小松博文の生い立ちは?嫁(妻) との離婚話が犯行動機か!?

小松博文の画像

☆この記事はこのような人におすすめです。

・2017年10月6日に家族6人の命を奪った小松博文の嫁(妻)と子供の名前を知りたい。

・小松博文の出身地や生い立ちについて知りたい。

・小松博文の職業や犯行動機について知りたい。

 

10月6日早朝、茨城県日立市田尻町の県営住宅7号棟1階の一室が焼け、家族6人が犠牲になった事件は、嫁(妻)から離婚話を持ち出された小松博文の犯行でした。

 

夫の小松博文は午前5時過ぎ、日立署に自首して逮捕されたわけですが、犯行の動機を「妻から別れ話を切り出された」などと供述していたということです。

 

なお、小松博文の自宅では、事件が起きる2、3年ほど前から時々言い争う声が聞こえていたとか。

 

その際、子供が泣いていて、嫁・恵さんの「なんで?なんで?」と問い詰めるような声が響いていたそうです。

 

また、小松博文は車が好きで、年に1回は中古車を乗り換えては駐車場でよく車いじりをしていたり、パチンコにもうつつを抜かす生活。

 

「旦那がちゃんと働かないからお金がない足りない」と愚痴をこぼしていたという嫁(妻)の恵さんは、昼の仕事と掛け持ちをしながら、夜はスナックで働いていたそうです。

 

そんな中、恵さんは小松博文と離婚して、夜の仕事を通じて知り合った別の年上の男性との再々婚を考えていたといいます。

 

一方、そのことを知った小松博文はというと、激怒して恵さんの浮気相手の男と話し合いを実行。

 

しかし、相手はどうも反社会的勢力に関わる人物だったらしく、逆に返り討ちにあい、恵さんと別れるよう迫られたのです。

 

そうしたことから小松博文は、渋々離婚に応じることを決意。

 

最終的には恵さんが記入した離婚届も用意されていて、事件当日の夜も恵さんは、店に出勤する予定だったということです。

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小松博文の出身地と生い立ち

小松博文は東京都江戸川区出身。

 

嫁(妻)の恵さんと結婚する前は、千葉県八街市に住んでいて、生年月日が1984年生まれということが分かっています。

 

なお、実家の父親は大型トレーラーの運転手で母は主婦。

 

兄弟はいなくて一人っ子なのですが、「両親と死別し、兄弟とは疎遠」と打ち明けていたそうです。(父親は63歳で死去)

 

そんな小松博文の生い立ちは、とにかく甘やかされて育ったといいます。

 

母親は教員関係の家系だったので、厳しかったらしいのですが、父親が甘かったとか。

 

実家は特別金持ちではなかったらしいのですが、一人っ子ということもあって何でも買ってくれたそうです。

 

それに、父親は小松博文の高校時代、免許も無いのにバイクを買い与えていたといいます。

 

なので、ろくに勉強もせず、バイクを乗り回しては停学。

 

他にも喫煙を繰り返して停学になり、最終的に高校を中退しています。

 

その後はパチンコ屋のサクラなど、仕事を転々とし、恵さんと知り合うことになります。

 

小松博文が茨城県日立市出身の恵さんと知り合ったのは、事件が発生する10年ほど前。

 

きっかけは「病院のロビー」だったといいます。

 

当時、小松博文は茨城県日立市で仕事をしていたらしいのですが、ケガをしたため近くの病院に連れて行かれたそうです。

 

そして、治療が済んで会計するためロビーで座って待っていると、「ケータイ、落としてますよ」と言って恵さんが小松博文のスマホを拾ってくれた。

 

その後、少し会話してケータイの番号を教えたのをきっかけに交際し、恵さんが住む日立市の県営住宅に移住。

 

長らく事実婚状態を続けていましたが、双子が生まれた為、小松博文が婿養子となって入籍したそうです。

 

ところが、この頃から夫婦間に亀裂が生じ始めることに。

 

