宮根誠司の嫁は?隠し子の母親がメールの内容や嘘を暴露!

宮根誠司 隠し子 相手女性 画像

2012年に隠し子がいることを女性週刊誌「女性セブン」に報じられたフリーアナウンサーの宮根誠司。

 

そんな宮根誠司に対し、隠し子の母親が激怒しているそうだ。

 

事の発端は、最近ある事実を知った隠し子の母親が、どうしても宮根誠司のことを許せないと「週刊文春」に告発。

 

母親が言うには、女性セブンに掲載された記事は、宮根誠司が作り上げた話に基づいて書かれている。

 

なので、宮根誠司にとって都合のよい内容になっているという。

 

こうして文春のインタビューに応じた隠し子の母親だが、これまで宮根誠司がついた嘘で冷たい目で見られてきたとか。

 

だが、「宮根誠司や家族の迷惑になるだろう」と本当のことを話さずに黙って我慢してきたそうだ。

 

しかし、最近あることを知って宮根誠司の事をどうしても許せなくなり、真相を話すことことにしたという。

 

はたして隠し子の母親は、一体どんな内容を文春に語ったのか?

 

今回は、宮根誠司が隠し子の母親に送ったとみられるメールの文面を含め、文春に掲載されている内容をまとめてみた。

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宮根誠司の嫁と隠し子

2012年1月、女性セブンに「宮根誠司に隠し子!語り尽くした4年の苦悩」という記事が掲載された。

 

隠し子の件について宮根誠司は、自身がMCを務める「情報ライブ ミヤネ屋」で、女性セブンの報道を「すべて事実です」と認め、謝罪した。

 

そもそも宮根誠司は、1993年に元モデルの女性と結婚したが04年に離婚。

 

その後、現在の嫁と06年に再婚している。

 

だが、嫁とは別の大阪・北新地でママをしていた女性との間に3歳の女児がいることが報じられたのである。

 

北新地でママをしていた女性というのが、今回、文春のインタビューに応じた隠し子の母親。

 

隠し子の母親とは、結婚前の04年の6月頃に知り合い交際に発展。

 

当時、母親は20代で、宮根誠司はお客として女性の店によく訪れていたという。

 

そして、そうこうしているうちに宮根誠司から「ご飯行く?」と誘ってきたり、ある時は一緒に道頓堀のスポーツジムに行ったりして仲良くなり交際に発展。

 

だが、付き合って2年ぐらい経った06年8月頃、宮根誠司から「君よりも先に出会って付き合ってる人がいる」と打ち明けられたのだとか。

 

そのことを聞いた母親は、ショックだったが、「もしその人と結婚する気があるなら私はすぐに別れます」と数えきれないくらい何回も言ったそうだ。

 

また、二股の状態が耐えられないとして、母親から別れを切り出したこともあるという。

 

だが、当時のことを宮根誠司は、「相手の女性には結婚を約束した恋人がいると言っていたので、向こうも僕とは結婚できないとは思っていたようです」と語っているのだ。

 

「そんなことは一切言われたことはなかったし、全くの嘘だ」と母親が文春に告発。

 

また、06年8月の結婚後も関係は続いていたが、「新婚ということもあってか、以前よりも相手女性と頻繁に会うことはなくなっていた」とも書かれていたのである。

 

この件に関しても母親は、宮根誠司の嘘を指摘。

 

「むしろ会う回数は以前よりも増え、週に1回は会っていた」と告発している。

 

その間も宮根誠司は再婚したことを隠し、女性と交際を続けていた。

 

そして、07年6月8日に子供を妊娠してるのが分かり、そのことを女性が報告すると、宮根誠司は4日後の6月12日になり、「実は結婚している」と打ち明けてきたのだという。

 

結婚していることを聞かされた母親は、「信じられませんでした。頭が真っ白になり、絶望的な気持ちになり、ただただ悲しかった。」と当時を振り返る。

 

その後の母親は宮根誠司に嘘をつかれ、騙されていたことを痛感するも、08年2月には難産の末、娘を出産。

 

宮根誠司は3月に母親の実家で娘と対面し、4月に認知をしたということである。

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宮根誠司の隠し子の母親がメールの内容を暴露

隠し子の母親に結婚していることを打ち明けた宮根誠司は、後に長文の謝罪メールを何通も送っていた。

 

例えば6月13日の深夜、宮根誠司からのメールにはこう綴られている。

 

