cry」などでミリオンセラーを連発。ミニスカ&ブーツスタイルを好む女子中高生「アムラー」が世を賑わせたのもこのころだった。

 

そして1997年の人気絶頂期に安室は15歳上のダンサーSAMとの「できちゃった婚」を発表。98年5月に長男を出産。その後、母親の事件などがあり、安室は2001年を最後に小室哲哉氏のプロデュースを離れ、2002年には夫のSAMと離婚した。

 

芸能活動も次第に紅白などのテレビ出演を控えるようになり、活動の場をライブ中心にシフトする。

 

めまぐるしく変わる環境の中にあっても「東京の父」だった平氏とは変わらず二人三脚を続けてきた。

 

だが、2014年に安室はある騒動を起こしている。以来、平氏と安室の関係には、修復しがたい深刻な亀裂が生じることになる。

 

2014年5月、契約条件に不満を持った安室は、税理士と弁護士を伴い、事務所に来ると契約書の改定を求める「提案書」を渡したという。

 

さらに安室は、同年6月には個人事務所「ステラ88」を立ち上げ、独立への動きを加速させているのだ。

 

親子とも言われた2人は、この独立騒動を機に、骨肉の争いを繰り広げることに。騒動中は安室と平氏との間に互いの言い分も述べる手紙が何通も交わされたそうだ。

 

そこには提案書を出した理由や、さらには今回の突然の引退宣言を予期させる安室の本心がつづられていたという。


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安室奈美恵の引退理由や真相を文春が報じる

安室奈美恵の本心がつづられていた手紙というのは、20周年のライブが終わったら人生を見直したいということだった。

 

平氏にもその旨を伝えていたが、平氏はライブ後の打ち上げでスタッフを前に「安室は21年目、22年目も活動を続けていく」と宣言。

 

それで安室は平氏に裏切られたと思ったのだという。

 

さらにあるとき、事務所との契約は5年ごとの自動更新だったことも初めて知り、ショックを受けたとか。

 

悩み続けた安室は、「いつまで仕事をしなければいけないのか、考えると涙が止まらなくなる」と思いつめるようになり、契約をめぐる話し合いで事務所幹部にも感情的になって「こんなの奴隷契約じゃないですか」と口走ってしまったという。

 

そして10月半ば、安室は平氏に新たな一通の手紙を送ったのだ。

 

その手紙には、「長年ライジングプロでお世話になってきました私こと安室奈美恵は、現時点までに公表しているお仕事を最後まで精一杯責任を持ってやらせていただいた上で、それ以降のアーティストとしての活動を停止し、引退させていただく意思を固めましたことをここにご報告させていただきます」とつづられていたという。

 

一方、平氏も強硬な姿勢を崩そうとはしなかったという。

 

「安室側の要求には法的根拠がなく、一切応じない」と伝えたとか。

 

さらに、騒動の原因と責任は安室にあり、契約不履行となれば損害賠償も辞さない構えであるとも言い渡したのだ。

 

平氏は安室に宛てた手紙に「甘やかし腫れ物のように扱ってきたことが間違いだった」と述べている。

 

互いに譲らぬまま騒動は翌年にまでもつれ込んだが、1月中旬に、安室は「ライジングプロ」との専属契約を終了。

 

「エイベックス」 の音楽レーベルである「Dimension Point」に移籍し、活動を続けることで事態の収束が図られたという。

 

そして2年後の9月20日に安室は、満を持して引退発表をするに至ったというのが、引退の真相だと文春が報じている。


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