小川博の現在!妻(嫁)と子供の家族や生い立ちは?
☆この記事はこのような人におすすめです。
・プロ野球ロッテオリオンズの元投手・小川博(おがわひろし)の現在を知りたい。
・小川博の生い立ちや母親に宛てた手紙について知りたい。
・現役時代の成績や妻、子供(家族)について知りたい。
2004年11月18日、埼玉県上尾市小敷谷で発生した事件で逮捕された小川博は、現在どこの刑務所へ収監されているのでしょうか?
少し調べてみたところ、公判で無期懲役が確定した後、千葉刑務所に収監されているようです。
そんな小川博は栃木県足利市出身。
生い立ちに至っては養子ということもあって、養父母から溺愛されて育ったそうです。
また、結婚に関しては2度の離婚歴あり。
元妻の慰謝料や子供の養育費、ギャンブルの借金などを抱え込み、経済的に追い詰められていたようです。
そこで今回は、プロ野球球団・ロッテオリオンズで活躍した小川博について振り返ってみようと思います。
小川博の生い立ち
まずは小川博の生い立ちなどから触れていこうと思います。
小川博は1962年4月2日生まれで、実家は栃木県足利市。
家族は父親と母親の両親と兄が1人いたようですが、1歳の頃に子供に恵まれずにいた群馬県在住の夫婦に引き取られています。
なお、群馬県の養父母の職業ですが、養父が大工で養母が清掃作業。
養母の話によると、小川博の性格は「優しい子だった」ということです。
なのに、いつしか歯車が狂ってしまった小川博。
幼い頃から運動神経が良く、本格的に野球を始めるとメキメキと頭角を現していったといいます。
学歴は地元の小中学校を卒業後、前橋工業高校に進学。
前橋工業高校ではエースとして活躍し、甲子園に3回出場しています。
その後は青山学院大学を経て、ドラフト2位でロッテオリオンズに入団。
青山学院大学でも弱小野球部をリーグ優勝に導くなど、野球に関しては順風満帆の人生を歩んでいたのです。
小川博の現在
冒頭で述べたように、小川博の現在は千葉刑務所に収監されているようです。
裁判では量刑不当などを理由に控訴しましたが、棄却され、求刑通り無期懲役の判決が確定したのです。
そんな小川博は現在も服役中ですが、事件を起こす前から数々のトラブルを抱えていました。
入団時に養父母に預けた契約金を使い果たし、球団や若手選手ファンからも借金。
養父母が働いて蓄えた貯金を援助してもらっても足らず、球場警備員を保証人にしたこともあったそうです。
また、ロッテの編成部調査担当時代に選手のロッカーからロレックスの腕時計やクレジットカードがなくなる事件があったらしいのですが、この件も小川博のしわざとされています。
そして、最終的に重大事件を起こして逮捕。
被害者は産業廃棄物処理会社会長宅で家政婦をしていた西内和子さん(当時67)。
金の無心をするために会長宅を訪ね、断られたことが犯行の動機となったようです。
小川博の妻(嫁)と子供と手紙の内容
小川博には3人の子供がいます。
元妻とのあいだにもうけた子供が1人。
再婚した妻(嫁)とのあいだにもうけた子供が2人いたようです。
しかし、再婚した妻(嫁)とは事件後に離婚。
よって、妻(嫁)と子供は現在、自宅があったさいたま市緑区道祖土4丁目のマンションを引き払っていると思われます。
そして逮捕後の手紙の件ですが、再婚した妻(嫁)は子供に出すことを拒んだそうです。
その為、小川博は養母に向けてこのような手紙を送っています。
「身勝手でわがままばかりの人生だった。」
「周りの人に良いかっこばかり見せていた。」
「どこかでプライドを捨て切れなかった。」
「これで(前妻の子を含め)3人の子供を捨てたことになってしまいました。私はバカな男です。母さん、長生きしてこのバカな男が帰るのを待っていて下さいますか。」
「もう母さんしか(手紙を)書く相手がいなくなりました。博より」
以上が大学ノートの切れ端につづられていたという手紙の内容です。
育ててくれた養父が1993年に死去している為、小川博にとって手紙を書く相手は養母しかいなかったのでしょう。
小川博の成績
小川博は両親の反対を押し切って1984年にロッテへ入団。
翌年に一軍に上がり、1992年に現役を退いています。
現役時代の主な成績は、1988年に初めて二桁勝利をあげ、奪三振王のタイトルも獲得。
同年に出場したオールスターで、5者連続三振を奪っています。
ただ、はっきり言って活躍したのはこの年くらいで、他の年は2~3勝しかしていません。
結局、活躍した翌年の1989年に肩を痛めてしまい、1992年に現役を引退。
引退後の1993年~1999年までロッテ球団のトレーニングコーチに就任し、2000年~2002年まで編成部調査担当の球団職員を務めたのでした。
※小川博の投手成績
1985年度 登板21/勝利2/敗北3/セーブ4/防御率4.67
1986年度 登板 6/勝利0/敗北0/セーブ0/防御率7.11
1987年度 登板40/勝利3/敗北5/セーブ0/防御率3.28
1988年度 登板31/勝利10/敗北9/セーブ0/防御率3.40
1989年度 登板14/勝利3/敗北8/セーブ0/防御率5.50
1990年度 登板20/勝利3/敗北1/セーブ1/防御率4.83
通算132登板 21勝 26敗 5セーブ 防御率4.12