桂あやめが西川正勝(画像)事件の被害者に!娘を持つシングルマザーの生い立ちとは?

桂あやめ 画像

1991年12月12日~28日までの間に計4人のスナックママが命を奪われた事件で、犯人・西川正勝死刑囚(画像あり)は、女性落語家・桂あやめにも危害を加えていた。

 

この事件は1991年12月12日に姫路市、21日に松江市、26、28日に京都市で発生。

 

4人の女性スナック経営者が命を奪われた挙句、現金などを奪われたことから「スナックママ連続事件」と呼ばれている。

 

手口が同じだったことに着目した警察は同一犯の犯行と断定。

 

事件現場からも同一人物の指紋が採取され、当時35歳だった西川死刑囚が浮上し、特別指名手配された。

 

そして1992年1月5日、逃走中の西川死刑囚は女性落語家の桂あやめ(当時の芸名は桂花枝・27歳)の大阪天王寺区の自宅マンションに隣人を装って侵入。

 

危害を加え、現金14万円を奪って逃走した。

 

その2日後、同じ天王寺区内のマンションに侵入して金を奪おうとしたが、あえなく失敗。

 

住人に自首するように説得された西川死刑囚は、駆けつけた刑事らによって逮捕された。

 

死刑判決が出ていた西川正勝死刑囚の刑が、今年の7月13日に執行されたが、なぜ死刑執行までこれほどの時間がかかったのか。

 

今では1人の娘を持つシングルマザーとなった桂あやめは、報道陣に対し、「安心はするが、亡くなった4人のことを考えると複雑です」とコメントしている。

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桂あやめが西川正勝(画像)事件の被害者に!その内容は?

桂あやめが被害に遭った事件は1992年1月5日に起こった。

 

当時、桂花枝を名乗っていた桂あやめは、師匠の前名を襲名したばかり。

 

その翌日に西川正勝死刑囚(画像あり)が犯した事件の被害者となる。

 

(西川正勝の画像 旧姓・金田正勝)
西川正勝 画像

 

その内容は、

「二日酔いで寝ていると、『隣に越してきた者です』って男の人が訪ねてきたんです。まだ電話がついていないんで貸してくれと頼まれて、電話機のコードをドアの近くまで引っ張ってきて電話をさせた。」

「『留守みたいです』と受話器を置いた次の瞬間、いきなり近づいて襲われた。このまま死んだらあやめの名前はどないなるんやろうと思いながら気を失って、お花畑が渦みたいに回ってるのが頭に浮かんで、気が付いたら部屋の天井が見えて、あ、夢やったんか、と起き上がったら犯人がそばにいた」

「金、あるか」と聞かれたので「引き出しに入ってます」と引き出しから現金14万円が入った封筒を差し出した。

男は金を手にしてほっとした様子で話し始めた。

「自分は人の命を奪ってきた。」

「捕まるくらいなら死のうと思ってる」と言うのを、「死んだらあかん。生きていたらええことありますから」と止めた。自暴自棄になってまた襲われたらたまらないので必死だ。男が「あんた、ええ人やなあ」と言ったのでほっとした。

引用元:日刊ゲンダイ

 

まさに九死に一生を得た桂あやめだったが、たまたま年末に支払い損ねた現金があったから助かったようなもの。

 

もし運悪く金が無かったらどうなっていたのかわからなかった。

 

また、このとき西川死刑囚は金を受け取った後、「タバコ吸ってええか?」と言って、のんきにタバコを吸っていたそうだ。

 

桂あやめからすると、また怒らせたら何されるか分からないので灰皿を差し出して「どうぞ」と言ってタバコを吸わせたらしい。

 

その後に身の上話が始まって、「警察に電話するか?」って言ってきたので、桂あやめは「たぶんすると思います」と返答。

 

すると西川死刑囚は「なるべく遠くまで逃げたいから10分経って電話してくれ」と言って部屋を出て行ったという。

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桂あやめの現在は娘を持つシングルマザー

桂あやめが事件に巻き込まれたときの年齢は27歳。

 

事件から25年経った現在は、1人の娘を持つシングルマザーだ。

 

娘の名前はなごみちゃんと言って、2002年の38歳で出産。

 

相手の父親の名前は公表していなく、シングルマザーであるということだけがわかっている。

 

また、若い頃の桂あやめは一度結婚を経験。

 

当時はまだ24歳で、相手は釣り好きの4歳年上の照明技師。

 

結婚生活は3年しか持たずに離婚しているが、事件は離婚後すぐの出来事だった。

西川正勝の生い立ち

西川正勝死刑囚の生い立ちに目を向けてみると、相当ヤバい人物ということがわかる。

 

鳥取県で5人姉弟の上4人が姉の末っ子として生まれた西川死刑囚は、9歳のときに母親が死亡。

 

土木作業員をしていた父親に育てられるが、ほとんど家にはいなかった。

 

そのため中学に入るとグレだし、小学生を脅して買い物をさせたり、下級生のいじめに走る。

 

さらに、窃盗事件や女子生徒を脅していたずらする事件も起こして養護施設に収容されたり、何度も中等少年院に送還された。

 

その後、1973年に少年院を仮退院し、実家に帰ると父親は家を売って蒸発。

 

父親に見捨てられた西川死刑囚はその後、姉の家に身を寄せ、テキヤの使いぱしりになったりした。

 

そして中学を卒業すると、溶接工に就職したが、仕事は長続きせず。店員や運転手など職を転々とした。

 

しかも西川死刑囚は1974年の18歳のときにも鳥取市内のスナックママの命を奪う事件を起こしている。

 

このときは懲役5~10年の不定期刑を受け、松江刑務所で10年服役。

 

仮出所するには条件として身元引き受け人が必要であったが、当時の西川死刑囚には誰もいなかったため、1984年で満期出所となった。

 

その2ヶ月半後、西川死刑囚は松江市内の旅館女性従業員を襲い、金を奪おうとして懲役7年の刑が下り、1991年10月まで鳥取刑務所で服役。

 

出所したときの西川死刑囚は35歳になっていて、その2ヶ月後に4人のスナックママを襲った事件を起こす。

 

結局、西川死刑囚の生い立ちは、ほとんどシャバで暮らすことがない人生だった。

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