ウルトラ山田事件の犯人は誰?日曜連続爆弾魔事件の真相!
1974年2月18日、大阪市天王寺区の近鉄上本町駅構内のコインロッカーで爆弾が爆発。
近くからは現金5000万円を要求する脅迫状も発見された。
犯人は警察とマスコミが協力し、すぐに逮捕。
名前は千葉と言う兄弟の犯行だったのである。
そして、事件は無事解決したと思われたが、数日後にまたもや爆発事件が発生。
現場には「ウルトラ山田」という声明文が残されており、脅迫状の内容は千葉兄弟の釈放を求めるものだった。
これがいわゆる「ウルトラ山田事件(日曜連続爆弾魔事件)」と呼ばれるものだが、犯人は一体誰なのか?
そこで今回は「ウルトラ山田事件」の真相と結末に迫って行こうと思う。
ウルトラ山田事件の詳細
ウルトラ山田事件は、今から約50年前の1974年2月18日深夜、大阪市天王寺区の近鉄上本町駅で最終列車が発射した直後、駅構内のコインロッカー付近で爆発。
爆発は過激派組織による犯行かと思われたが、現場近くにあるロッカーから近鉄社長宛てに脅迫状が見つかったのである。
脅迫状には5000万円を要求する文字と「要求に応ずるのであれば話し合うので、すぐ電話せよ」と、毎日新聞の広告欄に連絡先の電話番号を掲載するよう指示。
近鉄は警察に通報した後、犯人の指示通り新聞の尋ね人欄に連絡先の電話番号が載っている広告を掲載した。
すると、犯人側から近鉄本社の特設電話に電話がかかり現金を要求。
犯人は当初5000万円を要求していたが、金額を2億円につりあげた。
しかし犯人はその後、要求を1億円に引き下げている。
その後、犯人側から現金の受け渡しを求める新たな脅迫状が届けられることに。
そこには現金を運搬する者、車種、運転者を細かく指定されていた。
さらに出発する時間などを指示。
この脅迫状を受け、警察は愛知~兵庫に広域警戒態勢を敷くが、当日午後6時1分、犯人から「金はもういらんわ」と電話が入る。
ウルトラ山田事件の真相
2日後、犯人から脅迫状が再び届く。
中身は再度現金の受け渡しを求めるもので、後に行き先を指示するとのことだった。
翌日犯人は電話で、「午後8時までに宇治川近くの『宇治』というドライブインで次の指示を待て」と伝えてきた。
そのころ警察はドライブイン宇治周辺を包囲。
午後11時10分、ドライブイン宇治の前に停められた近鉄タクシーに、国道の歩道の方から白いマスクをつけた1人の男が近づいてきた。
男は、運搬役に現金を持ってくるように要求。
腹部のあたりから導火線のようなものを取り出し、「爆弾を持っている。おかしな真似をしたら、これや」と脅したが、運搬役を装っていた捜査員らにとびかかられ逮捕された。
犯人は神戸市に住む無職「千葉(当時44歳)」という男だった。
同日夜、京都府警が茨木インター付近で検問中に不審な男が運転する三河ナンバーの車を発見。
調べてみると、こちらの男はなんと千葉の弟(当時31歳)だったのだ。
実は弟はドライブインに兄を乗せていったのである。
弟は「兄と京都観光していて、兄の犯行には気づかなかった」と関与を否認。
だが、家宅捜索で自宅から犯行につながる物品が出てきたため、恐喝未遂幇助の容疑で逮捕されることに。
そして、千葉兄弟逮捕の数日後、この兄弟を釈放させようとする、もう1人の爆弾魔が現れた。
爆弾魔の名前は「ウルトラ山田」。
日曜日に4回連続して爆弾事件を起こしたのである。
事件は3月17日午前11時半頃、日曜日の混雑する近鉄百貨店阿倍野支店7階子ども服売場で爆発が発生。
現場には千葉兄弟を訳放を要求する脅迫状が置かれていた。
実は事件が起きた前の3月10日には、堺市の「スーパーニチイ」で爆破未遂事件が起きている。
こちらの現場で発見された爆弾は、タイマーなどの仕組みから、近鉄百貨店爆破事件と同じで、同一人物による犯行とされた。
次に爆発が起きたのは4月7日午後4時頃。
近鉄デパート上六支店から天王寺署上本町七丁目派出所に届けられたもので、警官の1人が右手の指3本を失う重傷を負った他、4人が軽傷を負うことに。
そして4月14日、またしても日曜日に国鉄天王寺駅構内にある地下トイレで爆発が起きた。
トイレは目立たないところだったため利用客も少なく、怪我人なども出なかったが、向かいは近鉄デパート阿倍野店だった。
この爆発事件に対し、警察の捜査は思うようにすすまなかった。
犯人は千葉兄弟の釈放を求めるだけで、近鉄に対して金銭を要求してくるということもなかったからだ。
警察は堺市鳳南町を中心にローラー作戦をすすめたが、犯人の特定には至らず。
4件はいずれも日曜日に起こっている。
これは何を意味するのか?事件の真相は?
完全に迷宮入りになるかとも思われたが、ひょんなことから事件の結末を迎えることになる。
ウルトラ山田事件の犯人は誰?
事件の結末だが、あるとき捜査本部の刑事が爆破事件の現場の写真を見て、ある見物人の顔に気がついた。
それは、現場に張り巡らされたロープのところに少年が1人すがりつくように見物していたのである。
この顔は初めて見る顔ではなく、別の2件の現場にも同じ少年が写っていたのだ。
すぐにこの少年の身元は割り出される。
警察が以前行なったローラー作戦で、堺市に中学2年の爆弾マニアがいたのだが、それこそこの少年だった。
まだ中学生ということもあって、警察もすぐには事情を聞くわけにもいかなかったが、参考人として調書に指紋を押させることに。
これが天王寺駅トイレの爆発物に残された指紋と一致し、少年は補導された。
少年は母子家庭で育つ1人っ子で祖母と3人家族。
小学生の時は新聞配達などをして母親を助けていたが、6年生ぐらいから学校を休みがちになり、中学2年時にはほとんど登校していなかった。
母親は生活に追われ、一連の爆破事件のことも気づかず、まして自分の息子が勉強部屋で爆弾を作っていることなども知らなかったという。
また学校に行っていない少年は難しい漢字なども書けなかったが、母親に頼んで脅迫状を書いてもらっていた。
そして犯人名の「ウルトラ山田」だが、これは、1967年1月に大丸神戸店のトイレで爆破事件が発生し、現場に「ウルトラ山田」という脅迫状が残されていた事件があった。
この事件は犯人を特定することは出来ず、公訴時効を迎え、未解決事件となっているが、大丸爆破事件の時、少年は6歳。
当然犯人ではなく、「ウルトラ山田」の名を借りただけである。
今回起きた事件の真相は、爆弾マニアの少年が無関係の千葉兄弟を利用し、大丸爆破事件で使われた「ウルトラ山田」を勝手に名乗ったものだった。