喜山いづみは船木誠勝の嫁で息子は?離婚は父親と母親もしていた!

船木誠勝 画像

プロレスラーの船木誠勝と嫁・喜山いづみが11月23日放送の「妻は怒ってます!」に出演し、息子の教育法について悩みを打ち明けるようだ。

 

息子は、現在中学1年でライアンくんという名前なのだが、1歳半のときから将来プロレスラーにするため、船木誠勝が特訓してきたという。(画像あり)

 

嫁の喜山いづみからすると、息子の将来は自分で決めさせたいとのことから、今回番組に相談しに来たというわけだ。

 

船木誠勝が息子にやらしているトレーニングというのは、スクワットや落ちるまで鉄棒にぶら下がらせたり、屋根から自分に向かってジャンプさせたりするのだとか。

 

その厳しいトレーニングが行き過ぎて、嫁の喜山いづみが思わず止めに入るような事態もあったという。

 

どうしても息子をプロレスラーにしたい旦那と、嫁との間で意見が分かれるようなのだが、船木誠勝といえば、離婚歴があって、前の嫁との間に2人の子供をもうけている。

 

そこで今回は、離婚した元嫁のことや、現在の嫁の喜山いづみとの馴れ初め、父親と母親が離婚して、片親に育てられてきた生い立ちなどについてまとめてみた。

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船木誠勝と嫁の喜山いづみの馴れ初め

喜山いづみは、息子のライアンくんについて、「本当はプロレスラーなんかになりたくないのでは?」と悩んでいるそうだ。

 

そんな喜山いづみは、元舞台女優で、劇団唖然房に所属していた。

 

2人の馴れ初めも舞台がきっかけで、船木誠勝が主演する舞台に喜山いずみも出演していたことから交際に発展。

 

そして、2人は1999年11月1日に入籍した。

 

入籍当時、船木誠勝は31歳、嫁の喜山いづみは24歳で、献身的なサポートを始めたのは、ヒクソン戦の前までさかのぼる。

 

船木誠勝は「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーと、2000年5月26日に東京ドームで対戦しているのだが、喜山いづみは、前もって入籍していたと話す。

 

その理由をこのように語っている。
 

「もしこの対戦によって死ぬかもしれない。でも付き合いしたてで死んだら、離れ離れになってしまうと考えた時『入籍するしかないね』となった」。

 

船木誠勝のプロフィール

・本名ー船木優治

・出身地ー青森県弘前市

・生年月日ー1969年3月13日生まれ

・最終学歴ー弘前大学教育学部附属中学校

・1984年3月、弘前大学教育学部附属中学校を卒業後、新日本プロレスへ入団。

・史上最年少の15歳でデビューしたが、デビュー前から女性ファンによるファンクラブが結成されていた。

・1993年に理想とする闘いの場「パンクラス」を発足。

・2000年5月26日「コロシアム2000」で、ヒクソン・グレイシーと対戦し失神負け。

・2000年12月に引退発表し、パンクラスのプロデューサーとして活動するも、2009年に復帰した。

・2017年8月22日より松竹芸能に所属。

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船木誠勝の息子と元嫁

船木誠勝には、中学1年生になる息子のライアンくんの他に、離婚した元嫁との間に授かった息子が2人いるという。

 

(息子のライアンくん)
船木誠勝 息子 画像

 

離婚した元嫁は外国人で、1992年に結婚するも2002年に離婚。

 

元嫁との馴れ初めは、当時CNNの海外レポートの仕事をしていた元嫁が、船木VS高田戦の取材に来ていたのがきっかけで知り合い、後に寿司屋でデートすることに。

 

その1週間後には、荷物を持って元嫁の部屋へ転がり込み、すぐに同棲が始まったのだという。

 

船木誠勝は気に入った女性には、積極的に攻めて、断られたなら後ずさりなく、手を引くタイプ。

 

なので、元嫁のときも積極的に攻め、まんまと自分のものにしたのだった。

 

一方、元嫁との間に出来た息子2人に関しては、今でも交流があるようで、以前には郷里の青森に連れて行き、一緒に遊んだこともあったという。

 

その時は、学校での出来事を息子が話してくれてたらしく、船木誠勝はそれを単に聞き入っていた。

 

しかも、息子が船木誠勝の血を引いているところはケンカが強いこと。

 

学校では単純にどっちが強いかを決めるためにケンカして、父親の船木誠勝に勝ったことを報告していたのだそうだ。

船木誠勝の父親と母親も離婚していた

船木誠勝の父親はバスの運転手だったが、小学校6年の時に家を出て行き、母親と離婚。

 

離婚理由は、ギャンブルが好きだった父親の借金だったのだ。

 

父親のギャンブルは一時期、競輪で勝って家を2軒持つほどだったのだが、すぐにうまくいかなくなって借金。

 

そして、その借金を取り返そうとまた借金しての繰り返しで、夕方になると毎日、借金取りが家に来ていたのだという。

 

離婚後は、母親が裁縫の仕事をして、船木誠勝と8歳下の妹を育ててくれた。

 

中学になると、周りの友達の中には就職する者もいたので、船木誠勝も中学を卒業したら働こうと思っていたという。

 

それに、船木誠勝は、もともとプロレスラーになろうと思って体つくりに夢中だった。

 

プロレスが好きだったこともあり、学校が終わったら自転車に乗って体育センターまで行き、体を鍛えてたという。

 

さらに、砲丸投げで自分なりに鍛えていたのだそうだ。

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