猪木 寛子はアントニオ猪木の子供?現在 息子と孫は?

アントニオ猪木の画像

☆この記事はこのような人におすすめです。

・アントニオ猪木氏が結婚していた歴代の妻を知りたい。

・4人目の妻と娘の病気、死因について知りたい。

・猪木 寛子(いのき ひろこ)以外の子供が何人いるのかを知りたい。

 

生前のアントニオ猪木氏は、びっくりするほど激やせして、まるで別人のような姿になっていました。

 

激やせの原因は、「腸捻転」を発症して、ろくに食事がとれない状況が続いたから。

 

ほかにも持病の「糖尿病」、難病の「アミロイドーシス」を患い、疲労困憊(ひろうこんぱい)。

 

さすがの猪木氏でも、病気に勝てなかったのです。

 

そんな今回は、アントニオ猪木氏の結婚歴や家族、子供についてまとめてみました。

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アントニオ猪木の1人目の妻と娘の死因

アントニオ猪木氏といえば、「闘魂注入ビンタ」や「元気ですかー!」のあいさつでおなじみの元プロレスラーです。

 

本名は猪木寛至(いのきかんじ)で神奈川県横浜市鶴見区出身。

 

そして、純然たる日本人です。

 

また、国会議員時代は、湾岸戦争の最中に命懸けでイラクへ渡り、在留邦人の人質解放に奮励。

 

ほかにも北朝鮮を訪問し、拉致被害者の救出に努めたことでも知られています。

 

そんなアントニオ猪木氏に当時は感銘を受けたものですが、プライベートに関してはまったく逆で怠慢。

 

これまで妻が4人変わっているのも、ほとんど浮気が原因で離婚しているのです。

 

そこで歴代の妻なのですが、まず、1人目は猪木氏が若い頃、アメリカ武者修業中に知り合った現地の女性でした。

 

1人目の妻の名前はダイアナ・タック。

 

ただし、入籍していなかったので、実際は事実婚だったことになります。

 

そして、1人目の妻との間に子供(娘)をもうけ、日本で生活しようと呼び寄せるのですが、猪木氏の浮気がバレて離婚。

 

離婚後、ダイアナ・タックは日本に留まることなく、アメリカに帰ったということです。

 

あと、1人目の妻との間にもうけた子供(娘)ですが、名前は文子ちゃんといって、8歳の時に病死しています。

 

死因は「小児ガン」だったそうです。

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猪木 寛子はアントニオ猪木の2人目の子供

1人目の妻と離婚したアントニオ猪木氏は、1971年に再婚しています。

 

2人目の妻は当時25歳の女優・倍賞美津子。

 

猪木氏は28歳で、1億円の結婚式を挙げて新婚生活をスタートさせました。

 

ところが、結婚式の1カ月半後、アントニオ猪木氏は所属先の日本プロレスから追放され、1億円の借金を背負うことに。

 

日本プロレスから追放された理由は、会社のずさんな経営方針を不満に思い、内部改革をしようと動いていたことがバレてしまったから。

 

その結果、本来、日本プロレスが負担してくれるはずの結婚式費用が支払われず、すべて自分にのしかかってしまったのです。

 

こうして猪木氏は、新婚早々1億円の借金を背負うことに。

 

ですが、それでも何とか頑張って借金を返済していこうと、翌年には自宅を改造して新日本プロレスを旗揚げします。

 

そして、2年後の1974年に娘の寛子が誕生するも、今度はサトウキビの搾りかすを使ったアルコール燃料の開発事業に失敗。

 

数十億円の借金を背負うことになったのです。

 

(倍賞美津子と娘の猪木寛子さん)
倍賞美津子と娘の猪木寛子の画像

 

他にも、妻の倍賞美津子が溜めていた貯金を、アントニオ猪木氏の親族が勝手に手をつけたことが発覚。

 

こうした事態にとうとう夫婦関係に亀裂が入り始めると、1985年には俳優の故・萩原健一さんと妻・倍賞美津子の熱愛写真をフライデーが掲載。

 

