横井英樹と叶姉妹の関係 ホテルニュージャパン火災はイギリス人が原因か!?

ホテルニュージャパン火災

ホテルニュージャパン火災は、1982年(昭和57年)2月8日深夜3時すぎに発生し、33人の死者と34人の負傷者を出した。

 

火災は宿泊客のイギリス人、スティーブン・ディッカーの寝たばこが原因だったのだが、防火設備や訓練が不十分だったのも被害を拡大させた要因とされている。

 

当時の社長・横井英樹氏は、脱出に成功した宿泊客に「出来る限りの補償をさせていただきます」と頭を下げていたらしいが、実際は最低限の補償しかしなかったという。

 

それどころか横井英樹社長は、火災中にもかかわらずロビーに飾ってあるヨーロッパの高級インテリアを運び出すよう秘書に指示。

 

さらに、「自分たちは被害者だ。悪いのは寝たばこのイギリス人だ」と、明らかに責任逃れになるコメントを発したのである。

 

結局、横井英樹社長は、ホテルの支配人と業務上過失致死罪で起訴され、いずれも有罪判決を受けた。

 

そして、1998年に虚血性心疾患で他界。享年85歳

 

現在ホテルの跡地は、超高層ビル「プルデンシャルタワー」が建っている。

 

今回はホテルニュージャパン火災の真相や、横井英樹社長と叶姉妹・叶恭子のウワサなどについてまとめてみた。

横井英樹と叶姉妹の関係

横井英樹社長と叶姉妹の関係だが、ウワサによると、姉・叶恭子の方と愛人関係を結んでいたとか。

 

きっかけはショッピング中、横井英樹に声をかけられたことだったという。

 

実際に、横井英樹と叶恭子がツーショットで映る写真が週刊誌に載っているので、2人に何らかの関係があったのは間違いない。

 

また、叶姉妹といえばコールガールだったというウワサもあるが、横井英樹社長も姉妹の常連客だったと言われている。

 

さらに、叶姉妹がパリの空港で「国際売春婦」ということで足止めを食った際、横井英樹社長に電話して助けを求めたら、大蔵官僚経由でシラク大統領に連絡をとって、入国を許されたという話もあるようだ。

 

ほかにも、横井英樹社長の死去後、多額の遺産を手に入れたというウワサもある。

 

叶姉妹が芸能界に進出したのも、横井英樹社長が他界した時期とほぼ同じで、高級品を身に着けている資金源は、横井社長の遺産だという。

 

その額およそ100億円に上るらしいが、あくまでもウワサである。

横井英樹の経歴

横井英樹社長は、ホテルニュージャパン火災発生時、人命救助よりも自分の資産の方が大事として、運び出しを指示したとされる。

 

要は、安全よりも金儲けに執着した経営者だった。

 

ごうまんな経営ぶりに従業員は次々と辞め、また社長の意にかなわない者は、容赦なく首を言い渡されたという。

 

開業当時320人いた従業員は、火災時には134人にまで減少。

 

従業員の通報が遅れたのも、すべてが横井英樹社長に責任があるとして、禁錮3年の刑が下された。

 

そんな横井英樹社長とは一体どのような人物だったのか?

 

横井英樹社長は大正2年、愛知県で横井家の次男として誕生。

 

本名は千一で、祖母が名付けたという。

 

これは「千人に一人の大人物」、という意味から「千一」となった。

 

そして11歳の時、「出世をするまでは帰らない」と言って上京し、繊維問屋に就職。

 

商いで非凡な才能を発揮し、17歳で独立。

 

繊維問屋「横井商店」を開業した。

 

その後、太平洋戦争が始まると、軍需品に目をつけ「横井産業」を設立。

 

29歳で社員3000人を擁する大企業の社長となった。

 

次に目を付けたのは不動産で、買った土地は次々と値を上げたという。

 

そんな中、百貨店の先駆け的存在の白木屋が、経営不振で倒産寸前であることを知り、白木屋の株式を買い集めた。

 

一方、白木屋の社長は「どのような手段で株を集めたのかは知らないが、どこの馬の骨かわからん者を迎え入れることは絶対にできない。」と言って、横井英樹社長を拒絶したのだった。

 

そんなことを言われた横井英樹社長は、ついに金しか信じない野心家へと変貌。

 

多くの財界人を巻き込んではあらゆる手段を用いて、1954年、江戸時代から引き継がれた老舗デパート白木屋の経営陣を一掃することに成功した。

 

この事件で「乗っ取り屋」の異名を持つことになった横井英樹社長。

 

その後、実業家として「ホテル経営」に乗り出し、ホテルニュージャパンのオーナーとなった。

 

ちなみにラッパーのZEEBRAは、横井英樹社長の孫にあたる。

ホテルニュージャパン火災はイギリス人が原因

ホテルニュージャパンがあった場所は、東京都千代田区永田町で、社長は「昭和の買収王」として脚光を浴びた横井英樹氏。

 

地下2階、地上10階のホテルは、超高級までとはいかないが、地下のクラブ「ニューラテンクォーター」は、政財界の社交場としてよく知られていた。

 

火災は深夜3時すぎに発生。

 

そして、翌日の昼過ぎまで燃え続け、宿泊客376人と従業員の27人の計403人の中から、死者33人を出すという史上最悪の人災となった。

 

火元は、イギリス人観光客が宿泊していた9階の938号室からで、当時酒に酔って部屋に戻ったことが始まりだ。

 

裁判記録では、イギリス人の寝タバコが火災の原因とされている。

 

また、火災発生当初、仮眠をとっていた従業員が異変に気づいたらしいのだが、なぜか館内放送で火災を知らせることをしなかったそうだ。

 

これも裁判記録によると、従業員らは火災警報ベルの鳴らし方を知らなかったといい、さらには、フロントマンのうちの一人は、消火栓箱からホースを取り出そうとしたが、その使い方もわからなかったという。

 

そして極めつけは、ホテルの造りとスプリンクラーが始動しなかったことだ。

 

このホテルの場合、一部を除いて客室部分にスプリンクラーは備えられておらず、取り付けられていたスプリンクラーも、一部配管が繋がってない「ダミー」で水が出なかった。

 

ホテルの造りも隙間だらけの欠陥だったので、炎がその隙間を通り、隣の部屋に燃え移ったという。

 

もし、火災時に防火設備がきちんと整っていて、内装に欠陥がなければ、これだけの大惨事にはならなかったはず。

 

それと、最初に通報したのはホテルの関係者ではなく、前を通りがかった通行人やタクシーの運転手だったのも問題である。

 

ボヤで大騒ぎをして、横井社長に怒られることを恐れていたため、従業員が通報したのは発見から20分も後だったのだ。

  

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