「本当にごめんなさい。自己保身と言われてもしょうがないですけど、君の事は本当に好きでした。彼女と付き合って何年かして君が僕の前に現れました。僕はママが好きになりました。ただ、結婚は考えていませんでした。ただ、ママを応援しなければ、いつか君を新地でトップにすると張り切ってました。それは信じて下さい。籍の事は君との関係を失いたくなくて言えませんでした。本当に好きでした。僕はこれから償いたいそして頑張ります。彼女の人生もあります。君の人生もあります。一生かけてどんなことをしても償います。」

 

宮根誠司 文春 メール内容

 

そのほかにも宮根誠司は謝りながらも「言うのだけは勘弁して下さい」といった内容のメールを送信。

 

家族や世間に知られないよう、隠すことに必死だったという。

 

そんな宮根誠司は、妊娠半年後ぐらいに隠し子の母親の四国の実家を訪れ、両親に土下座して謝罪。

 

母親も宮根誠司の必死さと「一生かけて償う」という言葉を信じて一度は許したそうだ。

 

だが、娘が産まれてからも宮根誠司に裏切られた悲しみは消えなかったという。

 

それに、再婚をブログで報告した宮根誠司が、「ミヤネ屋」の放送中に共演者から花束をもらって祝福されている姿を見て、悔しさでいっぱいになったとも話す。

 

「ひとりで子供を育てているのに、何で宮根誠司だけが皆から祝福されているのだろう」と。

 

しかも、宮根誠司は、まだ本当のことを再婚した嫁に伝えていなかったのだ。

 

なお、女性セブンの記事には、「嫁に隠し子がいることを伝えるまで一か月くらい悩みました」とあるが、実際は1年半以上にわたって隠し続けていたはずと、隠し子の母親が主張している。

 

また、「自分で言わないなら私が再婚相手に会いに行く」と伝えると、宮根誠司はようやく諦めたように「嫁に言います」と返事してきたそうだ。

 

要するに、宮根誠司はそうやっていつも口でうまいことを言っては、物事をうやむやにして隠そうとするのだとか。

 

女性セブンから記事が出る時も、一報があるのみで内容は知らされず。

 

記事を読むと、既婚者と知りつつ付き合っている愛人のように書かれていたことに衝撃を受けたという。

 

「本当は、宮根誠司に騙されていただけなのに」と、隠し子の母親は事の真相を文春のインタビューでぶちまけたのだった。

宮根誠司の隠し子の母親が知ったある事実とは?

宮根誠司の隠し子の母親は、ある事実を知ったことで、文春に真相をぶちまけることになったという。

 

そのある事実とは、これまで宮根誠司が隠してきたことだそうだ。

 

それは、娘が1歳になった頃のこと。

 

実は宮根誠司と嫁が黙って、隠し子の母親の父親の元に訪ねてきたのだという。

 

そして、父親を近くのホテルに呼びつけ、宮根誠司の嫁からこう言われたのだとか。

「こんなことになってどうしてくれるんだ」

 

嫁が厳しい口調で父親を責め立てたそうだが、宮根誠司は横で何も言わず黙り込んでいたらしい。

 

コーヒー1杯も出されなかったといい、その話を聞いた隠し子の母親はというと「騙されたのはこっちなのに」と、怒りがこみ上げてきたという。

 

しかも「こちらが訴えて裁判を起こすことを危惧している様子だった」というのも父親から聞いたそうだ。

 

それに、この父親だが、宮根誠司が四国に謝罪しに来た時も怒るどころか、逆に「頑張らなあかん」と励ましたという。

 

だが、その行為を踏みにじった宮根誠司と嫁。

 

隠し子の母親は2人に激怒したのである。

 

なお、母親は2017年10月23日にホテルで宮根誠司と直接会って、改めて「奥さんに私と私の父に謝ってほしい」と伝えたそうだ。

 

しかし、宮根誠司は「その時の事はどうだったか細かいことは覚えていない」と再び話を逸らしたという。

 

また、母親はその場で、これまでの真実を公表する気でいることを伝えると、宮根誠司はこう答えたそうだ。

「僕は全然、腹をくくるので公表してもいいです。仕事がなくなって社会的に叩かれるかもしれないけど、甘んじて受け入れます。でも2年後くらいにはまた復帰する」。

 

そして、別れ際には「僕のことが嫌いなの?」「僕と戦うんですか?」と高をくくった態度で聞いてきたということである。

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