須藤理彩の夫の死因と子供は?余命2年は誤報だった?(2024最新)
☆この記事はこのような人におすすめです。
・須藤理彩の夫の死因を知りたい。
・夫の余命について知りたい。
・須藤理彩の子供(娘)の年齢を知りたい。
女優・須藤理彩の夫で「BOOM BOOM SATELLITES」のギターボーカル・川島道行氏が死去したのは、2016年10月9日のことでした。(享年47歳)
死因は、かねてから患っていた「脳腫瘍」とされています。
生前、夫の川島道行氏が所属していた「BOOM BOOM SATELLITES」は、「6月22日発売の新アルバムをもって、活動を終了する。」と公式サイトで発表。
また、2015年4月、「NEWS ZERO」で特集が組まれた際、夫の川島道行氏は余命2年と報道されたことについて「2年では死にません」と、誤報であることをツイッターで説明していました。
「現在は小康状態で、定期的な検査をしているところですで。」と語っていたのです。
しかし、懸命の治療もむなしく、川島道行氏は死去。
突然の訃報に妻の須藤理彩は、「運命を受け入れ、もがきながらも懸命に音を奏で続け生き抜いた川島道行を、誇りに思います」とコメントを発表したのです。
なお、夫の川島道行氏は、須藤理彩と2006年に結婚し、2人の子供をもうけています。
そこで今回は、川島道行氏の死因となった「脳腫瘍」や、まだ幼い2人の子供のことなどについてまとめてみました。
須藤理彩の夫 川島道行の死因は?
須藤理彩の夫・川島道行氏は、1997年に初期の脳腫瘍が見つかり、3度の手術を受けていました。
その後しばらくして、5度目の脳腫瘍を発症。
そのため同バンドは、2015年11月に行われるワンマンライブをもって、ライブ活動を一時休止することを発表したのです。
(須藤理彩の夫・川島道行氏)
さらに、翌年には6月22日発売の新アルバムをもって、バンドの活動を終了することを発表。
理由は、川島道行氏が脳腫瘍による麻痺などの後遺症で、活動を続けるのが困難となったためと説明したのです。
バンド活動の終了を受け、川島道行氏と19年のバンド人生をともにしたベース・プログラミング担当の中野雅之は、ブログを更新し、「バンド史を締め括るのに相応しい作品です」とアルバムについて紹介。
そして、最後のアルバムになることの理由を以下のように述べたのです。
「川島道行の脳腫瘍による麻痺などの後遺症です。現在、川島道行はミュージシャンとしての役割を終えて家族と共に穏やかな毎日を過ごしています。言葉はゆっくりですが話せます。手足は不自由になってきて車椅子を使う機会も増えました。正確な意思の疎通が難しいので、今彼が何を考えて何を思って毎日を過ごしているのか、僕でも少し理解しきれない時があります。しかし、この作品を作りきった充実感や達成感は感じていると思います。僕には本当に燃え尽きてしまった抜け殻のようにも見えます。『お疲れ様!』と声をかけてあげて欲しい」
中野雅之は、川島道行氏の現状をこのように説明していました。
しかし、2016年10月9日、川島道行氏は妻の須藤理彩と小さい子供2人を残し、死去したのです。
発表によると、川島道行氏の死因は脳腫瘍ということでした。(享年47歳)
須藤理彩の子供
須藤理彩と川島道行氏は、2000年に知り合い、6年の交際を経た2006年に結婚。
出会いのきっかけは、共通の知人の紹介で、2007年2月に出産予定のデキ婚だったのです。
ところが、当初は川島道行氏の事務所側の意向で、須藤理彩は夫の名前を公表しませんでした。
そんなことがありながらも、翌2007年1月30日に長女、2011年10月20日に次女が誕生。
その子供も現在、長女が年齢16歳、次女が11歳になっています。
また、妻の須藤理彩の年齢はというと、30歳で結婚し、40歳で未亡人となり、現在47歳。
当時は「夫の運命を受け入れ、もがきながらも懸命に音を奏で続け生き抜いた川島道行を、誇りに思います。」とコメントしていたのです。
川島道行が余命2年は誤報
2015年4月に「NEWS ZERO」で特集が組まれた際、川島道行氏はツイッターで以下のような説明をしていました。
「昨夜の放送の件で誤解があってはいけないのですが、確かに当初は2年かそこらの余命であると言われて手は無いと言われましたが、去年の夏に放射線治療の治験を受けて成果があり、現在は小康状態で、定期的な検査をしているところです。つまり2年では死にません。まだまだ良い音楽を発信していきます」
番組を見た人に“余命2年”との誤解を与えたとして、自身のツイッター上で「2年では死にません」と宣言。
ただ、番組は医師から余命2年と宣告された後、治療を続けながらも、新アルバムの制作に取り組む姿を特集したので悪気があったわけではありません。
ナレーションでは、新アルバムの制作に取り組む部分の説明はあったものの、余命の部分のみ印象づけられた視聴者が少なくなかったのも事実。
川島道行氏は、「確かに当初は2年かそこらの余命であると言われて手は無いと言われたが、去年の夏に放射線治療の治験を受けて成果がある」と病状を報告し、最後まであきらめることなく病と闘っていました。
しかし、闘病生活もむなしく、亡くなってしまったのです。
故人のご冥福をお祈りいたします。