渡辺正昭のパワハラ(画像)内容と経歴は?過去の豊川工業での評判がヤバい!
箱根駅伝連続出場中の日体大駅伝部・渡辺正昭監督(55)の選手に対するパワハラ疑惑を、7日発売の「フライデー」が報じている。
体操女子のパワハラ問題が大きな波紋を呼んでいる中、今度は日体大駅伝部に今夏まで所属していた現役学生が、渡辺正昭監督のパワハラ行為(画像あり)を告発したのだ。
問題のパワハラ行為の内容は、選手に対する暴言や暴力で、告発した学生は渡辺監督にけられて、右スネの真ん中あたりにケガを負ったという。
ケガした学生は、そのときの診断書を提供しており、フライデーが証拠として紙面に掲載しているのだ。
ほかにも練習中に脱水症状になった選手をかばった別の選手に対して、「余計なことするな」と言ってけりを入れ、ふとももにケガを負わせるといった信じられないような内容が暴露されている。
事実、渡辺正昭監督は過去にも豊川工業高校で体罰が表面化して、懲戒処分を受けて退任しているのだ。
たしかに渡辺監督といえば、無名だった豊川工業を14年間連続で全国高校駅伝出場に導いているので、指導者としての評判は良い。
一方で、指導方法に納得できないと訴える選手がたびたび現れ、退部して行ったこともあるというのだ。
そこで今回は、渡辺正昭監督のパワハラ内容や経歴、評判などについてまとめてみた。
渡辺正昭の経歴
渡辺正昭氏が監督を務める日本体育大学駅伝部は、箱根駅伝を10回、全日本大学駅伝を11回優勝している名門校。
箱根駅伝には、1949年から連続出場中で、主な陸上部OBには1991年の東京世界陸上男子マラソンで金メダルを獲得した谷口浩美氏らが在籍していた。
また、渡辺正昭監督の経歴だが、愛知県新城市出身の渡辺監督は1981年、新城東高校から日体大に入学。
新城東高校時代は陸上部で、執念深い変わった性格だったとか。
日体大時代は、3年のときに箱根駅伝に出場し、6区を走り4位。
卒業後の1986年に愛知県立一宮高校に教師として赴任した。
1993年に豊川工に異動し、無名だった同校を全国有数の駅伝強豪校に育てたが、パワハラ行為が発覚し、2013年1月に退職。
2014年4月、日本体育大学荏原高校の駅伝部監督になったが、翌年の2015年4月、日体大監督に就任し、現在に至る。
以上が渡辺正昭監督の主な経歴となる。
渡辺正昭のパワハラ(画像)内容
日体大駅伝部における渡辺正昭監督のパワハラ行為の内容が、フライデーに暴露されている。
その内容はというと、渡辺監督は練習中に走っていて列が少しでも乱れると、ペースを乱した選手に「もう練習に来なくていい、部を辞めて大学からいなくなれ!」と罵倒。
また、渡辺監督の指導方針では、ケガをした選手は練習場の草むしりをするらしいのだが、その選手に向かって「あいつ、障がい者じゃないか」と、身体障害者をからかうような言葉をはいたという。
ほかにも練習についていけなくなった選手に逆上し、伴走車から「ひくぞ!」と脅迫。
その直後、選手の脚をける体罰を行っていたそうだ。
(ケガをした選手の診断書)
(右スネをけられた選手)
さらに疲労骨折した選手に「ざまぁみろ!」と怒鳴ったかと思えば、「お前はチームのがん細胞だ」と、ののしられたこともあったとか。
そして今回、パワハラ行為を告発した学生が駅伝部を辞めた原因となったのは、渡辺監督が発した言葉だったそうだ。
どうゆうことなのかというと、その学生が部を辞めることになった当日、練習中に集団から遅れた同期がいたので「頑張れ」と言って背中を押したのだとか。
すると渡辺監督から「お前ら何しているんだ!もう練習から離れろ!!」と、どうかつされたそうだ。
この発言にはさすがに、気持ちの糸が切れたといい、「じゃあ辞めます!」と言ってその場を後にしたらしいのだが、渡辺監督はマネージャー経由で「出て行くんだったら、荷物をまとめて寮から消えてくれ」と伝えてきたというのである。
そういった渡辺監督のやり方に反発したのが、2015年当時の絶対的エース・山中秀仁選手だったとか。
山中選手と渡辺監督は、指導方法で対立。
結局、確執が解消されないまま、4年のときに部を去ったという。
そのとき山中選手はツイッターに、「渡辺監督のやり方が理解できなくて、ついていくことが出来ませんでした」とのツイートを残して辞めて行ったらしいのだが、現在は削除されているそうだ。
渡辺正昭 過去の豊川工業での評判
渡辺正昭氏が過去に監督を務めていた豊川工業高校は、渡辺監督が就任してきてから男子は1998年から2011年まで、連続で全国高校駅伝に出場。
そのときの成績は2004年に準優勝、翌年の2005年と2006年に3位に入っている。
女子も全国高校駅伝に5回出場するなど、陸上部を全国大会出場の常連校にしたのだ。
そのような実績があるので、渡辺監督の評判は良かったらしい。
実際に渡辺監督がパワハラ行為で退任して、日体大荏原高校に就任したときも、指導を仰ぐために豊川工業の陸上部員8人も、同時に日体大荏原高校に転校したそうだ。
わざわざ転校してまで渡辺監督の指導を受けたいということは、それだけ教える能力がたけている証拠なのだろう。
しかし、いくら評判が良くても暴言、体罰は許されることではない。
渡辺正昭氏が過去に監督を務めていた、豊川工業高校でおこなったパワハラ行為の内容はというと、部員の中から標的を選び、殴ったり、けったりしていたとか。
ほかにも殴られ、鼻血を流す姿を目撃した生徒もいたらしいし、殴られて顔を腫らすことは日常茶飯事。
さらに、長野県内での合宿中に貧血で倒れた男子選手に対して、顔を両手で2発たたき鼓膜を傷つけ、2週間程度のケガを負わせたことも。
男子部員はその後、精神的に不安定になり、転校したそうだ。
また、別の男子選手にはデッキブラシを使った体罰を加え、頭を縫うケガを負わせたのと、女子部員は他の生徒の前で数発のビンタを受け、学校に行けなくなり退学したという。
結局、渡辺監督は5年間に、30人の部員に対し、33件の体罰を繰り返し、5人にケガを負わせていたのだ。
しかも学校側には「体罰ではなく、指導の一環だった」と説明したということだが、停職4カ月の懲戒処分が下ったのである。
そして、今回の件をフライデーが直撃した際にも、渡辺監督はパワハラを認めなかったという。
日体大側は、現在、事実確認を行っていて、渡辺監督への聞き取り調査をしているところ。
その上で、委員会等の審議にかけられ、対応が決定されるという。