西成女医 矢島祥子の犯人は黒川?貧困ビジネスは佐藤豊も犠牲者?

矢島祥子医師の画像

☆この記事はこのような人におすすめです。

・大阪市西成区の女医・矢島祥子さんの水死体が見つかった「西成女医不審死事件」の真相を知りたい。

・矢島祥子医師と支援者・佐藤豊さんを殺めた犯人について知りたい。

・矢島祥子医師が手掛けていた貧困ビジネスの闇について知りたい。

 

2009年11月16日、大阪市西成区の木津川千本松渡船場で矢島祥子医師の水死体が見つかった「西成女医不審死事件」は、いまだ未解決です。

 

女医の矢島祥子さんは当時34歳。

 

大阪市西成区にある「黒川診療所」に勤務し、路上生活者の元へ足しげく通い、時には無償で薬や寝袋を提供。

 

そのことから、いつしか「西成のマザーテレサ」と呼ばれていたのです。

 

そんな矢島祥子医師の死を警察は当初、事件と事故の両方で捜査しました。

 

ところが、「矢島祥子医師は渡船場から川に飛び込んで自殺した」として、7か月後に捜査を打ち切ったのです。

 

では、なぜ警察は事件性がないと断定したのか。

 

その一番の要因は、絵ハガキだったのです。

 

絵ハガキは矢島祥子医師の死後、元恋人の自宅に届き、警察はこれを遺書と判断。

 

しかし、矢島祥子医師の家族はとても自殺したとは思えなかったのです。

 

その理由についてですが、家族は「自ら命を絶ったにしては、数々の不審な点があるうえに、クリスチャンだった娘が自分の意思で死を選ぶのは考えられない」と話しています。

 

また、矢島祥子医師の死からおよそ3年後の2012年8月6日、西成区花園北のアパートの火事で、献身的な協力者だった佐藤豊さんが焼死しているのも不自然です。

 

佐藤豊さんは、生前の矢島祥子医師といっしょに夜回りするなど、ビジネスを支援していた人物。

 

「西成女医不審死事件」は、「貧困ビジネス」が絡んでいると言われているだけに、佐藤豊さんは偶然ではなく、矢島祥子医師同様、内情を知って何者かに消された可能性が指摘されているのです。

 

そこで今回は、「西成女医不審死事件」について簡単にまとめてみました。

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西成女医 矢島祥子さん不審死事件の犯人は黒川?

女医の矢島祥子さんは、大阪市西成区の西側の鶴見橋商店街にある黒川診療所で働いていました。

 

西成区あいりん地区の通称は「釜ヶ崎」。

 

この場所は多くの日雇い労働者や、路上生活者が暮らしているところなのです。

 

また、この釜ヶ崎は、貧困ビジネスのメッカとしても知られています。

 

この地域では暴力団などが全国からホームレスを集めて、 生活保護や病院、簡易宿泊所をあっせん。

 

一方、亡くなった矢島祥子医師は、幼い頃からボランティア精神にあふれた少女だったということです。

 

そんな矢島祥子医師の実家の両親は、群馬県高崎市でベッド数25床の病院を経営。

 

兄弟は2人の兄がいて、矢島さんも群馬大学医学部卒業後、親と同じく医師になったのでした。

 

そして、2007年4月、矢島祥子医師は6年間務めた大阪市東淀川区の「淀川キリスト教病院」を辞め、西成区の黒川診療所で働き始めます。

 

しかし、2年半後の2009年11月13日、矢島祥子医師の水死体が見つかったのでした。

 

ちなみに、事件当日の矢島祥子医師ですが、午後8時ごろに看護師が目撃しています。

 

また、翌午前4時15分に診療所の警報音が鳴り響いたそうです。

 

この現象について、家族は「診療所の防犯システムの仕組みを知らない第三者が、娘のセキュリティカードを使ったのではないか?」と考えています。

 

そして、警報音が鳴ってから30分後、警備員が診療所に到着。

 

この時の様子を商店街の防犯カメラがとらえているのですが、矢島祥子医師の姿は全く映っていなかったということです。

 

ということは、この時すでに診療所から矢島祥子医師の姿は消えていたことになります。

 

なので、もし、矢島祥子医師が事件に巻き込まれていたとなると、犯人として怪しいのは診療所の所長・黒川渡医師、あるいは事務長。

 

矢島祥子医師は時間外に「医療カルテ」を閲覧していたと思われ、当日もカルテを整理しているのを看護師が目撃しています。

 

当時、医療カルテを見る事が出来たのは黒川所長、事務長、そして矢島祥子医師の3名だけです。

 

さらに医療カルテには、いろんな情報が記載されていたとか。

 

結果、犯人は見られては困ることを知られたため、矢島祥子医師を殺害した可能性があるのです。

 

それでも診療所はマスコミや家族にも矢島祥子医師の死ついて、現在も沈黙を続けています。

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西成女医 矢島祥子さん事件の犯人は元恋人?

