筒井郷太の生い立ちと現在は?長崎ストーカー事件は家族が被害に!
☆この記事はこのような人におすすめです。
・長崎ストーカー事件の犯人・筒井郷太の生い立ちを知りたい。
・筒井郷太の現在について知りたい。
・長崎ストーカー事件の真相と結末について知りたい。
長崎ストーカー事件は、2011年12月16日午後6時ごろに発生しました。
被害者は、長崎県西海市の山下美都子さん(当時56歳)、久江さん(当時77歳)で、2人とも自宅敷地内のワゴン車の荷台で発見されたのです。
一方、この事件ですが、犯人は山下家の三女(当時23歳)の元交際相手・筒井郷太(当時27歳)という人物でした。(後に死刑判決が確定)
事件を起こす前の筒井郷太は、千葉県習志野市で三女と同居。
しかし、DVが原因で警察から警告を受け、三女と離れ離れに。
その後、三女にストーカー行為を繰り返していました。
そして、事件当日、実家に連れ戻されたと思い込んだ筒井郷太は、三女を取り戻そうとして長崎県西海市の実家に侵入。
そこに帰宅した母親の美都子さんと祖母の久江さんが被害に遭ってしまったというわけです。
また、事件を起こした後、逃走していた筒井郷太ですが、翌日の17日、長崎市内のホテルにいたところを長崎県警に見つかり、住居侵入などで逮捕されます。
当時、筒井郷太は被害者から奪った財布2つを所持。
さらに、着ていた衣服から被害者の血痕が検出されたのでした。
なお、この「長崎ストーカー事件」ですが、そもそも千葉県警習志野署の対応に問題があったから起きてしまったとされています。
山下家はこれまでストーカー被害を訴えるも、警察は筒井郷太に注意していただけのずさんな対応。
しかも、被害届が出された2日後、署内のレクリエーションで2泊3日の旅行に行っていたことなども判明しているのです。
さらに事件が起きた12月16日、警察は事前に被害を防げたにもかかわらず、筒井郷太が実家に向かっている可能性があることを家族に連絡していませんでした。
こうした警察の不手際が原因で、家族が事件に巻き込まれてしまったのです。
そこで今回は、長崎ストーカー事件の真相や、犯人の筒井郷太の生い立ちなどについて迫ってみようと思います。
筒井郷太の生い立ち
長崎ストーカー事件の犯人・筒井郷太の生い立ちですが、まず、家族構成はというと、両親と兄弟3人がいる6人家族。
実家は三重県桑名市霞町1丁目です。
また、筒井郷太の生い立ちについて書かれたものの中には、「幼少期から他の児童にかみついたり、家族に暴力を振るっていた」「依存性が強く、他罰的な性格だ」などと記せられています。
ちなみに、「ストーカー規制法」が出来たのは2000年。
1999年に埼玉県桶川市の女子大生・猪野詩織さんがストーカー被害に遭った後、殺害されたのを機に法が制定されたのです。
にもかかわらず、警察の不手際が原因で事件が発生。
山下さんの父親・誠さんの手記には、三女へのストーカー行為などについてこう記されています。
「長崎、千葉、三重県警に再三捜査を要望したもののたらい回しにされ、誰も助けてくれない」「絶望的な気持ちになった」「警察に対して、なぜ?と思うことは山ほどある」。
筒井郷太の現在
筒井郷太は現在、福岡拘置所に収容されています。
なお、2016年に死刑が確定していますが、まだ刑は執行されていません。
ちなみに筒井郷太は、過去にも別の女性のストーカー行為で逮捕歴がありました。
要注意人物だと分かっていたはずなのに警察は中々動かず。
そのため、母親と祖母が犠牲になってしまったのです。
それにもし、事件当日に三女も一緒にいれば、母親、祖母と同じ目に遭っていたことでしょう。
また、事件の公判でも、出席した長女と次女は自分たちも顔を見られていることから「私も同じ目に遭うと思って遺書を持ち歩いていた」と恐怖を振り返っていました。
筒井郷太という人物は、完全に家族を恐怖におとしいれていたのです。
しかも、公判では取り調べの任意性・信用性が焦点となると「否認していたが、警察官から脅され、犯行を認める調書にサインした」などと供述し、無罪を主張。
なんと図々しく犯行を否認したわけですが、検察側は「聴取の様子は録音・録画されている」と取り調べの違法性を否定したのです。
そして最終判決が開かれると、「何ら落ち度のない2人の生命が奪われた結果は重大酌量の余地は全くない」として、死刑の判決が下されたのでした。
長崎ストーカー事件の真相と結末
長崎ストーカー事件をもう一度まとめると、犯人の筒井郷太は山下家の三女と交際を巡るトラブルから母親の美都子さん、祖母の久江さんを殺害。
そこで、気になるのは筒井郷太と三女が知り合ったきっかけです。
調べてみたところ、三女と筒井郷太はネットを通じて知り合い、2011年2月から交際開始。
ただ、当時無職だった筒井郷太は、三女が一人暮らしをしていた千葉県習志野市のマンションに居座り、日常的に暴力を繰り返していたのです。
そして、2011年10月29日、三女の父親から相談をうけた長崎県警が千葉県警に通告。
通報を受けた千葉県警は10月30日、筒井郷太を呼び出して事情聴取や警告を行いました。
ところが、筒井郷太は三女から引き離された事を機に、ストーカー行為を働くことに。
三女や三女の姉、さらに知人などに 「居場所を教えろ」等の脅迫メールを送っていたのです。
そんな言動に不安を募らせた山下さんは、筒井郷太の実家がある三重県桑名市の警察署に電話。
12月6日、山下さんらは被害届を出すため長崎から習志野署へ足を運んだのでした。
しかし、警察は「被害届を出すのは1週間待ってほしい」と、言ったといいます。
なぜならこの時、刑事課では複数の事件を抱えており、「筒井郷太を起訴まで持ち込める捜査をするために他の案件を片付けてしっかりした体制を作りたかった」と説明。
結局、この1週間という判断が、結果として最悪の事態につながる大きな要因となってしまったのです。
そして、被害届が受理されるのを待つ間、山下さんらは千葉にある三女の部屋を片づけていました。
12月9日、三女のマンションの前を筒井郷太がうろついていたため警察へ通報。
千葉県警は当日に筒井郷太を再度出頭させ警告を行い、「自分からは連絡を取らない」と応じさせ、実家のある三重県に帰らせたのでした。
12月14日、筒井郷太は自宅で父親の顔面を殴り行方不明に。
その後、筒井郷太の父親は東京都内で三女の父親と面会。
その際、三女の父親に「息子が自分の顔を殴り、金を持って姿を消した。気を付けてほしい」と伝えていたということです。
そして、12月16日に事件が発生するわけですが、後に警察がずさんな対応をしていたことが発覚。
しかも、千葉、三重、長崎の3県警の連携不備や千葉県警習志野署員が山下さんの被害届を先送りして旅行したことも分かったのです。
結局、事件の真相は警察の不手際によるもので、この件に関しては県警本部長らが処分しています。
また、この長崎ストーカー事件というのは、「警察の不手際がなければ事前に防げた」ということだけ付け加えておきます。