トムラウシ山遭難事故 生存者のガイドが犠牲者の死因と原因を語る?
8月11日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」は、【実録!!夏山に潜む恐怖SP!!】と題して、2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山でツアーガイドを含む登山者8人の犠牲者が出た「トムラウシ山遭難事故」を特集する。
ツアーを企画したのは、本社を東京都千代田区に構える旅行会社「アミューズトラベル(株)」。
この会社は「トムラウシ山遭難事故」が起きた後の2012年11月3日、今度は万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、再び遭難事故を起こして犠牲者を出している。
犠牲者の死因はトムラウシ山遭難事故のときと同じ「低体温症」で、原因となったのも同じく適当なガイドの厳選によるものだった。
ツアー会社「アミューズトラベル(株)」は中国・万里の長城遭難事故で死亡者を出したことによって同年12月20日を最後に、営業を停止。
生存者のガイドを含んだ、従業員を全員解雇したあとは「社長以下役員3人が遺族への対応などを行う」として廃業する形をとった。
今回は、2009年7月16日、北海道・大雪山系において、ツアーガイドを含む登山者8人が低体温症によって死亡した「トムラウシ山遭難事故」について迫ってみようと思う。
トムラウシ山遭難事故 生存者のガイドを含む従業員を全員解雇
トムラウシ山遭難事故のツアー会社だった「アミューズトラベル(株)」は、2012年11月3日、中国・万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、またしてもガイドによって死亡(凍死)する事故を発生させた。
万里の長城遭難事故は、大雪で5人が遭難し、日本人客3人が「低体温症」で死亡したというもの。
ツアー会社の「アミューズトラベル社」は、会社として現地の確認を行っておらず、「現地のガイドにまかせっぱなしにしてろくに確認もしていなかった」と、釈明した。
同社は「トムラウシ山遭難事故」を起こした際、51日間の業務停止命令などを受け、営業利益が減少。
その後の売上も軟調推移だったところ、中国・万里の長城遭難事故を起こし、責任をとって生存者のガイドを含む従業員を全員解雇して、廃業することにした。
だが、廃業しても旅行業登録を取り消す処分が下されたことで、同社及び社長と役員は、5年間旅行業の再登録が出来なくなっている。(5年後は2017年12月20日)
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トムラウシ山遭難事故 犠牲者の死因と原因
トムラウシ山遭難事故とは、2009年7月13日から17日までの4泊5日で行われた「アミューズトラベル社」の登山企画に、50~60代の中高年客15人とガイド3人が参加し、登山中に「低体温症」を発症して8人の犠牲者が出た事故のこと。
死亡者が出た原因は、ツアーガイドの判断ミスだったことが後に判明。
犠牲者の死因もやはり「低体温症」からだった。
「アミューズトラベル社」の企画は、旭岳温泉を起点として、旭岳ロープウェイを利用し、標高1600姿見駅(山頂駅)から歩き始め、白雲岳避難小屋とヒサゴ沼避難小屋を利用しながら大雪山系の主稜線を縦走し、トムラウシ温泉へ下山する2泊3日の登山行動を予定していた。
出発日である13日の時点では、メインガイドの男性は、「14日は大丈夫だが、15、16日は崩れるだろう」と予想。
登山日となった14日の早朝の天候は、ガスがかかっていたが、そんなに寒いという感じではなかったという。
結局14日は、1人の女性が気分を悪くしただけにとどまったが、予想通り15日からは天候が悪化。
15日こそ事なきを得るが、16日になって遭難事故が発生してしまったのだ。
16日の早朝、リーダーの男性ガイドは、天候の回復具合や出発直後の雪渓の登りを考慮して、出発を30分遅らせることを全員に伝えた。
さらに「トムラウシ山頂」には登らず、迂回コースをとることを伝えたが、今後の天候判断による対応などについては語らなかったという。
そして、風が強くて寒いというコンディションにも関わらず出発してしまったところ、途中で「ぐったり」とする人や、遅れだす人が出てきたのである。
このときすでに体調の悪い人は、ガイドを含め、のちに死因となる「低体温症」を発症していたのだ。
次第に低体温症のため歩行困難となった人や、意識をなくしていく人なども出てきて救助を要請。
自力で歩ける人だけが下山することに。
その後、救助要請を受けた警察、消防署員、自衛隊らは犠牲者の救出及び捜索を開始した。
ガイドを含む登山者8人が死亡した「トムラウシ山遭難事故」の原因は、強い風雨の中でのツアー続行を「見切り発車」したことだった。
同行したガイド3人について「その場限りのチームで、信頼関係はなかった」と、後に判明。
生き残った男性ガイドは、死亡したリーダーの男性ガイドについて、トムラウシ登山の経験がなかったことを集合後に初めて知ったといい「帰りたくなるくらいイヤだった」と人選を批判した。
また、遭難当日の出発の判断は「(残りのガイド2人が)決断した以上、サポートに徹するしかない」と決定権がなかった立場を強調したのだ。
結果、事故が起きたのは、アルバイトのようなガイドを送り込んだ「アミューズトラベル社」に一番の責任があるのは言うまでもない。