診療所の警報音が鳴ってから2日後、女医の矢島祥子さんは水死体で発見されました。

 

現場は診療所からおよそ3キロ行ったところの「木津川千本松渡船場」。

 

この事件に関して警察は、死体検案書で「溺死」と結論付けたわけですが、矢島祥子医師の家族は「自殺はありえない」と現在も訴え続けています。

 

それもそのはずで、行政の依頼で水死体を検視した経験がある両親は、娘の亡骸と対面し、違和感を抱いたのです。

 

まず、矢島祥子医師の首の両側には紫色の圧迫痕、さらに後頭部には3センチのコブがありました。

 

ところが、警察は家族に「遺体のコブは川から引き上げた際にできたもの」と説明。

 

しかし医師である両親に対しては、まったく腑に落ちない説明で、その中でも一番典型的だったのが、「死んだ後にコブができた」ということでした。

 

コブは人体に強い衝撃が加わり、内出血で皮膚が盛り上がる現象。

 

つまり心臓が止まった死後にできるはずがない。

 

両親はいずれの傷も、「誰かに襲われた時のものでは?」と考えたのです。

 

さらに、違和感は矢島祥子医師が暮らしていた部屋にもあったといいます。

 

というのも、生活していたはずの部屋にホコリがまったくなかったのです。

 

また、その後の警察の家宅捜査でも部屋から矢島祥子医師の指紋は出てこず。

 

さらに、1か月後に普段から通勤や往診に使い、当日も乗っていた自転車が発見されるのですが、矢島祥子医師の指紋はどこからも検出されなかったのです。

 

一方、警察が遺書と判断した絵ハガキもおかしいところがありました。

 

絵ハガキが届いた先は、矢島祥子医師の男性患者で元恋人とされた人物の自宅。

 

しかし、実は恋人なんかではなかったのです。

 

この男の名前は三浦俊一で当時61歳。

 

ニュース番組で恋人と名乗り、「矢島さんは自殺だった」と断言した人物です。

 

さらに三浦俊一は、「元極左」という経歴を持ち、釜ヶ崎日雇労働組合の副委員長だったのですが、実は日雇い労働者のピンハネ元締めだったとか。

 

マスコミの前に出てきたのも金が目的で、矢島祥子医師の家族からも金を要求したといいます。

 

そして、この男が犯人と疑われているのは、「矢島医師の部屋をクリーニングした」という男性の存在を話していたからです。

 

本来ならこんな情報は犯人しか知り得ないはず。

 

わざわざテレビ局の報道に出て、「矢島医師が自殺だった」と語ったのも、怪しすぎるのです。

西成女医不審死事件は佐藤豊も貧困ビジネスの犠牲者?

矢島祥子医師の死を警察は事件性がないとしましたが、不審に思った家族は独自に調査を始めたのです。

 

協力を求めた人は元兵庫県警刑事の飛松五男氏、さらに元監察医の上野正彦氏にも依頼。

 

すると、新たな事実が明らかになります。

 

それは、矢島祥子医師が亡くなった後、住んでいたマンションの郵便受けが壊されていたのです。

 

理由は、何者かが矢島祥子医師に届いた郵便物を見たかったから。

 

そして、過去数千体の司法解剖に当たった法医学の一人者・上野正彦氏も不審な点を指摘したのでした。

 

それは、遺体の第一発見者が釣り人だったということ。

 

目撃者によると、矢島祥子医師は立った状態で服を着たまま浮いていて、両腕が直角に曲がっていたといいます。

 

この状態を「死後硬直によるもの」とされたのですが、上野正彦氏は「水死体は死斑は出ない」「ゆれて関節が固定されていないから死後硬直しない」と、解剖した人物に疑問を投げかけたのです。

 

「状況から見て自ら命を絶ったとは考えにくい」これが上野正彦氏の結論でした。

 

さらに、不審なのは、矢島祥子医師の元支援者・佐藤豊さんの死です。

 

(インタビューに答える佐藤豊さん)
佐藤豊の画像

 

佐藤豊さんは、矢島祥子医師が亡くなった後、報道番組などに出演するなど、事件のカギを握る存在でした。

 

しかし、2012年、不審火によるアパート火災で焼死しているのです。

 

ちなみに、生前の佐藤豊さんは、矢島祥子医師を尊敬し、一緒に夜回りするなどして、活動に協力していました。

 

ただ、佐藤豊さんにはいろいろ噂があったといいます。

 

そのひとつが闇金からの借金。

 

佐藤豊さんは、かなりの金額を闇金から吸い取られていたらしく、借金をカタにある役割を背負わされていたとか。

 

それが矢島祥子医師を当日呼び出すことだったそうです。

 

この話が本当なら、矢島祥子医師が殺害された当日に呼び出したのは、佐藤豊さんであり、その後、口封じで殺されたということになります。

 

結果として佐藤さんは、貧困ビジネスの犠牲者となった可能性があるのです。

矢島祥子医師の経歴

矢島祥子医師の家族が事件性を訴えても、警察に動き出す気配はありませんでした。

 

ところが、国会が動いたことで、大阪府警西成警察署がようやく家族の告訴状を受理。

 

いったんは自殺で処理しようとした矢島祥子医師の死を「殺人死体遺棄事件」として捜査することにしたのです。

 

しかし、死体遺棄罪の公訴時効は3年。

 

捜査状況に進展がないため現在は時効が成立してしまっていますが、殺人罪には時効はありません。

 

八方塞の現状を打開したい家族は、これまで協力をこばみ続けていた元勤務先の黒川診療所を相手取り、裁判を起こしたのです。

 

ただ、裁判は家族にとって真相を知るための苦渋の決断。

 

真相が明らかになるまで、家族の戦いは続きます。

 

※矢島祥子医師の経歴

・1975年3月30日-群馬県高崎市に生まれる。
・1990年4月-群馬県立高崎女子高校入学。
・1993年4月-群馬大学医学部入学。
・1999年4月-沖縄県立中部病院勤務勤務。
・2001年4月-大阪淀川キリスト教病院内科勤務。
・2007年4月-くろかわ診療所勤務。

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