当時は猪木氏自身も不倫していたらしいのですが、この倍賞美津子の不倫報道をきっかけに、2人は1987年に離婚したのです。

 

ちなみに離婚後、倍賞美津子が娘の寛子さんを引き取って、育てあげています。

3人目の妻

アントニオ猪木氏は、倍賞美津子と離婚した1年8か月後の1989年6月に3度目の結婚をしています。

 

3人目の妻の名前は戸倉尚美(とくら なおみ)さん。

 

(力道山の墓参りをするアントニオ猪木氏と戸倉尚美さん)
戸倉尚美の画像

 

戸倉尚美さんは米国に住む22歳年下の一般人で、猪木氏とは飛行機で隣合わせになったのがきっかけで知り合ったそうです。

 

そして、翌年の1990年3月1日に息子の一成(かずなり)が誕生。

 

1991年には、米フロリダ州マイアミの豪華客船上で結婚式を挙げています。

 

しかし、息子が22歳の2012年11月末、2人は離婚。

 

離婚理由は、またまた猪木氏の浮気で、当時52歳のカメラマン女性との熱愛が報じられたのです。

4人目の妻の死因

アントニオ猪木氏は、3人目の妻・戸倉尚美さんとの離婚原因となったカメラマン女性と、2017年2月20日に4度目の結婚をしています。

 

4人目の妻の名前は橋本田鶴子(はしもと たづこ)さん。

 

橋本田鶴子さんは16歳年下で、1990年代後半から猪木氏の写真を担当していたのです。

 

といっても、最初はただのカメラマンとしての関係。

 

ところが、次第に仲が深まっていき、常に行動を共にするようになっていたといいます。

 

そして、2人は正式に婚姻届を提出。

 

しかし、田鶴子さんは前から病気を患っていて、2019年6月に入院してしまったのです。

 

(4人目の妻の橋本田鶴子さん)
橋本田鶴子の画像

 

それから2か月後の2019年8月27日、体調を崩して入院していた妻・田鶴子さんが死去。(享年62)

 

死因は「すい臓ガン」で、実は2013年頃から入退院を繰り返す闘病生活だったそうです。

 

ちなみに、田鶴子さんの最期の言葉は「ありがとう」。

 

夫の猪木氏には、病名である「すい臓ガン」を最後まで告げなかったということです。

アントニオ猪木の息子と孫の現在

結局、アントニオ猪木氏に子供が何人いるかというと、小児ガンで亡くした娘を含めて3人です。

 

倍賞美津子との間にもうけた2人目の娘は、元ミュージカル女優の猪木寛子さん。

 

猪木寛子さんは12歳だった1986年、ミュージカル「アニー」に山尾志桜里と共に出演したことがあります。

 

その後、同じ幼稚園(インターナショナルスクール)に通っていた幼なじみのサイモン・ケリー氏と結婚し、2人の男児を出産。

 

しかし、2016年前後に婿養子だったサイモン・ケリー氏と離婚しています。

 

ちなみに、寛子さんの夫だったサイモン・ケリー氏は、神奈川県川崎市出身のハーフ(アルゼンチン人の父親と日本人の母親)です。

 

(猪木寛子さんの元夫のサイモン・ケリー氏)
サイモン・ケリーの画像

 

元新日本プロレス代表取締役社長で、2007年3月には、アントニオ猪木氏が旗揚げした新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」に役員として合流。

 

IGFでは義父である猪木氏の渉外を担当し、主にアメリカからIGFに選手を送っていました。

 

そして、3人目の妻・戸倉尚美さんの間にもうけた息子の一成さんはというと、2008年に米・コロンビア大学に合格。

 

唯一の息子である一成さんは、名門コロンビア大学に合格するくらいなので、かなり頭が良いことになります。

 

結局、アントニオ猪木氏の子供に関しては、こんな感じで、孫も2人いることが判明。

 

あとは息子の一成さんが現在結婚していて、子供が生まれているかによって、孫の人数が変わってくることになります。

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