八木茂死刑囚(画像)の愛人 武まゆみの生い立ち!スナックの名前は?本庄保険金殺人事件
2月22日放送の水曜エンタは「目撃スクープ!私、そこにいました。」と題して、当時世間を騒がした「本庄保険金殺人事件」にスポットを当てる。
愛人を使って保険金をだまし取ったとされる「本庄保険金殺人事件」では、二人の被害者が亡くなり、一人が未遂に終わった。
犯人として逮捕されたのは金融会社やスナックを営む八木茂死刑囚。(画像あり)
このほかにも八木の愛人だった武まゆみ(画像あり)、森田考子、フィリピン人のアナリエ・ サトウ・カワムラの3人が逮捕されている。
中でも16歳から八木の愛人だった武まゆみには、一番刑の重い無期懲役が言い渡されている。
また、八木が経営していた金融会社とスナックは現在、更地になっているとか。
金融会社の名前は「国友商事」。場所はJR本庄駅や本庄東高校からも近いところにあった。
そして、スナックの名前は「マネキン」(平成7年までは「レオ」)である。
本庄保険金殺人事件 八木茂死刑の画像
「本庄保険金殺人事件」とは、1995年から2000年にかけて埼玉県本庄市で起きた連続保険金殺人事件。
※八木茂死刑囚の画像
※武まゆみの画像
当時、埼玉県本庄市でスナックを経営していた八木茂死刑囚が、店の常連客たちに多額の保険金をかけてだまし取ろうと計画した。
最初に被害者となったのは、元工員の佐藤修一氏。
八木は当時18歳で愛人の武まゆみと、もう1人の愛人でフィリピン人のアナリエ・サトウ・カワムラを使って佐藤氏から保険金をだまし取ることに成功した。
この金を元手に八木は金融会社「国友商事」を設立。まゆみは、そこの事務員をするようになる。
次に被害者となったのは、元パチンコ店従業員の森田(旧姓・関)昭氏と元塗装工の川村富士美氏。
八木は愛人だった森田考子を使って関氏と偽装結婚させ、川村氏には再びフィリピン人の愛人と偽装結婚させ、2人に保険金をかけさせた。
だが、川村氏が途中で八木の計画に気づき事件が発覚。八木と3人の愛人が逮捕され、八木には死刑、武まゆみには無期懲役、フィリピン人の愛人に懲役15年、森田考子に懲役12年の有罪判決が下された。
本庄保険金殺人事件 武まゆみの生い立ち
もともと武まゆみは、八木茂死刑囚とは6歳のころから家族ぐるみで付き合いがあったという。
まゆみの生い立ちは、中学生までは普通だったが、八木の店で働いてからは人生が一変した。
昭和42年、新潟県に生まれたまゆみには、父と母、妹と弟の家族がいる。埼玉県本庄市の小、中学校を卒業し高校を受験したが失敗。(八木とまゆみは本庄東中学卒)
美容学校に1年ほど通ったのち美容室に勤務する。
その後、八木が経営するスナックのホステスになる。(当時16歳)華やかな世界に導いてくれた八木にまゆみは恋愛感情を抱くようになっていた。
平成7年には八木の勧めで居酒屋「マミー」を開店しママとなるが、平成12年3月25日、公正証書原本不実記載、同行使の容疑で逮捕される。
平成12年5月、まゆみは「本庄保険金殺人事件」のことを自供した。
本庄保険金殺人事件 スナックの名前は?
逮捕される前の八木茂死刑囚が有料会見を開いて派手なパフォーマンスを見せていたスナックや金融会社などはすでに取り壊され、地元でも事件が忘れ去られようとしている。
会見を開いていたスナックの名前は「マネキン」(平成7年までは「レオ」)。
しばらくして閉店していたが、現在は買い取った不動産屋が倉庫として利用しているという。
八木はスナック以外にもだまし取った保険金で金融会社「国友商事」や居酒屋「マミー」を設立。
スナックの隣に増設された2階には一時、フィリピン人女性が5人ぐらい住んでいたが、事件後はいなくなったとか。
子ども2人はすでに独立しており、ひとりで住んでいた嫁はずっと人工透析を受けていたが、すでに病気で亡くなっているという。