双子の子供が生まれた頃から恵さんは、小松博文の愚痴をこぼすようになります。

 

中でも一番怒っていたのは、子供のゲーム機を売り、その金でパチンコをしていたこと。

 

「子供の物まで売るなんて、信じられない」と怒っていたそうです。

 

そんな嫁の恵さんは、地元の高校を卒業後、病院の事務職として地道に働いていたとか。

 

一方、小松博文の職業は、建設業やトラックの運転手の他、重機オペレーターや福島第一原発の除染作業をしていたりと、職を転々。

 

除染作業員の時は、「原発で着る洋服が暑くて体力的にきつい」と言って辞めてしまったといい、県営住宅の住民には何の仕事についているのか分からない人物に映っていたといいます。

 

結局、恵さんは、小松博文がまともに働かないから夜の仕事をするようになったのだそうです。

 

そして、店で知り合った男性と再々婚を考えるようになるのですが、小松博文は恵さんの様子から浮気を察知。

 

事実を突き止めて相手の男性と話し合いをするのですが、なんせ浮気相手は反社会的勢力団体に属する人物。

 

あっけなく返り討ちにあい、逆に恵さんと別れるよう迫られたとか。

 

その後もやり取りは続き、会話をボイスレコーダーに録音していたそうですが、話し合いでは太刀打ちできずに渋々離婚に応じることになったそうです。

 

この痛ましい事件は、そうした離婚話があった渦中での出来事だったのです。

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小松博文の嫁(妻)と子供の名前は?

小松博文と知り合ったとき、嫁(妻)の恵さんには連れ子がいました。

 

名前は「夢妃(むうあ)」ちゃん。

 

意外にも小松博文は子供好きで、長女の夢妃ちゃん(当時11)に対しても「連れ子の長女に助けられている」、「自分の子と同じくらい可愛い」と話していたといいます。

 

そんな小松博文には結局5人の子供がいました。

 

連れ子の夢妃ちゃん以外の実子として、長男の幸虎(たから・当時7)くん、次男の龍煌(りゅうあ・当時5)くん。

 

双子で三男の頼瑠(らいる・当時3)くんと四男の澪瑠(れいる・当時3)くんという名前の子供がいたのです。

 

小松博文の嫁と子供の画像

 

ちなみに、小松博文の知り合いは、この事件に対して「信じがたい出来事だ」と話していたとか。

 

というのも、小松博文は「足に鯉の刺青もあり、いかつい見た目をしているけれど、とても気の小さい男。昔は千葉で暴走族をやっていたが違法な薬物に手を出すこともない」と語っています。

 

また、嬉しそうにこのような話をよくしていたそうです。

「子供と一緒に釣りに行った」、「横浜の水族館に連れて行った」

 

知り合いから言わすと、本来は子煩悩で、酒は1滴も飲めない男だということです。

小松博文の動機は離婚

車が好きな小松博文は、駐車場でよく車いじりをし、改造した車に乗っていたといいます。

 

車好きが高じて何台も買い替えるが、仕事をしないので駐車場代の月1900円を滞納することもあったとか。

 

ただ、小松博文は2017年7月上旬から市内の自動車整備会社に就職し、見習いとして働き始めていたそうです。

 

しかし、時すでに遅し。

 

恵さんの心はもはや完全に離れていたようです。

 

それまでの小松博文は、恵さんから金をもらってパチンコとかして遊び回り、金がなくなれば子供のゲーム機を売却。

 

車やパチンコにうつつを抜かし、大黒柱の自覚なき亭主に嫌気が差すのは、当たり前のことだったのです。

 

恵さんが昼の仕事と掛け持ちをしながら繁華街のスナックで働くようになったのも全部小松博文の責任。

 

離婚にあたっては、子供たちも恵さんが引き取って、自分だけが追い出される状況。

 

自分の居場所を失うからという勝手な理屈で、罪のない子供にまで手をかけたのです。

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