奥村彰子(画像)滋賀銀行9億円横領事件の犯人 その後の判決や出所後は?

8月18日放送の「爆報!THE フライデー」は、1973年10月21日に滋賀銀行山科支店の女子銀行員・奥村彰子が4億8000万円もの金を横領していたのが発覚して逮捕された「滋賀銀行9億円横領事件」を特集。(画像あり)
この事件は当時、滋賀銀行山科支店に勤務していた奥村彰子が、その立場を利用して7年間もの間、銀行から9億円の横領を繰り返していたもので、日本人女性の犯罪史上空前の巨額着服事件。
松本清張の小説「黒革の手帳」は、この事件を題材とした作品だといわれている。
また、逮捕されてわかったことは、犯人の奥村は金を自分で使うことはなく、そのほとんどは恋人・山県元次のギャンブルや豪邸を購入するためなどの資金として消えていたことだった。
奥村はどのような方法を使って9億円もの大金を横領することが出来たのか、また、どうして山県に貢ぎ続けたのか。
詐欺、横領の最高刑は10年と短く、山県に利用された奥村に下った判決は懲役8年。
奥村を思う存分利用した山県に至っては、最長となる懲役10年の判決が下った。
今回は「滋賀銀行9億円横領事件」の犯人・奥村彰子のその後や出所後などについてまとめてみた。
奥村彰子(画像)滋賀銀行9億円横領事件の犯人
「滋賀銀行9億円横領事件」が発覚したのは、1973年10月21日。
当時、滋賀銀行山科支店に勤務していた女性銀行員・奥村彰子は、恋人・山県元次のために過去7年で約1300回、合計8億9400万円を銀行から横領して逮捕された。(画像あり)
(奥村彰子の画像)
この金額は、当時の史上最高額の銀行横領事件として語り続けられ、現在では小説化されたりドラマ化されたりしている。
犯人の奥村が犯行に及んだ手口は、定期預金の依頼を受けた人物から預かった金を入金せずに横領したり、客から定期預金、普通預金の払い戻し請求があったように見せかけて、銀行の出納係を騙したりした。
さらに、預金元帳や支払伝票に嘘を記入して5億7000万円を着服。虚偽の伝票を用いてテラマシーンを操作したりもしたという。
また、滋賀銀行山科支店の支店長などが客から預かった金を、入金手続しないで山県の口座へ直接振り込んだりもしている。
その額は延べで2億6000万円に上った。
滋賀銀行山科支店に勤務するまでの奥村はというと、1948年12月に滋賀銀行京都市店に入行。
1965年5月には同銀行の北野支店に勤務していた。奥村が山科支店へ転勤になったのが、1966年春。
その1年前に、山県のタクシーに乗ったことがあった奥村は、帰宅途中のバスで偶然山県と再会。
その後付き合うようになり、山県が金を無心するようになった。
奥村は別れたくない一心から7年間、山県に巨額の金を貢いでいたのだが、その間の山県は、1970年に結婚して子供もいたという。
さらに愛人が2人もいたというが、奥村はそのことを知らなかったのだ。
滋賀銀行9億円横領事件の犯人 奥村彰子のその後や判決 出所後は?
「滋賀銀行9億円横領事件」の犯人・奥村彰子が山県元次と再会し、横領に手を染め始めたのは、奥村が35歳で、山県が25歳のときだった。
7年間にわたり横領を繰り返していた奥村だったが、山県はというと、貢がせるだけ貢がせて自分は妻と子供を持ち、愛人2人を抱える生活をしていたのだ。
しかも愛人の1人にはバーをやらせていたということだが、奥村の方は横領の発覚を防ぐために日曜休日も出勤し、夜も残業して書類のつじつまを合わせていたという。
そして、7年間にわたり横領を繰り返していた奥村だったが、1973年2月1日、ついに山科支店から東山支店へ異動を命じられる。
すると、山科支店から帳簿が合わないからと、呼び出しを受けることになり、奥村は逃亡を決意。
山科支店は2月18日、滋賀県警へ通報。21日になって警察が裁判所に奥村への逮捕状を請求し、奥村は全国指名手配された。
だが、10月15日、山県が先に贓物罪(収受)容疑で逮捕され、その後、山県が奥村の居場所を供述したことから、奥村は10月21日、潜伏先の大阪で逮捕されたのである。
裁判での判決については、大津地裁が1976年6月29日、詐欺、横領で奥村に懲役8年と賠償金1000万円を明じ、山県に懲役10年と賠償金3000万円の判決を言い渡した。
奥村と山県は共に控訴せず、判決は確定した。
その後の奥村だが、1981年6月に仮出所。出所後は逃亡先で知り合った男性と結婚したということだが、奥村は逮捕後、本当の男がどういうものか初めて知ったと、この男性について語っていたという。
滋賀銀行9億円横領事件 山県元次が豪邸を購入
「滋賀銀行9億円横領事件」の犯人・奥村彰子は、1年間で4億6000万円を横領。多いときには1日600万円を山県元次の口座へ振り込んでいたという。
9億円を横領したうち、奥村が使ったのは宝石を買うのに使った金額の約2000万円のみ。残りを山県が車やモーターボート、豪邸を建てて、兄や母親にも金を融通していたのだ。
さらに、ギャンブルが好きだった山県は、競艇に3億円、その他娯楽に7000万円という豪遊ぶり。
山県が競艇場に姿を現すと、舟券の売上高が大きく上昇。賭けた買い目のオッズが大きく変動したという。
後の捜査で競艇場の売上金額を調べれば、山県が来場した日の見当がついたというほど。
あまりの豪遊ぶりに京都府警は、3億円事件の犯人ではないかと疑っていたそうだ。
結局、山県は奥村から得た金で車3台にモーターボート5隻を購入。
競艇や娯楽以外に実兄の金融会社に5000万円、電気器具などに1000万円を使い、山県御殿と呼ばれる豪邸の購入と改築費に6500万円を費やしたのだった。